藤子不二雄Aの妻は現在施設に入所。結婚式の仲人は手塚治虫。家族は妻だけ&若い頃の活動

『ドラえもん』の作者である藤子・F・不二雄さんとともに、漫画家コンビ「藤子不二雄」として活動した藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・エー)さん。

著作権を巡るもめごとを防ぐためコンビを解消するまで『オバケのQ太郎』や『忍者ハットリくん』などの大ヒット作を生み出しました。

不二雄Aさんは2022年4月7日に88歳で亡くなりましたが、妻は今もご健在のようです。

今回は不二雄Aさんの妻の現在について確認し、結婚時のエピソード、家族の情報をまとめます。

また下積み時代を送った若い頃の活動について紹介します。

藤子不二雄Aのプロフィール

本名:安孫子素雄

生年月日:1934年3月10日

死没:2022年4月7日

身長:不明

出身地:富山県氷見郡氷見町(現在の氷見市)

最終学歴:富山県立高岡高等学校

藤子不二雄Aの妻は和代

1966年に代表作『オバケのQ太郎』がヒットし、コンビ「藤子不二雄」は売れっ子漫画家として活躍しました。

同時期に不二雄Aさんは静岡県にあった会社の社長令嬢・和代さんと結婚しています。

2人は子供に恵まれなかったものの、夫婦で円満に暮らし続けていたようです。


和代さんは2歳年下で、50年間愛妻弁当を作り続け、多忙な夫の漫画家生活を支えました。

しかもお弁当の中身は動物由来の材料を一切使わない精進料理だったそうですよ。

不二雄Aさんは富山県氷見市にある曹洞宗の寺院・光禅寺で生まれ育ちました。

寺院で育った結果、精進料理ばかりを食べており、動物性たんぱく質を受け付けない身体になっていたのです。

和代さんは仕事が多忙で連日徹夜しながら作業する夫の健康を気遣い、お肉やお魚が入った栄養満点のお弁当を用意。

しかし精進料理に慣れた夫の身体はどうしてもお弁当を受け付けず、食べることができませんでした。

困った和代さんは、義母から精進料理の作り方を習うことを決意。

夫の好物であるタケノコのみそ煮、茹でた大根の葉を味噌で煎ったよごしなどを作れるようになりました。

不規則な生活を送る夫のために、限られた材料を活用しておいしい精進料理を提供し続けたそうですよ。

夫に対する深い愛情がうかがえるエピソードですね。

藤子不二雄Aの妻は現在、施設に入所中

長きにわたり夫を支え続けた和代さんですが、2019年頃に病気を患ってしまいました。

自宅を離れて、2023年現在も療養施設で生活を送っているそうです。

不二雄Aさんが亡くなる前、自宅に行った知人によると、彼はどこか寂しそうな様子だったといいます。


奥さんと離れて暮らすようになり、少し心細い気分で過ごしていたのかもしれません。

2022年4月7日、川崎市の自宅の庭で倒れている不二雄Aさんを知人が発見。

通報によって駆けつけた警察官が、亡くなっていることをその場で確認しました。

きっと最期に一目、最愛の妻の姿を見たかったのではないでしょうか。

和代さんも夫の死に目に会えなかったことを悲しんでいるのかもしれません。

藤子不二雄Aの結婚式で仲人は手塚治虫

不二雄Aさんと和代さんの結婚式は東京ヒルトンホテルで行われました。

仲人は先輩漫画家である手塚治虫さんが務めるという、豪華な式でした。

深い愛情で結ばれた夫婦。

和代さんは病気で倒れて身体が不自由になってからも愛妻弁当を作り続けました。

不二雄Aさんは妻に感謝しながら、毎日、愛妻弁当をスケッチに描いていたそうです。

さらに実物の写真を撮影していたそうですから、毎日の弁当を楽しみにしていたことがうかがえます。

藤子不二雄Aの家族は妻だけ

不二雄Aさんには子供がおらず、支えてくれる妻だけが頼りだったに違いありません。

かつては赤塚不二夫さんや石ノ森章太郎さん、相方の藤子・F・不二雄さんらとともに漫画家アパート・トキワ荘で暮らしていました。


しかし結婚後は妻と2人でお互いに支え合いながら暮らしていたのです。

妻が注いでくれた愛情への感謝の気持ちを忘れず、最期の瞬間まで彼女のことを思い続けていた可能性は高いでしょう。

藤子不二雄Aの若い頃

不二雄Aさんは高校を卒業する直前、手塚治虫さんの自宅を訪れ、その圧倒的なオーラを目の当たりにしました。

藤本弘こと藤子・F・不二雄さんとともに、憧れの手塚さんに作品をチェックしてもらったのです。

もともと不二雄Aさんは新聞社、藤子・F・不二雄さんは製菓会社で仕事をしていました。

しかし漫画家の夢を抱いて会社員を辞め、上京してトキワ荘で切磋琢磨し始めたのです。

2人は憧れの手塚さんが生活していたトキワ荘の14号室に、後釜として入居。

手塚さんが使用していた机は、そのオーラが乗り移る気がしたため、そのまま使い続けたそうですよ。

赤塚さんや石ノ森さんなど、のちに偉大な漫画家となる人々も、当時はお金がありませんでした。

1杯30円のラーメンすら注文するのが難しいほど困窮していたのです。

それでも全員が夢を抱いて支え合っていたため、楽しく刺激的な日々を送っていました。

レジェンド漫画家となってからも、彼らはお互いを兄弟のように思い、仲良く交流を続けていたそうです。

不二雄Aさんの若い頃の様子からは、若き漫画家たちの熱い友情と夢が感じられて、胸が熱くなりますね。


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