日本だけではなく、色々な国で活躍をした投手であった高津臣吾(たかつ しんご)さん。
彼は世界中を飛び回っていましたが、自宅はどのような所にあるのでしょうか。
それとは別に、実家に関しても気になりますよね。
他にも、彼について調べていると「国籍」というワードが目に付きましたので、どういった意味で検索されているのでしょうか。
韓国や台湾でのプレー経験があるので、その関係なのかもしれません。
今回は、高津さんの自宅や実家、他にも国籍に関する話や海外でのプレー経験について調査していきます。
高津臣吾のプロフィール
本名:髙津 臣吾(たかつ しんご)
生年月日:1968年(昭和43年)11月25日
身長:180cm
出身地:広島県広島市南区
最終学歴:亜細亜大学
所属球団:東京ヤクルトスワローズ
高津臣吾の自宅は閑静な住宅街にある!?実家は広島!
高津さんといえば、ヤクルトスワローズで長年活躍した後、メジャー挑戦をしました。
その後に関しても、様々な国でプレーを行い、世界中を飛び回っていましたね。
そして、2023年現在は古巣である東京ヤクルトスワローズの監督として、2021年2022年とセ・リーグ連覇を成し遂げました。
マジックナンバー2で1・2位直接対決を制し、2年連続9回目のリーグ優勝が決まった。
その経歴を見ると、とても華々しいものですよね。
しかし、ここまで忙しい彼ですから、自宅に腰を落ち着ける暇もない生活をしているのではないかと心配になってきます。
余計なお世話かもしれませんが、私生活に関して気になってきますよね。
そこで、彼の自宅について調べてみましたが、あまり情報は多くありませんでした。
しかし、断片的なものは見つかりましたので、確認していきましょう。
自宅前の画像を発見!
高津さんの稼ぎを考えると、自宅が豪邸であることは想像に難くないでしょう。
しかし、当たり前のことながらプライバシー保護の観点から、具体的にどこにあってどんな家なのかという情報はほとんどありません。
昔はその辺りは緩かったのですが、近年はそうではありませんからね。
しかし、調べていると彼の自宅前だと思われる画像が掲載されている記事を発見しました。
ご自宅にお届けにあがると、いつものように満面の笑顔で出迎えてくださる高津コーチ。
古くから当社をご用命頂いております高津さん、奥様共々いつもお世話になっております。
この情報から分かることは、立地は閑静な住宅街の中であろうということと、車庫を有した物件であろうということでしょう。
また、車好きであることも伝わってきますね。
車庫のタイプを見ると、マンションに設置されているものに見えるので、一戸建てではないのかもしれません。
彼の自宅がどのようなものか考察していくと、可能性として高いこととしては、都内の閑静な住宅街にあるラグジュアリーマンションといったところでしょうか。
実家は広島市にあった!
高津さんの実家は、広島市にあるとのこと。
彼が幼い頃に、広島市南区にある比治山町のマンションへ転居しているそうです。
残念な話にはなりますが高津さんの父親がお亡くなりになられた際も、広島市南区で葬儀が行われていることから、そのマンションが実家と言えるのでしょう。
葬儀・告別式は7日午前11時から広島市南区皆実町3の3の19、光徳会館で。
高津さんは広島工業高等学校に通っていましたが、実家から近いことが進学した理由なのかもしれませんね。
遠征で広島東洋カープと対戦する機会は、現役時代・監督時代共に多いでしょうから、実家に顔を見せる機会はあったでしょう。
高津臣吾の国籍は日本!
高津さんのことを調べていると、何故か「国籍」というワードが出てきます。
おそらくは彼の国籍について関心がある人がそれなりにいるということでしょうが、何故なのでしょうか。
彼は広島県で生まれ育っています。
他の国の国籍を持っているという報道が出たこともありませんし、普通に考えたら日本人でしょう。
一部下品な勘ぐりもあるようですが、そういったことから根拠のない噂が広まっているとは考えたくもありませんね。
なので、個人的には彼が多く海外でのプレー経験を持っていることが、そういったワードが検索される理由だと推測します。
NPB、MLB、韓国、台湾、独立リーグを経た、高津臣吾監督の経験値は、矢野燿大監督や原辰徳監督の比ではない。
— こにとよ (@konitoyo) October 28, 2021
根本的な話として、国籍がどこであるかなどと言ったことは、行政的な手続きなどを除いて気にされるべきことではありません。
どんな意図で検索されているのかは不明ですが、あまりポジティブなものに感じられないのは私だけでしょうか。
高津臣吾はアメリカだけではなく韓国や台湾でもプレーしていた!
高津さんが、2004年シーズンにMLBシカゴ・ホワイトソックスに入団したことを知っている方は多いでしょう。
しかし、その後韓国や台湾のリーグでプレーしていることは、意外に知られていないのかもしれません。
宝刀シンカーを武器に日米通算313セーブを挙げた一方で、晩年はけがと闘いながら韓国、台湾、BCリーグと渡り歩いた。
彼がそういった国でプレーしたのは晩年のことになりますが、素晴らしい成績を残しており、最期まで投手として結果を残し続けました。
その実績も評価され、2022年1月14日にプレイヤー部門で野球殿堂入りを果たすことができたのかもしれませんね。
長年に渡って、野球に関わり続けている高津さん。
自宅にいられる時間は少ないかもしれませんが、充実した人生を送っているのではないでしょうか。
彼には東京で活動しているイメージがありますから、実家が広島だったことは少し意外でしたね。
国籍に関する話は別として、韓国や台湾のリーグでプレーした経験があることは興味深かったです。
たくさんの異なる野球に触れてきた高津さんだからこそ、2023年現在監督として様々な状況に対応できているのかもしれませんね。
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