鮎川誠さんは、妻のシーナさんとのバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダー、ボーカル兼ギタリストで、日本のパンクロックのカリスマ的存在でした。
アメリカ人と日本人のハーフの鮎川誠さんは若い頃からかっこよく、長身のためとても目立っていました。
そんな鮎川誠さんの若い頃や家族について。
そして、久留米の名門高校に通っていたという鮎川誠さんの高い学歴についてなど、お伝えします。
鮎川誠のプロフィール
本名:鮎川誠
生年月日:1948年(昭和23年)5月2日
没年月日:2023年(令和5年)1月29日
身長:180cm
出身地:福岡県久留米市
最終学歴:九州大学農学部卒業
鮎川誠の若い頃
鮎川誠さんは、中学生の頃から音楽にのめりこみました。
きっかけは、アメリカ人の父親がプレゼントしてくれたラジオと蓄音機で、父が残して行ったフランク・シナトラやビング・クロズビーなどのアメリカのレコードを聴き始めた事でした。
中学3年生の頃には米軍極東放送を聴き始め、そこでビートルズを聴いて衝撃を受けたそうです。
それは、まさにビートルズが全世界で大ブームになった1964年の出来事でした。
鮎川誠さんは、最も多感な時期に音楽界において歴史的だった年を迎えられた事に、感謝していました。
福岡県内でも名門とされる県立明善高校に進学した鮎川誠さんは、高校2年生の時に念願のエレキギターを手にしました。
修学旅行の積立金を「都合で行けなくなった」と嘘をついて返してもらったお金で、友達から4500円で買ったギターでした。
そして高校3年生の夏に友達と組んだバンドで、久留米市内の石橋文化ホールで行われた「サマービート66 エレキ祭り」に出演しました。
それが鮎川誠さんにとって、初めての舞台になりました。
2020年には54年ぶりに、同じ石橋文化ホールでもライブを開催されています。
シーナ&ロケッツ、昨夜の熱い岡山から鮎川誠の故郷久留米へやって来たぜ❣️
今日は石橋文化センター共同ホールで、なんと54年ぶりに開催されるスペシャルライブ❣️サマービート66→2020🔥
当日券も若干ありますので、皆様のご来場お待ちしています!開演は17:00🚀#シナロケ pic.twitter.com/hwz3rkiNOK— シーナ&ロケッツ (@rokketduction) November 28, 2020
その後は九州大学に進学し、1970年にバンド・サンハウスを結成しました。
サンハウスの存在は、日本で一大ブームを巻き起こした「めんたいロック」の先駆けとなりました。
1975年にサンハウスはファーストアルバム「有頂天」を発売しメジャーデビューしましたが、「故郷を捨てるのはカッコ悪い」と、上京せずに福岡県を拠点にして活動を続けていました。
ですが、鮎川誠さんの本当の理由は「母を一人福岡に置いて上京できない」という、母親想いの理由があったからでした。
そんな中、1976年に付き合っていたシーナさんが身ごもった事がわかり、急激に結婚の話が進み、シーナさんは双子を出産。
鮎川誠さんとシーナさんは双子の親となり、福岡県若松市のシーナさんの実家で暮らすことになりました。
双子を抱え、サンハウスも解散し、これからの人生をどうしようかと悩んでいた所、シーナさんの父親に「やっぱり東京で勝負かけないと。ダメならそれで全部ハッキリする。」と言われ、東京で勝負することを決意しました。
シーナさんの父親の立場を考えると、娘や孫の幸せを考えて「堅実に働きなさい」、と言うのが普通だと思いますが、夢を諦めきれない鮎川誠さんの事を考えた優しい叱咤激励だったのでしょう。
こうして鮎川誠さんとシーナさんは、今では伝説になったバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」を結成し、双子の娘をシーナさんの両親に預け上京し、大成功を収めるのでした。
シーナさんの父親の言葉がなければ、日本のロックの歴史も違うものになっていたでしょう。
父親、兄弟、家族について
鮎川誠さんの父親は、マッカーサーと共に日本に来た進駐軍の司令官、J.Dフレイジーさんという方でした。
フレイジーさんは料亭で働いていた母・梅子さんを見初め、そして鮎川誠さんが誕生しました。
ですが1952年、鮎川誠さんが3歳の時にサンフランシスコ平和条約が締結され、アメリカに帰ることになりました。
フレイジーさんは梅子さんと誠さんをアメリカに連れて行きたく、梅子さんに懇願しましたが、梅子さんは自分の弟や妹を置いてアメリカには行けないと、誠さんと共に日本に残りました。
フレイジーさんとは帰国後も月に1度、ローマ字で手紙を書いて文通をしていたそうです。
鮎川誠さんが切手集めをしている事を手紙に書くと、世界の珍しい切手をたくさん送ってくれました。
離れてしまっていても、フレイジーさんは梅子さんと誠さんの事を想っていました。
74歳で逝去しためんたいロックの祖、鮎川誠
父親はアメリカ人であったが転勤でアメリカに戻り、息子が中学生の時に他界している。
父との思い出があまりなく会う機会もないまま、彼が初めてギターを手にしたのは母親からだった。
港町博多と🇺🇸文化の交差が産んだ、永遠のギター・ヒーロー🎸🙏 https://t.co/eGeDqvRKAj
— 伊丹十三世 (@Astroterras) January 30, 2023
ですが、鮎川誠さんが中学2年生の時、アメリカ軍からフレイジーさんの死の知らせが届きました。
梅子さんは取り乱すことはなく、気丈に振る舞っていたそうです。
鮎川誠さんに兄弟はいなかったので、母と誠さんの2人家族で、お互いがお互いを思いやるような家族だったそうです。
高い学歴で高校は久留米の名門校出身
鮎川誠さんは高い学歴で、成績も非常に良かったそうです。
幼馴染の方が中学生時代に机の中の成績表を見ると、800人以上いる生徒の中でも1番の成績だったそうです。
しかし、鮎川誠さんはそんなことを鼻にかけることはなかったのだとか。
高校は、久留米では名門と言われる福岡県立明善高等学校を卒業しました。
そして、国立大学の中でもトップクラスの偏差値を誇る九州大学に進学しました。
ただ九州大学に進学したのは、母親にバンド活動を許してもらうために出された条件だったそうです。
バンドのために国立大学に進学してしまうのも、音楽への情熱と、地頭の良さがあって成し得た事でしょう。
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