人気バンド「ザ・スパイダース」の元メンバーでミュージシャンの、「ムッシュかまやつ」ことかまやつひろしさん。
愛妻と同じ頃にこの世を去っています。
音楽一家の家族に生まれ、親戚には森山良子さんらがいるそうです。
父親は日系アメリカ人で、ジャズを日本で広めたそうですよ。
かまやつひろしのプロフィール
愛称:ムッシュ
本名:釜萢弘(かまやつひろし)
生年月日:1939年(昭和14年)1月12 日
死亡年月日:2017年(平成29年)3月1日
身長:170cm
出身地:東京都
最終学歴:青山学院大学中退
所属事務所:ケイダッシュ
かまやつひろしは愛妻と同じくガンで同時期に亡くなっていた
かまやつひろしさんがすい臓がんで他界したのは、2017年3月1日のことでした。
親族に看取られながら、亡くなったそうです。
こんにちは✨
『大切なのは楽しむこと。
ファンキーであること。
やり続けること。』
(ミュージシャンの
かまやつひろしさんの言葉) pic.twitter.com/0rdDE2c0OW— 吉村龍泉 (@IfMj14I37clBle8) August 5, 2021
しかし病床に、愛妻の姿はありませんでした。
実は、かまやつさんの妻はその数日前に亡くなっていたことが判明したのです。
夫婦ともにがんと闘ってきたそうで、先に逝ってしまったのですね。
かまやつさんより妻の方が、先にがんだと分かっていたといいます。
とても仲の良い夫婦として知られていたので、「亡くなる時も一緒だった」と追悼する友達もいたようです。
馴れ初めは一目惚れ
かまやつさんが妻と運命的な出会いをしたのは、「ザ・スパイダース」に入るより前のことでした。
街を歩いていたところ、目を見張るほどの美人に遭遇。
かまやつさんが、一目惚れしてしまったとのことです。
それから交際が始まり、1963年に結婚。
ちょうどかまやつさんが「ザ・スパイダース」に加入した年だったこともあり、「人気が落ちたらいけない」と妻は最大限の配慮を見せました。
「女性ファンが逃げていったら、夫の仕事に支障が生じる」と危惧してのことだったのです。
表に出ることを一切しない控えめな妻だったので、詳細情報はほとんどありません。
他に分かっているのは、かまやつさんが1歳年下だったということです。
息子への思い
かまやつさんは、息子が「ミュージシャンになりたい」と言った時に猛反対したといいます。
芸能界で活躍する夫を陰で支えていたので、ミュージシャンになるのがどれだけ大変か分かっていたのでしょう。
それを愛息に味わって欲しくなく、地道に人生を送って欲しいという思いがあったのかも知れませんね。
かまやつひろしさんも、「一旦は普通の社会人として世の中を見て欲しい」と考えていたそうです。
ちなみに、息子は2005年にTARO(たろう)かまやつとしてビクターからデビューしています。
かまやつひろしの家族は音楽一家
先に触れたように、かまやつひろしさんは息子・TAROかまやつさんもミュージシャンとしてデビューしていますね。
他にも、音楽に関わる仕事をしている家族・親戚が多くいるようですよ。
広く知られているのは、歌手の森山良子さんやジャズシンガーだった父・ティーブ・釜萢さん。
このお二方は後ほど個別で取り上げさせていただくとして、まだ他にもミュージシャンがいるといいます。
森山良子さんの母・浅田陽子(あさだようこ)さんはジャズシンガーで、かまやつさんの母と姉妹関係にありました。
また森山さんの父で、かまやつさんの叔父にあたる森山久(もりやまひさし)さんはジャズ・トランペッター。
「驚きの女神」は、白髪の女性Anny(安子→アンコ→愛称アニー)でそれを演じてるのは、森山良子さんではないかという説。森山良子さんの父、森山久さんはサンフランシスコ生まれの日系2世で日本のジャズトランペッターの草分け的存在だそう。充分にありえる!!!!#カムカムエヴリバディ #カムカム pic.twitter.com/Y24yxRmLQs
— F子🌙 (@erosyu) March 24, 2022
1910年にアメリカ・サンフランシスコで生まれた、日系人でした。
トランペットを始めたのは、世界的に有名なルイ・アームストロングさんの演奏を直に聞いたことがきっかけ。
大学でもトランペットを専攻したといいます。
その後日本に渡って、ニューパシフィックバンドを仲間と結成。
1990年に80歳で亡くなっています。
その他にも広く知られているのは、森山良子さんの長男・森山直太朗(もりやまなおたろう)さんがシンガーソングライターであることですね。
このように、かまやつさんの周囲には音楽を愛する親戚が多くいることがわかりました。
かまやつひろしは森山良子と親戚関係
かまやつひろしさんは歌手の森山良子さんと、従兄妹(いとこ)関係にあります。
森山さんは19歳だった1967年に「この広い野原いっぱい」でデビューしてから、半世紀以上活躍を続けている歌手ですね。
「涙そうそう」や「さとうきび畑」も多くの人に愛されている名曲です。
2人が従兄妹になったのは、双方の親が関係していました。
かまやつさんと森山さんの父親・久さんが親友で、一緒に仕事をしていたそうです。
先にかまやつの父が結婚した後で、妻の妹と久さんも結婚しました。
父親は親友で、母親は姉妹関係とは、まるで劇中の話のようですね。
普通の従兄妹関係より、さらに密で親しかったことでしょう。
実際に、かまやつさんは亡くなる前に森山さんの自宅で療養していたことがあったようですよ。
かまやつひろしの父は戦後日本でジャズを広めた
かまやつひろしさんの父はティーブ釜萢(かまやつ)さんといい、日本にジャズを広めた方でした。
日系人で、1911年にアメリカ・ロサンゼルス郊外で生まれたそうです。
子供の頃から音楽が好きで、バンジョーやギターを弾いていました。
世界恐慌で日本へ
1920年代後半に、日系アメリカ人で結成されたバンド「ショー・トーキアンズ」に加わります。
しかしちょうどその頃、世界恐慌が起こってしまったのです。
歴史の教科書に載るほど経済的に大混乱を起こした恐慌下では、日系人は仕事をもらえませんでした。
そこで一大決心をして、日本に来たのです。
日本語が不自由というなかで仕事を見つけるのも、たくさんの苦労があったことでしょう。
日米間就航の客船でバンドを組んだ後、ティーブさんは東京でジャズシンガーに。
石井好子(いしいよしこ)さんがボーカルを務めた「ニュー・パシフィック・バンド」に加入し、演奏活動をしていました。
日本初のジャズ専門学校
戦後のティーブさんは、1950年に「日本ジャズ学校」を設立します。
新宿区柏木って現在の北新宿か。でっかい東京未踏の地。ティーブ釜萢校長。日本ジャズ学校(1950)。 pic.twitter.com/KiBWz3KCLn
— 清水雄史 (@yushishimizu) July 10, 2021
これは日本で初めて設立されたジャズの専門学校でした。
卒業生には平尾昌晃(ひらおまさあき)さんやペギー葉山(はやま)さん、日野皓正(ひのてるまさ)さんなどがいます。
後に有名になったミュージシャンが多数、ティーブさんの下で学んだのですね。
息子のかまやつひろしさんも、この日本ジャズ学校に通っていましたがすぐに退学。
実の父親の下で音楽を教わるというのが、体裁的に嫌だったようです。
他の生徒との関係も、なんとなくギクシャクしてしまうのが気になったのかも知れませんね。
かまやつさんがザ・スパイダースに加入する2年前の1961年には、親子でリサイタルを行なっています。
このことからも、父親の学校を退学したものの親子関係は非常に良好だったことがうかがえますね。
実は「ザ・スパイダース」を命名したのは、ティーブさんだったのだとか。
1980年に、69歳で死去しています。
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