青山テルマ(あおやまてるま)さんは、『ここにいるよ』や『そばにいるね』でブレイクした女性歌手です。
最近では、バラエティ番組での「タイマン」発言をきっかけにヤンキーキャラ・サバサバキャラが定着し人気となり、様々な番組に出演するようにもなりました。
そんなテルマさんの人生は、順風満帆なものとは言い難い波乱万丈なものだったのです。
今回は青山テルマさんについて、父親と母親の離婚や実家、そして複雑な生い立ちを解説していきます。
青山テルマのプロフィール
本名:青山テルマじゅり(じゅりは日本名)
生年月日:1987年10月27日
出身地:奈良県大和高田市
身長:156cm
血液型:B型
出身校:上智大学国際教養学部
活動時期:2007年-
所属事務所:Infinity Music Publishing
青山テルマの父親と母親は離婚
青山テルマさんが2歳のとき、父親と母親が離婚していています。
そしてその後、母親がシングルマザーとして女手一つで育ててくれました。
では父親はどんな方だったのでしょうか。
父親はトリニダード・トバゴ人と日本人のハーフです。
2歳のときに離婚したため、テルマさんは父親についてほとんど記憶にないとのことです。
しかし、疎遠になった父親がその後どうなったのか、最悪なかたちで明らかになってしまいました。
テルマさんの父が、2008年に銃刀法違反と殺人未遂容疑で逮捕されてしまったのです。
当時勤めていた大阪府のレストランをトラブルで解雇されてしまい、その逆恨みで包丁を持って押し入ったとのことです。
結果、殺人未遂についての起訴は免れたようですが、脅迫と銃刀法違反で起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けたようです。
そしてこの事件が起きたのは、テルマさんがちょうどデビューした後すぐにブレイクしていた頃でした。
しかし、そもそも離婚後に父親とかかわりがなかったため、特に何かコメントなどをしたわけでもないようです。
また周囲の反応にしても、せっかくのブレイクに水を差すような騒動に発展するようなことはありませんでした。
その後もテルマさんは父親についてほとんど触れることはなく、ある種とても繊細な話題となっています。
一方、テルマさんにとって極めて大切な存在が、女手一つでこれまでずっと育ててきてくれた母親に他なりません。
トリニダード・トバゴ人と日本人のハーフである父親に対し、母親は日本人です。
つまりテルマさんはトリニダード・トバゴ人と日本人のクォーターということになりますね。
そして母親への感謝の気持ちはずっと変わらないようで、歌手としてブレイクした後には家を買ってあげたそうです。
青山テルマ 大ブレークで母に家をプレゼントも…“転落”の日々に苦悩「家の電気も付けられない」― スポニチ Sponichi Annex 芸能 https://t.co/QX5NJMOmez
— Akira.K (@Solitaire_12227) October 4, 2020
いまテレビで見かけるテルマさんのバイタリティは、もしかしたら自分を育ててくれた強い母親を見て受け継いだものなのかもしれません。
青山テルマの実家は奈良県大和高田市?東京?
青山テルマさんは奈良県の大和高田市出身です。
ただし、子供の頃は離婚や海外移住などが重なっています。
そのため、奈良県に実家が残されているのかどうかは不明です。
テルマさん自身も実家のことについて詳しく語ってはいないようです。
15歳頃に日本に戻ってきてからは、しばらく東京で母親と2人で暮らしていたようですが、今は独り立ちしたとのことです。
そのとき母親と暮らしていた家は東京にあるのでしょうが、その所在地も不明です。
そして、住む場所をこうして転々としてきたという事実が、テルマさんの人生の複雑さを物語っています。
青山テルマの複雑な生い立ち
青山テルマさんの生い立ちは複雑です。
両親の離婚やいじめ、海外移住を経て、音楽の道を志すようになるというもので、なかなか波乱万丈なものです。
青山テルマさんは、学生の頃、苦労したんだなぁ。
テレビで見てます。
いじめ、貧困。
私は、小中、高専、会社とずっとイジメを受けていました。
主に感謝。
アーメン。— アイニイキルZmarkⅢ・シンガーソングライター【公式】 (@AiniIkiruZ3) November 14, 2020
小学生時代に経験したいじめ
まずテルマさんにとって最初の大きな転機は、やはり2歳の時に両親が離婚したことでしょう。
その後、小学校6年生までは母親と2人で奈良県に住んでいました。
その頃は毎日往復4時間もかけて、大阪のインターナショナルスクールに通っていたそうです。
そのために母親が毎日送り迎えをしてくれていたとのこと。
しかし、そんな母親の苦労がありながら、テルマさんの小学校での生活は悲しくつらいものでした。
なぜならクォーターゆえの肌の色の違いを理由に、いじめや差別にあっていたからです。
テルマさんは当時のあだ名は「ゴリラ」だったと語っています。
小学生にありがちな、無邪気で残酷な仕打ちと言えるでしょう。
ただ、そんな小学校生活の中で出会いもありました。
10歳の時からゴスペルを習い始めたのです。
このときが、ある意味では音楽の道への具体的な第一歩だったのかもしれません。
そして12歳のときに、アメリカのロサンゼルスへ母親ととともに移住することになりました。
アメリカでのいじめがヤンキーキャラに影響
この移住には2つ理由があったようです。
まず、インターナショナルスクールの学費が高額で、母親の稼ぎだけでは払えなくなること。
そして、テルマさんがいじめられていたことです。
娘のために一大決心したのでしょう。
しかし、せっかく移住したアメリカの学校でも、テルマさんは再びいじめにあってしまいました。
皮肉にも、今度は日本人であることが理由だったそうです。
ただしテルマさんの方も、おとなしくいじめられることに甘んじていたわけではなく、必死に反抗していたとのこと。
そのときの経験が、いまのヤンキーキャラの原点に他なりません。
その後2002年に一時日本に帰国し、そのとき音楽関係者の目に留まり、テルマさんは音楽への道を真剣に志すようになりました。
そのため同じ年の冬に帰国してからは東京を拠点として、調布のアメリカンスクールに通いながらボイストレーニングを受けるという生活を送るようになったのです。
もはやこの頃にはいじめや差別にあうことはなかったそうです。
2006年にはアメリカンスクールを卒業し、同じ年の9月に上智大学に入学しました。
ヤンキーキャラのイメージが強いですが、実は高学歴でもあるわけですね。
そして2007年、大学と両立しながら『ONE WAY』でついにメジャーデビューを果たします。
2008年に『そばにいるね』が大ヒットして一躍脚光を浴びることになり、それから今に至るわけです。
このようにテルマさんは何度もつらい目にあってきたのですが、それをことごとく乗り切ってきました。
反骨精神が鍛えられざるを得なかったことが理由なのでしょうか。
しかしそれ以上に、やはり母親の存在が大きかったのでしょう。
自分を支えてくれる母親のことを思えば、どんな状況でも負けてられないと思ったのかもしれませんね。
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