篠原ともえの若い頃はカリスマ。台湾事件で人気低下の噂。キャラ変で現在は変わった?

1990年代に「シノラー」ブームを巻き起こした篠原ともえさん。

あまりにも独創的なファッションセンスで、世間を驚かせました。

若い頃の人気は本当に凄かったのですが、台湾事件をきっかけに急激に露出が減ったとも言われています。

2023年現在はデザイナーとして成功するなど、昔とはかなり立場も変わったようで、キャラ変したのではないかと言われています。

今回は、篠原さんの若い頃と今、両方を調査していきます。

篠原ともえのプロフィール

本名:篠原 ともえ (しのはら ともえ)

生年月日:1979年(昭和54年)3月29日

身長:152cm

出身地:東京都青梅市

最終学歴:文化女子大学短期大学部

所属事務所:株式会社STUDEO

篠原ともえは若い頃カリスマだった

篠原さんは1990年代中盤から後半にかけて、その独自のファッションやハイテンションなキャラクターで大人気となった人物です。

「シノラー」という、彼女のファッションなどを真似るファンが多く出現し、社会現象になっていました。

それだけではなく、音楽活動も行っており、1997年に発売されたシングル「ウルトラリラックス」はとても印象に残る曲でしたよね。

テレビは主にバラエティ番組を中心に出演していましたが、大物芸能人にマイペースで絡んでいくなど、度胸があったことも特徴的なところでしょう。


もちろん、ただ勢いやノリでそんなことをしてたらすぐに嫌われてしまいますが、彼女の場合は絶妙にバランスをとっていたのかもしれません。

超大物シンガーソングライター吉田拓郎(よしだ たくろう)さんと、一時期は共演NGになるのではと心配されたこともありましたが、後に彼は篠原さんのことを高く評価していたことを明かしています。

芸能界には、彼女のように大物芸能人との距離をグイグイ詰めていくキャラクターを売りにした人物が定期的に出てきます。

しかし、篠原さんはその中でもかなり上位にいたのではないでしょうか。

彼女の他に、このジャンルで安定して成功している人物として、フワちゃんがいますよね。

共通していることは、頭がいいことと育ちがいいことでしょうか。

いずれにせよ、若い頃の彼女は確かにカリスマ性を持った人物であったことは間違いないでしょう。

多くの人が、これから芸能界にかかせない存在になるのではと考えていたかもしれませんね。

篠原ともえは台湾事件で落ち目になった?

篠原さんは、人気の絶頂期にあった2001年に、後に「台湾事件」と言われる出来事を起こしています。

事件の概要は、彼女が仕事で台湾を訪れていた際に、宿泊先のホテルで大暴れをしたというものです。

廊下の壁や非常扉を叩いたり、火災報知器のボタンを押したりと奇行に走ったと言われています。


この出来事は彼女の明るくいい子であるといイメージを壊してしまい、それがきっかけとなったのか、その後テレビでの露出が急激に減ることになりました。

篠原さん自身は事件を否定しているのですが、世間のイメージというものは一度ついてしまったら拭い去ることが難しかったのかもしれません。

実際に、今となっては事件の真相を知ることは難しいでしょう。

彼女が宿泊していたホテルで何かが起きていたのかもしれませんし、よほどのことがなければそのような行為をするとは考えがたいです。

事件当時、篠原さんは飲酒していたとも言われていますが、酒乱であったのならもっと前からそういった騒ぎを起こしていたとしても不思議ではありません。

この事件自体の詳細が分からず、語られることもない以上、彼女を責めることはできません。

しかし、これがきっかけとなり芸能界でのポジションを失ったのだとしたら、とても残念な話ですね。

篠原ともえが2023年現在変わったのはキャラ変?

しばらく芸能界から離れていた篠原さんですが、2023年現在また注目を集めています。

そのきっかけは、若い頃のハイテンションや奇抜なファッションを封印したことと、ファッションデザイナーとしての活躍にあります。

落ち着いた語り口とファッションで、大人の女性になっていますよね。

若い頃の彼女もいいですが、今の感じも素敵です。

2023年現在の篠原さんは、ファッションデザイナーとして世界的に評価されるようにもなっています。

「第101回ニューヨークADC賞」で、シルバーキューブとブロンズキューブという2つの賞をとり、2冠を達成したのです。

この賞は、1921年に広告美術団体「アート・ディレクターズ・クラブ(ADC)」によって設立され、世界で最古となる広告デザインの国際賞です。

世界中から様々なデザイナー・企業による応募があり、競争も激しいものでしょう。

そのような由緒ある賞を受賞したのですから、篠原さんのデザイナーとしてのセンスは間違いなく高いと言えるでしょう。


最早世界的なデザイナーと言っても過言ではなく、少し遠い存在になったようにも感じてしまいますよね。

この急激なキャラ変に戸惑っている方もいるかもしれませんが、本人はしっかりと悩み考え抜いた上で今があると語っています。

過去の自分を否定せず、自分に何ができるかを考えた上で起きた自然な変化、いや成長だったのでしょう。

少なくとも、テレビに出演するために無理してキャラ変をしているというわけでは無さそうですね。

若い頃はカリスマ的な人気を誇っていた篠原さん。

台湾事件が彼女のキャリアにどれだけの影響を与えたのかは分かりませんが、一時期表舞台から離れていたことは確かなことです。

しかし、彼女はそういった期間を無駄に過ごさず、2023年現在は変わったと言われるほどの姿を見せてくれました。

この変化は、売れるためのキャラ変というわけではなく、明らかに成長した結果だということが伝わってきます。

世界的なデザイナーになった篠原さんですが、その優れたデザインセンスで、これからどのような活躍をしていくのか楽しみですね。


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