畑山隆則の強さ、天才の理由。生い立ちは野球少年。井上尚弥への評価、坂本博之との名勝負

畑山 隆則(はたけやま たかのり)さんは強さとカッコ良さを併せ持った名選手でした。

強さの秘密は色々と語られていますが、ボクサー離れした頭脳も大きかったそうです。

今回は畑山さんの能力や生い立ち、井上尚弥さんや坂本博之さんとの間を見ていきます。

畑山隆則のプロフィール

本名:畑山 隆則(はたけやま たかのり)

出身地:青森県青森市

生年月日:1975年7月28日

主なタイトル:元WBA世界スーパーフェザー級王者 / 元WBA世界ライト級王者

畑山隆則の強さは天才的センスと頭脳

まずは世界王者にまで上り詰めた畑山隆則さんの強さについて見ていきましょう。

ボクサーの強さを語る際にパンチ力や体幹の強さなどが挙げられますが、畑山さんの場合は体だけでなく天才的なセンスや頭の良さが評価されています。


数多くある天才エピソードの中から1つ紹介しますと、畑山さんがプロテストに合格したのは本格的にボクシングの練習を始めてから僅か3ヶ月後のことでした。

初めて14オンスグローブとヘッドギアを着けて練習した際の動きも常人離れをしていたらしく、ジムの先輩を相手に的確なカウンターを打ち出してトレーナーを驚かせたそうです。

この件からはセンスだけでなく相手の動きを見極める能力にも長けていることが伺えますね。

畑山さんの「相手を見る眼」は視力の良さと言うよりも洞察力の方であり、相手だけでなく自分自身についても客観的に判断できるという珍しい才能の持ち主でした。

プロボクサーになる人はパンチ力やセンスを当然のように兼ね備えているので、頂点にまで昇り詰めるには他の人には無い「何か」を持っている必要があります。

多くのチャンピオンは並外れた才能と根性を武器にしていましたが、畑山さんは天才的なセンスに加えて「クール&頭脳派」という稀有な能力で一時代を築きました。

その頭脳は現役を引退してからも実業家という新しい分野で大いに活かされています。

畑山隆則の生い立ちは野球少年だった

ボクサーで活躍をする選手には「ヤンキーあがり」が多いことは有名な話ですが、畑山隆則さんにはヤンキーだけでなく野球少年だったという意外な過去がありました。

小学生の頃から野球に取り組んでいたという筋金入りで、エースで4番という重責を担ってチームを青森甲子園と呼ばれていた「青森市児童親善野球大会」に導いたそうです。

中学時代には130キロ前後の速球を投げるまでに成長しており、体育会系で有名な青森山田高校に野球のスポーツ推薦で入学するという才能の持ち主でした。

野球部の先輩と対立して僅か1ヶ月で退部(のちに退学)してしまいましたが、トラブル無く野球を続けていたとしたらプロ野球に入っていた可能性もあったでしょう。

もっとも、中学生の頃に”レパード玉熊”選手の世界戦を見てボクシングに憧れを持っていたそうなので、もしかすると辞めて上京するキッカケを探していたのかもしれませんね。

ちなみに、喧嘩の方も当然のように強く、他校にまで乗り込むほどだったそうです。

畑山隆則は井上尚弥にワクワクしていた

ここでは井上尚弥さんに対する畑山隆則さんの評価を見ていきましょう。

井上さんは令和の最強男と言っても過言ではないほどの強さを誇る名選手で、ボクシング界のレジェンドたちからも惜しみない賞賛を集めています。

そこで気になるのは畑山さんによる井上評ですが、持ち前の強さや練習熱心なところを褒めているだけでなく、試合を見ていて「ワクワクする」という表現をしていました。

一般人の私たちが試合を見ていてワクワクするのは自然ですが、元世界チャンピオンが”見ていてワクワクする”というのは非常に珍しい評価と言えるでしょう。

大人や子供、そして元世界チャンピオンをも魅了する試合ぶりは見事で、シンプルに”どんな勝ち方をするんだろう”と観客に期待させる力は誰にでもあるものではありません。

その点からすると、畑山さんの”ワクワクする”発言は最大級の評価と言えるでしょう。

畑山隆則と坂本博之の名勝負

最後に畑山隆則さんと坂本博之さんの関係や名勝負について見ておきましょう。

両者の試合が行われたのは2000年10月11日(横浜アリーナ)で、対決の舞台も「WBA世界ライト級タイトルマッチ」という文句のつけようが無い用意されました。

以前からファンや関係者の間で”どっちが強いのか?”という話があったそうですが、畑山さんはスーパーフェザー級、坂本さんはライト級だったので対戦は実現しませんでした。

さらに畑山さんが1999年6月27日の世界スーパーフェザー級の防衛戦に敗れて引退することになったので、多くの人が期待した「畑山vs坂本戦」は叶わぬ夢となったのです。

そんな中、2000年に畑山さんの現役復帰が大々的に発表されましたが、ファンが注目したのは階級を1つ上げて”ライト級で世界タイトルを目指す”という点でした。

2000年6月11日のWBA世界ライト級タイトルマッチでベネズエラのヒルベルト・セラノ選手を破って王座につき、リング上で「次(初の防衛戦)は坂本選手とやります」と宣言。

そして冒頭で紹介した素晴らしい舞台で畑山さんと坂本さんの対決が行なわれたのです。

この試合は「薬師寺保栄 対 辰吉丈一郎戦」と同じぐらい注目を集め、日本ボクシング界が表彰する「年間最高試合賞」を受賞するなど話題をさらいました。

また、坂本さんが挑戦して敗れたヒルベルト・セラノ選手を畑山さんが破って王者になったことも話題となり、試合だけでなくストーリー性も高く評価をされています。


このような勝負は10年に1度あれば良い方なので、生で見ることができた人は幸せ者ですね。

最後になりますが、大勢の夢を叶えてあげた畑山さんのカッコ良さは別格と言えるでしょう。

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