坂井泉水の母親、養子の噂について。生い立ちと家族の分断、父親と兄弟

1990年代に一世を風靡した音楽ユニット「ZARD」のボーカリスト坂井泉水(さかい いずみ)さん。

私生活は謎に包まれたまま40歳の若さで亡くなってしまいましたが、どのような家庭で育ったのか気になりますよね。

今回は坂井さんの母親、養子の噂、気になる生い立ちについて見ていきます。

また母親以外の家族である父親と兄弟、家族の分断についても確認します。

坂井泉水のプロフィール

本名:蒲池幸子

生年月日:1967年2月6日

身長:1967年2月6日

出身地:松蔭女子短期大学(現在の松蔭大学)

最終学歴:神奈川県平塚市

最終所属事務所:SENSUI ※故人のため退所済み

坂井泉水の母親は専業主婦だったらしい

まず坂井さんの母親について紹介します。

母親は一般人のため情報がまったくありません。


坂井さんは1967年生まれですから、その母親であれば昭和1桁の時代に生まれた女性である可能性が高いですね。

専業主婦や内職、パートなどとして家庭を支えていたのかもしれません。

2023年現在もご健在かわかりませんが、坂井さんの死後は亡き娘に思いを馳せながら過ごすことも多かったのではないでしょうか。

悲しみと折り合いを付けて、幸せな人生を歩んでいることを祈りたいですね。

坂井泉水が養子だった可能性は低い

ネット上では坂井さんが養子だったという噂が流れています。

しかし証拠を確認できないため、ガセネタである可能性が高いです。

ここから養子の噂が流れた理由を見ていきましょう。

坂井さんの本名は「蒲池幸子」です。

蒲池姓は福岡県柳川市にある土地・蒲池に由来する苗字。

そのため父方の親族が福岡県で暮らしていた可能性が高いですね。

ちなみに松田聖子さんも本名が「蒲池法子」といい、福岡県久留米市の出身であることがわかっています。

その点、坂井さん自身は福岡県とは無関係で、出身地は神奈川県平塚市でした。

結果的に「福岡県出身の父親とは血がつながっていないのでは?」と考えた人が養子の噂を広めたのではないでしょうか。

ただそれだけで養子だと断定することはできません。

坂井さんが生まれる前の段階で、父親が神奈川県に転居した可能性もありますからね。

おそらく坂井さんは養子ではなく、血がつながっている両親のもとで育ったのではないでしょうか。

少なくとも現時点では養子説を裏付ける情報は一切ありませんでした。

坂井泉水の生い立ち

坂井さんは1967年2月6日に神奈川県平塚市で生まれました。

早い段階で音楽業界に興味を持ち、6歳の頃からピアノを始めます。

愛用していたのはすでに販売終了しているKAWAIの「ミニピアノP-25 1107」。

「Baby Grand」と名前を付けて、ペットのようにかわいがっていたようです。

ZARDの23枚目シングルには『My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~』という曲があります。

言うまでもなく、愛用していたかわいいミニピアノの名前をタイトルに付けたのです。

曲の中では実際に「Baby Grand」の音も使用されています。

坂井さんは幼少期からおっとりした性格で、学校では忘れ物が多かったそうです。

あまり目立つことが好きではなかったようで、歌手となってからもほとんどメディア出演をしませんでした。


少し天然で内気だったものの、音楽に対する情熱は人一倍あり、驚異的な集中力で音楽活動にのめり込んでいきました。

『負けないで』『揺れる想い』など大ヒット曲を次々発表できたのは、並外れた音楽愛があったからこそですね。

坂井泉水の家族:父親は自動車教習所の指導員

家族もきっと、音楽活動で才能を発揮する坂井さんを応援していたのでしょう。

坂井さんの父親はすでに亡くなっていますが、かつては自動車教習所の指導員として活躍していました。

音楽とは無関係の人でしたが、坂井さんの父親であることは周囲に知れ渡っていました。

一時は自動車教習所にZARDのファンからの予約が殺到したそうですよ。

自動車教習所もZARDの知名度をありがたく利用していたということですね。

父親は音楽業界で成功した娘のことを誇らしく感じていたに違いありません。

坂井泉水の家族の分断:兄弟は妹と弟

坂井さんは長女だったため、兄と姉はいませんでした。

下に妹と弟がいたため、彼らに楽をさせようと、長女として必死に活動していたのではないでしょうか。

実際に坂井さんは有名人となってから、家族のために大豪邸を購入しています。

母親と妹、弟は3階建ての大豪邸で暮らし始め、やがて妹と弟の配偶者も同居するようになりました。

しかし父親だけは自身が建てた神奈川県の一軒家に暮らし続けたそうです。

娘の力で手に入れた大豪邸で暮らすのは、プライドが許さなかった可能性が高いですね。

だとすれば、娘の知名度によって自動車教習所の生徒が増えたことも、素直には喜んでいなかったのではないでしょうか。


娘を誇りに思いながらも、自分の力で建てた家で暮らし続けた父親。

坂井さんは意図せず、家族関係を分断させてしまったことを悲しんでいたのかもしれません。

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