石ノ森章太郎の姉は我孫子ではなく安孫子素雄に恋。姉の死因。自宅と生家について

『仮面ライダー』をはじめヒーローものの作品を多く生み出した漫画家の石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)さん。

石ノ森さん自身にとって「ヒーロー」と呼べる存在がいたとすれば、実の姉だったのではないでしょうか。

今回は早世した姉の詳細、我孫子との関係に加え、死因も確認します。

併せて石ノ森さんの自宅と生家も紹介します。

石ノ森章太郎のプロフィール

本名:小野寺章太郎

生年月日:1938年1月25日

死没:1998年1月28日

身長:不明

出身地:宮城県登米郡石森町(現在の登米市)

最終学歴:石森町立石森中学校(現在の登米市立石森中学校)

石ノ森章太郎の姉は小野寺由恵

伝説の漫画家である石ノ森さんが大成できたのは、姉が親身にサポートしてくれたためでした。

姉の小野寺由恵さんは1958年4月5日、現在の登米市にあたる宮城県登米郡石森町に生まれました。

2018年8月25日、日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う41」では由恵さんを描いた単発ドラマが放送されています。


タイトルは『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎』。

青年・小野寺章太郎が「漫画家・石ノ森章太郎」として大成するまでが、姉に焦点を当てながら描かれました。

由恵さんは故郷で弟の夢を全力で応援していました。

サポートは石ノ森さんが上京してからも続き、漫画家アパート「トキワ荘」でも一緒に暮らしていたそうです。

常に弟に寄り添って、活動を支えていたのですね。

石ノ森章太郎の姉は我孫子ではなく安孫子素雄に恋

弟とともにトキワ荘に暮らしていた由恵さんは、同じアパート内のある漫画家に恋をしていました。

恋をしていた相手は「藤子不二雄A」として知られ、2022年4月7日に亡くなった安孫子素雄さんです。

テレビドキュメンタリー番組でプロデューサーをしていた山登義明さんが、関係者から話を聞いて明らかとなりました。

山登さんは安孫子さん自身にも話を聞いて事実を確認したため、噂ではなく真実と断定して良さそうですね。

よく石ノ森さんの関連キーワードに「姉」「我孫子」と表示されますが、正しくは「安孫子」と関係していたのです。

由恵さんのエピソードについては、若き日のトキワ荘の漫画家たちを描いた漫画『愛…しりそめし頃に…』にも登場しています。

トキワ荘の関係者にとっては由恵さんの恋は有名な話だったようですね。

美人だった由恵さんはトキワ荘のマドンナ的存在でした。

安孫子さんはマドンナに想いを寄せられて嬉しかったに違いありませんね。

ただ想いを寄せられていることに気付いていたのであれば、結婚に至った可能性も十分あったはず。

なぜはかない恋に終わってしまったのでしょうか。

石ノ森章太郎の姉の死因は心臓発作

由恵さんは安孫子さんに想いを寄せたまま、24歳の誕生日前日にわずか23歳で亡くなっています。

昔から持病の喘息に苦しんでいましたが、直接的な死因は心臓発作でした。

いつも姉が喘息で発作を起こすと、石ノ森さんは彼女の手を握り、症状が治まるまで見守っていたそうです。

亡くなった日はいつもより重い発作を起こし、緊急入院先をすることになりました。

ただ石ノ森さんは「いつものように回復する」と考えて、姉を病院に残し映画『マダムと泥棒』を観に行ってしまいます。

映画を観終わった後、姉が緊急入院先の病院で息を引き取ったという連絡を受けました。

いちばんの理解者の臨終に立ち会えなかった石ノ森さんは、嘆き悲しんだに違いありません。

しかも由恵さんの死因は医療ミスだったとも噂されていました。

発作を抑えるために投与されたモルヒネの量が多く、心臓が耐えられなかったというのです。

医療ミスによる心臓発作だったとすれば、石ノ森さんは病院に対して怒りを感じたはず。


同時に姉を置いて映画館に行ってしまった自分を長く責め続けたのではないでしょうか。

しかし彼が絶望することはありませんでした。

漫画家として大成することで、姉からもらった恩に報いたのですから、天国の由恵さんも嬉しかったのではないでしょうか。

石ノ森章太郎の自宅は桜台

石ノ森さんは姉を失う直前、トキワ荘を退去していました。

その後は理想の自宅兼職場を探し求めていたようです。

1966年に東京都練馬区桜台に転居して以来、仕事場とプロダクションを自宅に設置し、数々の名作を世に送り出します。

人気絶頂期には多くのファンが桜台の自宅に押し掛けていたそうです。

あまりに多くの人が石ノ森さんの自宅を探していたため、桜台通りの交番には石ノ森さん側が用意した地図も設置されていました。

今でも石ノ森作品に魅了された人々が桜台を訪れ、伝説の漫画家に思いを馳せています。

石ノ森章太郎の生家は登米市

石ノ森さんの生家は2023年現在も宮城県の登米市にあります。

ゆかりの品々を展示する「石ノ森章太郎ふるさと記念館」のすぐそばにあるため、生家を訪れるファンも多いです。

明治時代に建てられた生家は、石ノ森さんの少年時代とほぼ同じ状態で保存されており、使った机やおもちゃも展示されています。


生家を訪れて石ノ森少年が育った空間に足を踏み入れれば、筋金入りの石ノ森ファンとしての洗礼を受けられるはず。

登米市を訪れたときは生家と記念館を訪れて、天国の石ノ森さんと由恵さんに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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