バンタム級・フェザー級・スーパーバンタム級と、WBCで世界3階級制覇を果たした長谷川穂積(はせがわ ほづみ)さん。
4度の年間MVPも受賞しており、日本のボクシング史上でもトップクラスのボクサーと言えるでしょう。
そんな彼が、癌を患っていた母のために戦ったことがあることをご存知でしょうか。
5人兄弟の長男である彼は、幼い頃に弟達と一緒にボクシングをやっていたそうで、家族の絆を感じさせられますよね。
実家にはなんと壁画もあるようで、そちらもどのようなものなのか気になります。
高校時代の気になるエピソードも調べましたので、併せてご覧ください。
長谷川穂積のプロフィール
愛称:日本のエース
本名:長谷川 穂積(はせがわ ほづみ)
生年月日:1980年(昭和55年)12月16日
身長:168.5cm
出身地:兵庫県西脇市
最終学歴:兵庫県立西脇北高等学校(定時制)
所属ジム(現役時代):真正ボクシングジム
長谷川穂積の母に捧げるチャンピオンベルト!
長谷川さんの母・長谷川裕美子(はせがわ ゆみこ)さんは、2006年11月に大腸癌が発見され、闘病生活を送っていました。
放射線治療を行うために1回300万円が必要だったようで、その費用をファイトマネーから捻出していたそうです。
裕美子さんの病気が判明してからは、1回約300万円もかかる放射線治療もファイトマネーから充てていた。
辛い闘病生活を頑張って耐えており、試合当日には必ず会場に応援に駆けつけてくれる母の姿を見た彼は、自分も頑張らなくてはと考えました。
病気が判明した時は既にWBC世界バンタム級王者になっていましたが、そこから10回の防衛戦に勝利できたのは、母のためにという思いが強かったからかもしれませんね。
そして、2010年11月26日にWBC世界フェザー級王座決定戦を控えた2010年10月24日。
母は長い闘病の末、残念ながら亡くなってしまいました。
残された日記と母に捧げる勝利
母が亡くなった後、長谷川さんは残されていた日記を読んだそうです。
「穂積にチャンスを与えてください。どんな痛みも我慢します。天国に行っても守れるかな」。
母の日記があった。
それを読む彼は、涙で最後まで読むことができなかったそうです。
そんな状況で試合ができるのかと悩んだそうですが、長谷川さんはリングに上がりました。
「負けたら母が報われない。それではこの先、自分は生きていけない。負けたら自殺する」
そんな壮絶な覚悟をしていたそうです。
長谷川は、文字通り決死の覚悟で、フアンカルロス・ブルゴスとの一戦に臨んだ。
迎えたWBC世界フェザー級王座決定戦試合当日、彼は12ラウンドを戦い抜き、判定勝ちで2階級制覇を達成しました。
長谷川さんはKO勝ちできずに、顔もボコボコになっての勝利に納得がいっていない様子も見せていましたが、驚異の粘りを見せることができた裏には母への思いがあったのでしょう。
試合後には胸の中で「やったよ、おかん」と言ったそうで、見事に母に勝利を捧げることができた万感の思いが込められていたのでしょう。
そのリングサイドには母の遺影があり、表情は笑っていました。
長谷川穂積は5人兄弟の長男で家族揃ってボクシング一家
長谷川さんは父親が元プロボクサーであり、5人兄弟の2人目(長男)として生を受けました。
下には2人の弟がいて、ともにボクシングをやっていました。
小学生の頃は長谷川三兄弟と呼ばれており、朝起きてから走り、学校が終わった後も走るという生活をしていたそうです。
漫画に出てくるようなストーリーで、彼の周囲では噂になっていたことでしょう。
その中でも、年の離れた長男である長谷川さんへの期待が一番大きく、彼が一番力を入れてボクサーとして育てられたようです。
その後は御存知の通り3階級制覇をしたので、期待以上の結果を残したという形になりましたね。
長谷川穂積の実家には壁画がある!
兵庫県西脇市にある長谷川さんの実家の壁には、なんと壁画が描かれています。
その様子は、彼の公式YouTubeチャンネルに上げられた動画から鑑賞することができます。
思い出となっている名場面が鮮やかに描かれており、一見の価値ありですね。
長谷川さん自身が描かれた場面の解説をされており、ファンの方なら彼と一緒に振り返って見ると楽しいのではないでしょうか。
長谷川穂積は愛のため高校を中退していた!?
長谷川さんは当初は兵庫県立多可高等学校に通っていましたが、後の妻となる女性との遠距離恋愛に熱中し、学業がおろそかになり留年されたそうです。
その留年がきっかけとなり、高校を中退することになりましたが、実はその女性と一緒に暮らしたいがためわざと留年したと言います。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にが長谷川穂積特集でおもろかった。ほんま厳しい上に考えて練習してるわ。それより驚いたのが長谷川の若い頃の駄目っぷり。練習サボる、高校中退、デビュー後も練習不足でスタミナ不足。人はいつ化けるか分からんな。
— 格闘熊 (@kakutouguma) December 20, 2010
その結果、同棲することができたようなので、まさに狙い通りだったということでしょうか。
狙った獲物を仕留める姿勢は、ボクサーとしてのスタイルにも繋がったのかもしれませんね。
日本を代表するボクサーになった長谷川さん。
その影には、常に母と家族の支えがありました。
人に歴史ありと言いますが、彼に秘められた歴史は想像していたものより重厚なものでした。
2023年現在も、YouTubeチャンネルで精力的に活動するなど、日々新たな足跡を残されています。
そんな彼を見習い、私達も常に前に進み続けたいですね。
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