南こうせつ(みなみこうせつ)さんのご実家は、大分県大分市にある勝光寺という曹洞宗の寺院であることは有名です。
20243年現在、16代目の住職である南慧昭さんはこうせつさんの実兄です。
こうせつさんのお兄さんだけあって、かなりユニークな説法をされているそうです。
南こうせつのプロフィール
本名:南高節
生年月日:1949年(昭和24年)2月13日
身長:163cm
出身地:大分県大分市
最終学歴:明治学院大学社会学部中退
所属事務所:ベリーファーム
南こうせつの実家は勝光寺、兄が歌う住職!
南こうせつさんのご実家は、曹洞宗勝光寺という建久7年(1196年)に建立されたとされる由緒正しき寺院です。
こうせつさんは三男として生まれました。
南こうせつさんのお兄さんがご住職されている勝光寺さんに参拝🙏 pic.twitter.com/bTepBwUtob
— 山本のおっさん (@zKNa40r1NLLZBOV) September 13, 2020
その勝光寺の16代目住職を務めておられるのは、こうせつさんの実兄である南慧昭さんです。
慧昭さんの経歴をご紹介すると、鹿児島大学を卒業後、マヨネーズでおなじみのキユーピー株式会社に入社。
1966年からサラリーマンとして勤務されていました。
そして1994年から、キユーピーの関連会社である株式会社ヴェルデの社長に就任されました。
2001年には禅宗曹洞宗本山総持寺参禅会に入会し、約1年半座禅を学ばれました。
その頃には住職を継ぐ準備をされていたのではないでしょうか。
そして2003年に勝光寺を継ぐために大分へと帰郷され、同年から修行を始め、住職の資格を取得されました。
それとは別に、こうせつさんよろしくシンガーソングライターとしても活動。
「お坊さんシンガーソングライター」という肩書きでCDアルバム「SIXTY」を制作するなど、音楽家としても活動されています。
その経歴を生かし、いろんな場所へ出向き、歌説法を提供する「出前歌説法」のサービスを始められました。
出前歌説法の動画を見てみると、観客とコール&レスポンスをしていたり、まるでライブのような雰囲気で、全く堅苦しい感じはありませんでした。
弟の南こうせつさんと言えば、ライブのMCが面白いことでも知られていますが、きっと慧昭さんのお話もおもしろいのではないでしょうか。
いつかこうせつさんのライブで共演など、ぜひ見てみたいですね。
母親や父親とのエピソード
南こうせつさんの母親は、南チヱさんです。
こうせつさん曰く、母チヱさんはプライドが高く負けず嫌いな性格をされていたそうです。
子供達には周りに負けないように高価でハイカラな洋服を着せ、運動会の日のお弁当はどこの家よりも豪華にしていたそうです。
実家が寺院のため「いつも仏様がついています」というのが口癖で、婦人会などでは会長になり、民生委員なども務められていたしっかり者だったそうです。
ですが、こうせつさんはそんな負けず嫌いな母の性格が嫌で、反面教師として育ったそうです。
確かにメディアで見るこうせつさんからは「負けず嫌い」のような雰囲気は感じられませんね。
一方、父親は一度も子供達を怒ったりしたことはないような、優しい父親だったそうです。
かぐや姫の「うちのお父さん」の歌詞に出てくる「ニッコリ笑うお父さん」そのままの方だったそうです。
そんな対照的な性格をしている母親と父親ですが、こうせつさん曰く母親はよく父親をイジメていたそうです。
ですが、父親が亡くなり葬儀を終えた後、母親は父親の骨壷の横に無言で座り続けていたそうです。
するとポツリと、「本当は好きじゃなかったのよ」とつぶやき、こうせつさんたち兄弟はずっこけてしまったそうです。
こうせつさんは、その時の母親の言葉が忘れられないそうです。
「好き」「嫌い」という感情を超えた縁や絆があり、何十年も一緒に過ごした中にこそ「夫婦」というものがある、と感じられたそうです。
母親のチヱさんは、2008年5月に91歳で他界しました。
こうせつさんは全国ツアーの真っ最中だったため通夜に参列することはできず、東京・八王子市民会館でコンサートを行っていたそうです。
大分へUターン移住
南こうせつさんは、高校卒業後に明治学院大学へ進学するために上京しました。
そしてかぐや姫としてデビューし大ヒットを飛ばし、ソロ歌手としても大成功を収めています。
そんなこうせつさんですが、2024年現在は大分県に移住されています。
ですが、故郷の大分市ではなく杵築市に住んでおられます。
南こうせつは今も杵築市在住。#nhkr1
— もぐ (@mogu_oita) October 22, 2016
杵築市は、大分県の北東部で国東半島の南部に位置しています。
大分市へは車で50分ほどの距離だそうです。
東京で暮らしていましたが、子供が生まれた頃から河口湖周辺や、富士山の近くなど、自然の多い場所に住んでいました。
九州に住もうと決意しましたが、大分はUターンになるので候補から外していたそうです。
都井岬や薩摩半島方面を考えていたというこうせつさん。
ある時知り合いの不動産屋から杵築市にいい場所があると言われ見に行くと、時々夢の中で見ていた風景と同じだったそうです。
そのことに運命を感じたこうせつさんは、杵築市に移り住むことを決めたそうです。
それ以来、もう40年以上も杵築市に住み続けておられるそうです。
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