さだまさし、弟は元サッカー選手の佐田繁理。父親や母親の詳細。実家は長崎市の喫茶店

歌手として長年活躍し、多数のヒット曲も発表し続けているさだまさしさん。

弟さんがいらっしゃるようで、なんと弟さんはとても有名な方なんだそうです。

そしてご家族についてや、実家もとても有名なようですが、長崎のどこにあるのかも気になりますよね。

今回は、さだまさしさんの弟や父親、母親、実家は長崎のどこなのかについてお伝えしていきます。

さだまさしのプロフィール

本名:佐田 雅志(さだ まさし)

生年月日:1952年(昭和27年)4月10日

身長:165cm

出身地:長崎県長崎市

最終学歴:國學院大學中退

所属事務所:さだ企画

さだまさしに弟はいるの

さだまさしさんはバンド「グレープ」の元メンバーとして、その後はシンガーソングライターとして活躍をされています。

弟さんがとても有名な方なんだそうですが、いったい誰なのでしょうか?

さだまさしさんの弟は、佐田繁理(さだしげり)さんというお名前です。

なんと日本人で初めて、海外でプロサッカー選手になった方なんですよ。


佐田繁理さんは1954年生まれで、2歳年下です。

そして現在は個人事務所である「さだ企画」の社長を務めているのです。

これまでの経歴を見てみると、長崎南山高等学校を卒業し在学中もずっとサッカーをされていました。

ポジションはフォワードで、長崎南山高等学校時代に長崎県選抜に選出され九州大会にも出るなど当時から注目を集めていました。

高校を卒業したあとは台湾大学へ留学し、そこでもずっとサッカー部で活躍を続けていました。

その留学中には、なんと関係者から日本名を名乗る華僑(かつて中国に生まれ、その後外国に移住していた子や子孫)の子と勘違いされ、サッカー台湾代表の招集をかけられたというのです。

そして、台湾大学でチームメイトの父親がスカウトをしていたという縁もあり、1975年に香港サッカーリーグの東方足球隊へ入団しました。

ですがその時は、台湾大学への復帰も考えていたために「1年」という期限つきで入団をされたんですよ。

実際には8ヶ月という期間で退団し、それからは英語を学ぶためにニュージーランドへ留学。

その後さだまさしさんは個人事務所「さだ企画」を立ち上げることになり、弟に声をかけて事務所を手伝うこととなりました。

そして現在も、事務所の社長を務めています。

まさか弟さんが、海外で日本人で初めてプロとして活躍された方だとは思わなかったですよね。

しかも今もサッカーにも関わり続けていて、2008年3月から栃木県の「FCエルマーノ那須」という中学生年代のサッカークラブの代表も務めています。

兄の仕事を支えるだけでなく、ご自身もきちんとサッカーを続けているとは本当にすごいですよね。

そして今は、兄を支える大切な存在となっています。

さだまさしの父親、母親について

では父親、母親についても見ていきましょう。

さだまさしの父親

父親は、佐田雅人(さだまさと)さんといいます。

さだまさしさんがまだ小さい頃、父は材木商を経営していました。

よって自宅はお金持ちで、なんと10部屋以上もある大きな家に住んでいたそうですよ。

しかし、1957年に諫早は大水害に見舞われてしまい、事業は立ち行かなくなってしまいます。


そこからは豪邸を手放して小さな家に住むようになったのですが、さだまさしさんは雅人さんのことを自叙伝「かすてぃら」でも執筆されています。

父は子供から見ても「悪い人だな」と思える人と付き合ったりしていて、借金を多数抱えていたとか。

さだまさしさんはそんな父のために、「精霊流し」で得た印税でまず父の借金を返すなど父親孝行をされてきたんですね。

そして2009年、89歳でお亡くなりになりました。

さだまさしさんは、これまで父を題材にした楽曲も多く発表されていますね。

やはり父親はかなり大きな存在だったと思いますし、自叙伝「かすてぃら」は遠藤憲一さん主演でドラマ化もされるなど、名作となっています。

さだまさしの母親

母親は、佐田喜代子(さだきよこ)さん。

ご自身の子育てを綴った本「永き旋律―さだ家の母と子どもたち」を発売するなど、有名な方ですね。

さだまさしさんは3歳よりヴァイオリンを習い始め、その後音楽の才能を開花させました。

中学1年生のときヴァイオリン修行のため単身上京するなど、早くから音楽活動を続けてきました。


喜代子さんはそんな息子を、大切に支えてきたんですね。

そして中学生で息子を上京させるのは、たくさんの心配もあったことと思います。

その後2016年、90歳の年齢でお亡くなりになりました。

よってさだまさしさんはご両親を亡くされていますが、とても素敵なご両親に育てられたんだなということが分かります。

さだまさしの実家は長崎のどこ

さだまさしさんは、1952年4月10日、長崎県長崎市で誕生しました。

そして実家は、長崎市にある「自由飛行館」という喫茶店であることが判明しています。

喫茶店のお名前まで判明していて、全国的にも有名な喫茶店なんですよ。

元々さだまさしさんのお母さん、喜代子さんが経営していた喫茶店でした。

すでに亡くなられていますが、その後経営はどうなったのでしょう。

現在は、さだまさしさんの妹さんである佐田玲子(さだれいこ)さんが経営を引き継いでいます。

とてもおいしそうな料理が食べられる喫茶店なんですね。

この喫茶店はさだまさしさんの実家ということでとても有名で、ファンの方を始め多くの方が足を運んでいます。


料理もおいしいと評判で、ぜひ長崎に行った際は足を運んでみたいですね。

そしてさだまさしさんの妹、佐田玲子さんは現在は喫茶店を経営されていますが、かつては歌手として活躍をされていました。

デビューされたのは1981年。

さだまさしさんがプロデュースされたユニット「白鳥座」のメンバーとしてデビューをしています。

1989年に「くらやみ乙女」でソロデビューも飾っていますよ。

それからも、2005年には沢田聖子さんとユニット「THE 4/9」(ザ・フォーク)を結成。

兄と同様「喋り」も得意で、ラジオのパーソナリティを務めるなどラジオでも大活躍をされました。

そんな佐田玲子さんは結婚はされておらず、今は喫茶店を経営中。

才能豊かな兄2人がいらっしゃいますが、ご自身も芸能活動をしていたとは驚きですよね。

このようにさだまさしさんのご家族は、本当に素敵な方ばかりですね。


ご兄妹もそれぞれ活躍を続けており、皆さんが有名だということも本当に素晴らしいことです。

家族で一丸となって、活動をされているんだなということを改めて感じました。

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