さだまさしさんはフォークデュオ・グレープとして1973年にデビューし、「精霊流し」や「無縁坂」などが大ヒットしました。
ですが、1976年にさださんの患っていた病気が原因で解散しました。
その後はソロ活動を始め、「関白宣言」などが大ヒットし、フォークシンガーとして確固たる地位を築きました。
そんなさだまさしさん、現在の活動や、コンサートのチケットがなかなか取れない事などについてお伝えします。
さだまさしのプロフィール
愛称:まっさん
本名:佐田雅志(さだまさし)
生年月日:1952年(昭和27年)4月10日
身長:165cm
出身地:長崎県長崎市
最終学歴:國學院大學法学部中退
所属事務所:さだ企画
さだまさし、現在の活動
2023年、さだまさしさんは71歳を迎えられました。
1973年にグレープとしてデビューしましたので、2023年にはレコードデビュー50周年を迎えられます。
さだまさしさんのホームページのスケジュールを見てみると、毎週2回はコンサートやイベントがあり、テレビやラジオ出演も多く、とても精力的に活動されていることが一目でわかります。
そんなさださんのホームページの中で、一際大きく目立つように書いてあったのが「一夜限りのグレープ復活コンサート」でした。
グレープといえば、さだまさしさんと吉田正美さんによるフォークデュオです。
惜しまれつつ1976年に解散し、再結成を望む声も多くありました。
そんなグレープが記念すべき50周年の夜に、一夜限りのコンサートを開催するようです。
グレープについてと、グレープを解散する理由となったさださんの病気について見てみましょう。
さだまさしと吉田正美のグレープ
さだまさしさんと吉田正美さんは、高校2年生の時に共通の友人を介して知り合いました。
当時は各々バンドを組んでいましたが、プロでやっていく意思はなかったそうです。
大学生になった頃、さださんが病気を患い、大学を中退して故郷である長崎県に帰りましたが、その後を追って吉田さんは長崎に行き、さださんの実家に住むことになったのです。
そしてお2人はグレープを結成し、活動を始めました。
1973年10月25日「雪の朝」でワーナー・パイオニアからレコードデビューしましたが、初めは8000枚しか売れなかったそうです。
1974年に発売した2ndシングル「精霊流し」は発売当初はあまり売れませんでしたが、ラジオ番組から火がつき、年末には第16回日本レコード大賞で作詩賞を受賞しました。
その後は人気フォークグループとして認知され、活動も順調に行っていました。
ですが、1975年にさださんが再び病気を患ってしまいました。
レコード会社に1年間の休養を取らせてほしいと訴えましたが、「1年も休めばファンが離れてしまう。」と言われてしまいました。
そして、ヒットした「精霊流し」や「無縁坂」のイメージが強く、「グレープ=暗い」というパブリックイメージと、自分たちのやりたい事にギャップがある事に嫌気がさし、1976年に解散する事となりました。
グレープはフォークデュオとして大変有名ですが、実は活動は3年間しかしていなかったのです。
グレープはラストコンサートツアーを行い、東京は神田共立講堂でコンサートを行いました。
その神田共立講堂でのコンサートは、伝説のコンサートと呼ばれています。
2022年に一夜限りのグレープ復活コンサートを開催
さださんと吉田さんは、グレープ結成から50周年の2022年11月3日に、復活コンサートを開催する予定です。
さだまさしさんのホームページに「GRAPE 50年坂 一夜限りのグレープ復活コンサート」の特設ページがあり、さださんのコメントが掲載されています。
そこには「一夜限りとは言え、アンコールではありません。GRAPE再起動です。」と、ただの同窓会で終わらせたくない、という強い意思が感じられます。
「GRAPE 50年坂 一夜限りのグレープ復活コンサート」
どうせ当たらないと諦めてたけど申込みしてみんとわからんがね…2次申込受付開始そこに行かないと体感できない感動がある…生きてるうちに会いに行かなきゃ
— じゃじゃまる (@jyajyamaru1204) September 28, 2022
そしてこのコンサートは、グレープ解散時に伝説のコンサートを行った神田共立講堂で開催されます。
コロナ対策で客席を全て解放することはできなく、1700席以上あるうち800弱しか客席が使えないそうで、予算的にも赤字だそうです。
また、客席が少ないためにチケットの倍率も高かったようで「チケット抽選に外れた」というツイートもたくさんありました。
再び同じ場所で伝説のコンサートを見ることができる方は、相当ラッキーですね。
さだまさしの病気は慢性肝炎だった
大学を中退した時も、グレープを解散した原因も、慢性肝炎によるものでした。
グレープを解散した際は療養のために芸能界からも離れ、就職も考えていたそうです。
結果的にソロデビューし、「関白宣言」という大ヒット曲にも恵まれ、確固たる地位を築き上げましたが、病気のために思うような活動ができなかった時は悔しい思いをされたのではないでしょうか。
それ以降は病気による活動休止は経験されていません。
ご高齢ですので、ご健康には気をつけて活動を続けてほしいですね。
天才的なスキルやトーク面白いなどの評判でチケット取れない
さだまさしさんは、天才的なセンスや演奏だけでなく、トークが面白いことにも定評があります。
テレビ番組出演された時も、軽快なトークで場を盛り上げています。
しかも、驚くことにコンサートでのトークだけを集めた「さだまさしトークベスト」という4枚組のCDまで発売されているのです。
さださんがトークが上手なのは、高校時代と大学時代に落語研究会に所属していたためと思われます。
コンサートでのトークも、MCと言うよりは、ほぼ漫談や落語に近い感じです。
新人落語家がさだまさしさんのコンサートに勉強しに来るほどだそうです。
さださんご本人曰く「人生は明るく、歌は暗く」をモットーにしているそうです。
その言葉通り、トークで明るく客席を盛り上げ、いざ歌となると聞いている人の琴線に触れる楽曲で客席を魅了します。
さだまさしさんのコンサートチケットは、いつも発売すぐに売り切れてしまうプラチナチケットになっています。
たとえさださんの曲を知らない人がコンサートに行っても、きっと大満足して帰られるでしょう。
これからも最高のエンターテイナーとして、人々を楽しませてほしいですね。
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