小林武史、松下由樹との熱愛、Salyuとも交際の噂。若い頃から天才の理由

数々の人気アーティストを世に送り出した小林武史(こばやしたけし)さん。

若い頃から天才として音楽業界で注目を集める存在でした。

きっと松下由樹さんもその才能に惚れ込み交際していたのでしょう。

プロデュースするSalyuさんとの交際が噂された事もありました。

小林武史のプロフィール

本名:小林武史

生年月日:1959年6月7日

血液型:B型

出身地:山形県新庄市

最終学歴:山形県立新庄北高等学校卒業

所属事務所:株式会社OORONG-SHA

小林武史は松下由樹と交際していた

これまでに数々の女性と浮名を流してきた小林武史さん。

女優の松下由樹さんもかつて交際していた女性の1人。

二人の交際が明らかとなったのは1992年。

バリ島から帰国する飛行機で一つの毛布にくるまる姿を女性誌に撮られた事で発覚。

後に関係者が「交際が始まったのは3〜4年前」と証言。


お互いに交際を認め、小林武史さんが購入した億ションで同棲も開始。

両親にも紹介するなど結婚は秒読みと言われていました。

ところが二人は結婚することなく1995年に破局してしまいます。

破局の原因となったのは小林武史さんの浮気。

そして破局した翌年に自身がプロデュースをしていた「My Little Lover」のボーカルakkoさんと結婚しています。

この事から小林武史さんの浮気相手がakkoさんである事は明らかですよね。

きっと一緒に仕事をするようになりakkoさんの方に強く惹かれるようになってしまったのでしょう。

その後、akkoさんとの間に2人の娘が誕生しています。

人気女優の松下由樹さんを捨ててまで掴んだ幸せ。

きっと大切にしていくと誰もが思った事でしょう。

ところが2006年に一青窈さんとの不倫が発覚。

これが原因となり2008年にakkoさんと離婚してしまいます。

その後、一青窈さんと再婚する事なく破局。

これ以降、浮いた話などはありませんので2023年現在は独身という事になります。

誰もが知るところだった松下由樹さんとの交際やakkoさんの結婚。

そんな小林武史さんから声をかけられても普通なら遠慮してしまいそうなもの。

それにも関わらず他の女性との交際が成立してしまうなんて。

他を圧倒する才能や男性としての魅力に魅了されてしまうのでしょうかね。

Salyuとも交際の噂があった

数々のアーティストが歌声を絶賛するSalyuさん。

そんなSalyuさんを見出し、デビューに導いたのも小林武史さんでした。

幼少期、合唱団に所属していたSalyuさんが歌手を目指したのは高校生の頃。

プロになるため幾つものオーディションを受けていたそうです。

その一環としてレコード会社の育成機関にも所属。

そこで資料用に作成したビデオが小林武史さんの目に留まりデビューが決定。

そして映画監督の岩井俊二さんと共に進めていた「リリイ・シュシュのすべて」に登場する「Lily Chou-Chou」名義で2001年にデビュー。

Lily Chou-Chouとしての活動が終了後に「Salyu」として再デビューを果たしています。

小林武史さんはプロデュースだけでなくほぼ全ての楽曲で作詞、作曲、編曲を担当。

ライブにもキーボードとして参加していました。

2007年頃からはSalyuさんがセルフプロデュースをする機会が増えるも関係は継続。


大沢伸一さんと共に結成した「BRADBERRY ORCHESTRA」にはゲストボーカルとして参加。

また、自らが代表理事を務める「ap bank」が開催する「ap bank fes」にも毎年のように招いています。

これまでに数々の女性との交際が報じられてきた小林武史さん。

そのためSalyuさんとの交際が噂された事もありました。

ですが二人の交際はあくまでも噂でツーショット写真などの証拠はありません。

きっと小林武史さんはSalyuさんの事を「尊敬できるアーティスト」と思っているのでしょう。

だからこそ女性としては見る事を恐れ多いと感じているのかもしれません。

小林武史は若い頃から天才だった

5歳の頃からクラシックピアノを始めた小林武史さん。

多くの音楽を聴いて育ち、高校生の時には自らジャズ理論を学習。

その後も個人的にバークリー音楽大学帰りの先生に音楽理論を学んでいたそうです。

感性で曲を作るアーティストが多い中、音楽理論がバックボーンにある事は大きな武器となったはず。

更には米軍のキャンプ周りやスタジオミュージシャンなどの実践で身に付けた経験。

それに加えて持前の音楽の才能。

まさに天才の小林武史さんが業界で注目を集めるのにさほど時間はかかりませんでした。

1980年に出場した「第1回原宿音楽祭」で優勝。

その2年後にバックバンドを務めていた杏里さんに提供した楽曲「思いきりアメリカン」が大ヒット。

これを機に作曲家、アレンジャーとして活動するようになるとあっという間に業界中の注目を集める存在に。

井上陽水さんや坂本龍一さん、高橋幸宏さんなど早々たる面々の楽曲に参加。

ライブにもキーボードで参加するなど引く手数多となりました。

そんな中、誰よりも小林武史さんの才能を高く評価していたのが桑田佳祐さん。

小林武史さんをソロ1stシングルと2ndシングル、1stアルバムのアレンジャーに起用。

すると「アルバムのシェフは小林君」、「一番幸せだったのは、小林君というパートナーに出会えたこと」と大絶賛しています。

その後、サザンオールスターズの楽曲でのアレンジャーや桑田佳祐さんが監督を務めた映画「稲村ジェーン」の音楽監督も担当。

桑田佳祐さんの右腕と呼べる存在だった事は間違いないでしょう。

ただ、あまりにも小林武史さんに頼り過ぎてしまっている状態に危機感を覚えたため距離を置く事に。


1993年のシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後に共に楽曲を制作する事は無くなりました。

誰もが天才と認める桑田佳祐さんが依存しかけたるほどの才能を持つ小林武史さん。

これほど天才という言葉がぴったりな人はいないと言っても過言ではありません。

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