坂井泉水の実家は町田市の豪邸?青山霊園で行われた葬儀、戒名の意味とは

「負けないで」「揺れる想い」などの大ヒット曲で知られる音楽ユニット・ZARDのボーカルだった坂井泉水(さかいいずみ)さん。

亡くなられてから時間が経った今でも、愛され続けている坂井泉水さんの作品と歌声。

そんな坂井泉水さんのご実家と、青山霊園で行われた葬儀の模様。

そして、戒名についてお伝えしていきます。

坂井泉水のプロフィール

本名:蒲池幸子(かまちさちこ)

生年月日:1967年(昭和42年)5月27日

出身地:神奈川県平塚市

最終学歴:松蔭女子短期大学卒業

血液型:A型

坂井泉水の実家は町田市の豪邸?

メディアにほとんど登場しなかった坂井さん。

ご本人の口から、プライベートな事を語られることは、ほとんどありませんでした。

ですが、ファンの間で坂井さんのご実家は、東京都町田市つくし野にあると言われています。

実際に訪れているファンの方のブログなども、よく見かけます。


坂井さんが亡くなられた時、ワイドショーのリポーターがご実家近くを訪れ、「考えていたような豪邸ではない。」とコメントしていました。

ミリオンヒットを連発して、そのほとんどの作詞を手掛けていた坂井さんですから、煌びやかな豪邸を予想していたのでしょう。

実際は坂井さんのお人柄を表すように、閑静できれいな、派手さとは正反対のご自宅だったそうです。

ちなみに、ご実家の建物は、坂井さんからご両親へのプレゼントだったそうです。

亡くなられてから、町田市と坂井さんの繋がりは強くなっています。

2010年には、町田市民ホールでフィルムコンサートが行われました。

その際、町田市文化・国際交流財団次長の池田博一さんは、「坂井さんは生前、地元である町田市での公演を希望していた。ようやく町田市でZARDのコンサートが実現できてうれしい。」と語られています。

2021年には、ZARDデビュー30周年を記念し、坂井さんの書いた歌詞に迫る展覧会「ZARD/坂井泉水 心に響くことば展」が、町田市民文学館ことばらんどで開催されました。

多くの人の心に寄り添った、坂井さんの「歌詞」に焦点を当てた展覧会。

坂井さんがライブのMCで語った、「私はいつも本当に言葉を、詞を大切にしてきました。音楽でそれが伝わればいいなと願っています。」という想いが詰まった展覧会だったのではないでしょうか。

青山霊園で行われた葬儀の内容

坂井さんが亡くなった2日後の5月29日にお通夜、そして30日に告別式。

どちらも密葬で行われました。

その翌月、6月26日と27日に、青山霊園にて、「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」が執り行われました。

26日は関係者向けで、同じ事務所に所属する歌手の大黒摩季さんや、ZARDに数々の名曲を作曲された織田哲郎さん、といった、坂井さんにゆかりの深い著名人が弔問されました。

27日は一般参列者向けで、4万人を超えるファンの方が弔問に訪れました。

葬儀は「音楽葬」という形で行われ、会場のスクリーンには 「負けないで」といったヒット曲と共に、歌っている坂井さんの映像が流されていました。

会場のデザインは、デビューの頃からZARDのアートディレクションを担当した鈴木謙一さんが手掛けました。

祭壇は、坂井さんが多くの時を過ごしたスタジオ「バードマン・ウエスト」を再現し、実際に坂井さんが使用していたマイクや譜面台、直筆の歌詞も置かれていました。

偲ぶ会の最後には、約3500人のファンが、スクリーンに映し出される坂井さんと一緒に「負けないで」を大合唱したそうです。

戒名の意味は?

坂井泉水さんの戒名は、当初は「澄響幸輝信女(ちょうきょうこうきしんにょ)」でした。

「澄んだ歌声が響き渡って輝く」という意味だそうです。

本当に坂井さんにぴったりの戒名ですね。

ですが、坂井泉水さんという影響力の大きい方の戒名にしては、文字数が少ない、などの声もありました。

後に戒名は「麗唱院澄響幸輝大姉(れいしょういんちょうきょうこうきだいし)」に位上げされました。

戒名の持つ意味は同じですが、最後の2文字。

大姉は信女の1つ上の位に付く位号という添字だそうです。

文字数も6文字から9文字になって、戒名料も大幅に上がったと予想されます。

坂井泉水さんほどの方ですから、功績に相応しい戒名になられた、という事だと思われます。

坂井泉水の経歴と逝去

坂井泉水さんはほとんどメディアへの露出はなく、音楽ユニットであるにもかかわらず、ライブ活動などもあまり行っていませんでした。

そのメディア・コントロールは所属事務所の戦略だった、との見方がされていましたが、実は坂井さんが極度のあがり症だったため、という説もあります。

後に、ZARDでギターを務めていた町田文人さんは、「初めてのテレビ出演の際に、緊張のあまり腰が抜けたような感じになり、バンドメンバーが楽屋まで連れて帰った。」というエピソードを語っていました。

2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症を患い、2006年に子宮頸がんが発見されました。

そして2007年5月26日、入院先の病院にある高さ3メートルのスロープから転落したことが原因で脳挫傷を負い、意識不明に。

翌27日に、40歳という若さで死去されました。

あまりにも突然で衝撃的なニュースだったため、「事故だったのか?それとも自殺だったのか?」と憶測を呼びました。

実際、警察も事故と自殺の両面で捜査をしていたと言われています。


坂井さんに近かった音楽関係者によると、亡くなった2007年の秋には、新しいアルバムのリリースとライブツアーも計画されていて、坂井さんもそのために病床で作詞をしたり、復帰に向け意欲的だったそうです。

ですので、自殺とは考え難く、不慮の事故が招いた死、だったと思われます。

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