武田鉄矢の母親は実家のタバコ商店を経営&テレビにも出演!兄弟や家族について

武田鉄矢(たけだてつや)さんは1972年、海援隊のメンバーとしてデビュー。

歌手や俳優、映画監督や漫画原作者として、幅広く活動しています。

そんな武田鉄矢さんを育てた母親である武田イクさんや、ご兄弟についてなど、お伝えします。

武田鉄矢のプロフィール

本名:武田鉄矢

生年月日:1949年(昭和24年)4月11日

身長:165cm

出身地:福岡県福岡市博多区

最終学歴:福岡教育大学卒業

所属事務所:ネクストワン

武田鉄矢の母親・武田イクについて

武田鉄矢さんが作詞をし、海援隊の初めてのヒット曲となった「母に捧げるバラード」。

言うまでもなく、武田鉄矢さんの母親・武田イクさんの事を歌っています。

そんな武田イクさんとは、どんな方だったのでしょうか。

お伝えしたいと思います。

武田イクの壮絶な人生

武田イクさんは1920年1月15日、熊本県阿蘇郡小国町に生まれました。

大地主の孫として裕福な家庭で育ちましたが、祖父の死去と世界恐慌の影響で両親が離婚し、当時8歳だったイクさんは博多の親族の元へ養子に出されます。


それから4年後の12歳の時、引取先の親族からも「生活が苦しいから出ていってほしい」と言われ、住み込みで働ける場所を探すことに。

「池田屋支店」という洋服屋で見習いとして住み込みで働く事になりましたが、一番下の弟子として忙しく働き、睡眠時間は毎日4時間程度でした。

それでもイクさんはへこたれず、いち早く導入されたアメリカのミシンを覚えるため、周りの職人に交渉しました。

イクさんの情熱に職人たちも心を動かされ、イクさんはミシンを扱えるようになりました。

その後、里親を訪ねた際、幼馴染の村上嘉元さんと再会しました。

その村上嘉元さんとは、武田鉄矢さんの父親です。

イクさんは結婚を意識し、村上さんに「武田の名前を残すために婿に入ってもらえませんか?」と訪ねました。

村上さんは自身の実家を説得し、武田の家に入る事になりました。

お2人は、鉄矢さんを含む5人の子供を授かりました。

8歳から家族のぬくもりを失ってしまったイクさんは、ようやくひとつ屋根の下に集まる家族を手に入れたのでした。

実家でタバコ商店を営んでいた

雑餉隈(ざっしょのくま)と呼ばれる福岡市博多区南部の地域に「武田たばこ店」という小さな商店があります。


クリーニング店を併設し、本当に小さな「町のたばこ屋」といった佇まいですが、そこが武田鉄矢さんの実家です。

イクさんは、こちらでタバコ店やクリーニングの取次ぎなどの仕事をしていました。

現在は武田鉄矢さんのお姉さんが継いで、営業をされているそうです。

テレビやCM出演もしていた

海援隊の「母に捧げるバラード」の大ヒットや、武田鉄矢さんの大出世作「3年B組 金八先生」のブームで、世間の注目は武田イクさんにも集まりました。

1997年には「なんばしよっとか」という著書を発売。

波乱万丈の人生をまとめた、イクさんの自伝です。


また、同時期にフジテレビ系列で「チチパパ親父!娘をたのむで!」という番組に、笑福亭鶴瓶さんやKinKi Kidsの堂本光一さんらとレギューラー出演していました。

毎回「はよう出てきんしゃい!」とイクさんの掛け声がきっかけでゲストが登場する、という重要な役割を任されていました。

他にもローカルCMなどにも出演されたり、子育てをテーマにした講演を年間100回以上も行なっていました。

多くの人に愛されましたが、1998年に肺動脈血栓のため、78歳で亡くなりました。

共に暮らしていた長女のミヤさんは「亡くなる4日前までミシンをしていました。」と語っていました。

武田鉄矢の兄弟仲について

武田鉄矢さんは5人兄弟姉妹の末っ子で、12歳上のお兄さんと、3人のお姉さんがいます。

2011年に発売された著書「西の窓辺へお行きなさい」に、12歳上のお兄さんとの仲について詳しく書かれていました。

子供の頃は12歳も年齢差があるため圧倒的な上下関係があり、お兄さんに対しては常に敬語で接していたそうです。

お兄さんは勉強もでき、早稲田大学を卒業後に広告代理店に就職するなど、エリートコースを進んでいました。

お母さんのイクさんはそんなお兄さんをかわいがってたため、鉄矢さんはお兄さんにコンプレックスを持っていたそうです。


ですが、鉄矢さんが芸能界で成功すると立場が逆転。

お兄さんは事業に失敗し、多額の借金を抱え、果てには鉄矢さんを勝手に保証人にして借金を作るなど、転落していったのです。

それでも、「武田鉄矢の母」として有名になったイクさんのマネージャーとしてなんとか生活し、平穏な日々が続いていました。

ですが、1998年にイクさんが死去すると、イクさんの遺産相続に関して納得がいかず、酒浸りになり荒れた生活を送ります。

それ以降、鉄矢さんとお兄さんは疎遠なっていましたが、5年後にお兄さんの奥さんから「最後ぐらい仲のいい兄弟でいてください。」と連絡が入ります。

お兄さんはガンを患っていたのでした。

武田さんはお兄さんとの別れを直感し、翌日入院先の病院を訪ねました。

かつての面影もないほど痩せたお兄さんは、鉄矢さんとの再会を喜んでいたそうです。

それから2ヶ月後、お兄さんは亡くなりました。

鉄矢さんは著書に「僕は兄にコンプレックスを抱き、憎んでもいた。でも、そのコンプレックスのおかげでここまでこれた。兄が今の僕を作ってくれた、と思えるようになった。」と記されていました。

武田鉄矢の家族について

武田鉄矢さんは1974年に節子さんという、熊本の農家に生まれた方と結婚しました。

2人の娘さんがいるそうですが、一般人のため特に情報はありませんでした。

ですが、娘さん達が小さい頃のエピソードをインタビューで話していました。


奥様から「何でも買い与えないで」と釘を刺されていたそうですが、デパートでおもちゃを指差し「我慢する!我慢する!」と言う娘さん達に、思わず「ひとつにしなさい」と買ってあげてしまったそうです。

娘さん達の作戦勝利、といった感じですね。

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