「天才バカボン」や「おそ松くん」でお笑いブームを巻き起こした赤塚不二夫(あかつかふじお)さん。
死因は肺炎でしたが暫くの間、植物状態となっていたそうです。
今頃は人気者だった猫の菊千代と天国で再会している事でしょう。
八王子にあるというシンプルなお墓も人柄を表しているように思えます。
赤塚不二夫のプロフィール
本名:赤塚藤雄
生年月日:1935年9月14日
血液型:A型
出身地:満洲国熱河省
所属事務所:株式会社フジオ・プロダクション
赤塚不二夫の死因は肺炎だった
今や「ギャグ漫画の王様」とも呼ばれる赤塚不二夫さん。
72歳だった2008年8月2日に順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。
死因となったのは肺炎でした。
その訃報はテレビでも大々的に報道され、NHKでもトップニュースに。
スポーツ紙だけでなく一般紙でも一面で取り上げられました。
こうした報道により改めてその偉大さを痛感した人も多かった事でしょう。
藤子不二雄Aさんが葬儀委員長を務め、告別式には関係者やファンが約1200人も参列。
タモリさんの弔辞は今でも伝説として語り継がれています。
SFやファンタジー、スポーツ漫画等と異なり、時代の壁があると言われるギャグ漫画。
ですが、赤塚不二夫さんの漫画は時代も超えて愛される作品ばかり。
2012年には「ひみつのアッコちゃん」が実写映画化され、2015年に放送されたアニメ「おそ松さん」は社会現象に。
そして2022年には人気アイドルSnow Manが主演する「おそ松さん」の実写映画が大きな話題となりました。
印象に残るキャラクターとギャグが世代を問わずに愛される要因でしょう。
ただ、何よりも大きいのが人々を笑顔にしたいという強い思い。
その事が分かるのが点字本にまつわるエピソード。
ある時、テレビで目にした視覚に障害がある子供達を目にした赤塚不二夫さん。
その子供達に笑顔が無かった事から「この子達を笑わせたい」点字の漫画絵本を制作。
そして2000年に発刊された「赤塚不二夫のさわる絵本“よーいどん!”」は点字本として異例のベストセラーに。
全国の盲学校に寄付するだけでなく、少しでも価格を安くするため印税を辞退したんだとか。
近年、話題となっている誰一人取り残さない社会の実現。
ですが、赤塚不二夫さんは20年以上前に「笑いに取り残される人がいない社会」を実現させていたんです。
作品はギャグ漫画でも笑いに対する思いは真剣そのもの。
そのギャップも赤塚不二夫さんの魅力の1つとなっているのでしょう。
赤塚不二夫は植物状態になっていた
2008年8月2日に亡くなった赤塚不二夫さん。
実は2004年から意識不明の植物状態となっていたんです。
その原因となったと思われるのが過去の大病。
2000年に自宅で転倒し頭を打った数時間後、言葉が不鮮明になった事から緊急入院。
診断の結果、急性硬膜下血腫と判明。
当初は手術が不要と判断されるも右手に麻痺が出てきた事から開頭手術を受けています。
それから2年後、2002年には脳内出血を発症。
5時間という大手術を受けるも重い後遺症が残ってしまいます。
起きている時は目を開け、寝ている時は目を瞑るなど意識はあるもののコミュニケーションは取れず。
その後、意識不明の植物状態となってしまったようです。
それ以降、妻や娘が看病を続けるも意識が戻る事はなく帰らぬ人に。
執筆途中のネームがあっただけに無念な思いがあったはず。
ただ、生涯現役でいられた事は誇りに思っている事でしょう。
猫の菊千代も人気者だった
漫画家の他、愛猫家としても有名だった赤塚不二夫さん。
1979年頃から飼っていた「菊千代」を長男と呼ぶほど溺愛。
過去には菊千代をモデルにした「花の菊千代」という漫画を連載。
菊千代に成り代わって「吾輩は猫なのだ」の単行本を出版した事もありました。
また、菊千代は万歳やお辞儀をするなど非常に芸達者だった事から多数のCMに出演。
飼い主である赤塚不二夫さんに負けず劣らずの人気者でした。
ただ、人間と比べると寿命が短い猫。
どれだけ可愛がっていても別れの時が来ることは避けられません。
例に漏れず菊千代も1997年に老衰により死去。
猫の19歳は人間にすれば100歳超のため大往生と言えるでしょう。
猫好きの中には飼っていた猫が亡くなったら次の猫を飼う人も多いはず。
ですが、赤塚不二夫さんは「もう猫は飼わない」と猫を飼う事はありませんでした。
それだけ菊千代の事を可愛がっていたということ。
また、「菊千代の代わりはいない」という思いもあったのでしょうね。
赤塚不二夫の墓があるのは八王子
赤塚不二夫さんのお墓があるのは八王子市の富士見台霊園。
漫画家のお墓には作品のキャラクターの像やイラストが飾られていたりしますよね。
ですが、赤塚不二夫さんのお墓は非常にシンプル。
キャラクターの像やイラストなどはありません。
あまり目立つと周囲に迷惑をかけてしまう可能性があります。
観光名所のようになりお墓で写真を撮るという不謹慎は人が増えてしまう恐れも。
そういった事や周囲への影響を考えて配慮したのでしょうか。
実はあまり目立つ事は好きではなかったのかもしれません。
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