女優・篠原涼子(しのはらりょうこ)さん、2022年年末には28年ぶりの紅白出場も決定済。
そんな彼女の父親と母親、兄弟ら家族はどんな人物なのでしょうか。
群馬県の実家で過ごしたころの生い立ちなどもまとめてご紹介します。
篠原涼子のプロフィール
本名:篠原涼子
生年月日:1973年(昭和48年)8月13日
身長:162cm
出身地:群馬県桐生市
最終学歴:桐生第一高校中退
所属事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント(イー・コンセプト)
篠原涼子はハーフ?
篠原涼子さんがハーフと思っている人が一部に見受けられます。
SNS上には「ベトナムなど東南アジア系とのハーフと思っていた」という人がいるようです。
しかし調べた限りではそれを裏付けるような情報も見当たりません。
顔立ちを見る限り、物凄くハーフっぽい顔立ちというわけでもないように思われますが。
いくつになっても綺麗なので、外国の血が混じっているのではと考える方がいるのかもしれませんね。
篠原涼子の父親と母親、母親の事故とは
自身も2児のママである篠原涼子さん。
彼女自身はどのようなご両親に育てられたのでしょうか。
芸能界デビューを応援してくれた父親
中学に上がり、歌手になろうとオーディションを受け始めた涼子さん。
父・勝男さんはそんな娘を応援していたそう。
オーディションで着用する服装は毎回必ずチェック。
娘が履歴書を書くのを助け、貼付する写真も一番よく映っているものを一緒に選んでいたようです。
また娘の脚に切り傷が出来れば、綺麗に治るようにと毎晩クリームを塗ってやったことも。
傷跡が残れば、芸能人になった時に世間に変な脚と言われるのが可愛そうだという親心だったのでしょう。
娘を大切に思い、娘の夢が叶うよう全力で応援してくれる優しいお父様だったようです。
父娘二人三脚でチャレンジした甲斐もあり、その後涼子さんはめでたく芸能界へ。
1994年に発売されたCD”愛しさと せつなさと 心強さと”がヒットするなど、大成功を収めます。
それまで優しく娘をサポートしてきた父でしたが、このブレイクを機に急に厳しく接するようになったのだとか。
いい気になるなよ。いまあるのはスタッフのおかげ。感謝しなくちゃ
若くして大成功した娘が、慢心して自身を見失うことのないようにあえて厳しくしたように見えますよね。
娘を大切に思うが故、心を鬼にして厳しくしたのでしょう。
元夫・市村正親との結婚に猛反対
篠原涼子さんは2005年、俳優・市村正親さんと結婚しました。
世間が祝福した結婚でしたが、篠原さんのお父様は大反対だったそう。
結婚以前の週刊誌の取材には父としての正直な思いを吐露。
やっぱり市村さんの年齢がちょっとね……。世間から見れば“年齢の差なんて”っていうかもしれないけど、いざ自分の娘のことになるとね……。25歳も離れてるんだよ。
市村さんがしっかりして誠実であることは認めつつも、娘と夫婦としてやっていくには年齢差がありすぎると感じていたようです。
また、その当時の2人はアツアツの状態で、しっかり周りが見えていないとも指摘。
結婚後数年は問題なくても、先々のことを考えるとやはり反対だと語っていました。
勝男さんと市村さんは10歳と違わないくらいなので、先々の事を考えると心配になる気持ちは十分理解できます。
5年越しの披露宴の3日後に他界
最後には可愛い娘の幸せを願ってか、結婚を認めた勝男さん。
その頃ご自身は不調を抱え入退院を繰り返す状態だったそう。
それでも2005年、結婚から5年経って披露宴を行った際には、無理を押して祝福にかけつけます。
彼は大切に育てた娘の花嫁姿を見届けると、そのわずか3日後に息を引き取りました。
当初は反対していた結婚だったけれども、2008年の長男出産などを経て、2人を夫婦として認める気持ちが育っていったのでしょうか。
最期に愛娘のドレス姿を見られたのはさぞ嬉しかったことでしょう。
幼くして母親を交通事故で失う
お母様は涼子さんが2歳のころ交通事故で他界。
そのため母親の記憶はほとんどないのだそう。
その後はお父様が男手一つで子供たちを育てたと言います。
主演を務めるのは篠原涼子さん。過酷な運命に翻弄されつつも、狂気ともいえる行動で我が子を守ろうとする母親・薫子役に挑戦します。
そして、子を思う親として、妻の常軌を逸した姿に深く苦悩していく父親・和昌役を西島秀俊さんが演じます。 #人魚の眠る家 pic.twitter.com/bt0vqkzb45
— 映画『人魚の眠る家』公式 (@ningyo_movie) December 17, 2017
近年は母親役を演じることもある篠原涼子さん、遠い日に亡くした自身の母を想うこともあるのでしょうか。
篠原涼子は3人兄弟の末っ子
6歳年上の兄と3歳上の姉のもと、3人兄弟の末っ子として生まれ育った篠原涼子さん。
どちらも一般の方なので詳細なプロフィールは未公開。
しかし篠原さんの思い出話や、彼女に関する週刊誌の取材などから兄弟仲を探ることは出来ます。
3つ上の姉が作ってくれたお弁当
涼子さんがまだ小学生のころには、3つ上のお姉様がお弁当を作ってくれていたそう。
なんでも週に1度お弁当を持参する日があり、その際には当時中学生だったお姉様が手作りのランチを持たせてくれたと言います。
中身は手の込んだものではなかったといいますが、それでも一生懸命作ってくれたお姉さんの姿が浮かびとても嬉しかったそう。
お姉様は事故で亡くした母の代わりに妹にお弁当を持たせてあげようと頑張ったのでしょうね。
早くに母を失った兄弟ですが、それからお互いに支え合って生きて来たのだなと思わされるエピソードです。
離婚については6歳上の兄にも知らせず
2021年に市村さんとの離婚・子供の親権を手放すことを発表した篠原さん。
離婚について兄には連絡をしていなかったようです。
お兄様は週刊誌の直撃取材に対して、離婚につては報道で初めて知って驚いたと明かしています。
離婚前年などはコロナ禍ということもあって顔を合わせていなかったそう。
また親権についてももちろん驚いたとはしつつも、妹の心情は理解している様子も見せています。
お互い不仲だったら、涼子は絶対に親権を渡さないと思うよ。渡したのは、市村さんを信頼しているからこそじゃないかな……
こまめに連絡を取ったり、直接話を聞いていなくても妹のことを分かっているという印象の兄。
難しい境遇で一緒に育ってきた兄弟には強い絆があるのでしょう。
篠原涼子の実家はどこ、気になる生い立ちは
篠原涼子さんは群馬県桐生市生まれで実家もこちらにあります。
2013年から桐生市観光大使を務めていることもあり、同市の出身であることは知っている方も多いのでは。
芸能界で活躍するようになってからも年1、2回は実家のある地元に帰省しているそうです。
幼少期は渡良瀬川のまわりを友達と走り回り、かくれんぼをするなど自然の中ですくすくと成長。
また小学校の頃には中森明菜さんのファンになり、自分も歌手になりたいと考えるようになったのだとか。
中学は地元の広沢中学校へ進学。
このころから少しやんちゃになったようです。
以前”今夜くらべてみました”に出演した際には、他の群馬出身のゲストらと共に地元ヤンキー事情を披露。
またある週刊誌には、中学のころの写真ではロングスカートをはき、ヤンキーの間で流行っていた長いリボンをつけたツッパリスタイルだっとあります。
さらに中学の卒業式には彼女を祝うため暴走族が登場したなんていうエピソードまで。
しかし一方では、普通の女の子と同じように甘酸っぱい青春も謳歌していたようです。
以前テレビ番組で母校を訪れ、玄関の下駄箱で憧れの先輩に告白し、OKの返事を貰ったという青春の1ページを披露していました。
今でも美しい篠原さん、中学のころもさぞかし可愛かったでしょうから、告白された先輩も興奮したに違いありません。
またこのころから夢を叶えるべく積極的にオーディションを受けるようになったようです。
自分から夢をつかみに行ったガッツが素晴らしいですね。
高校は地元の群馬県立桐生第一高等学校に入学しますが高1で中退。
15歳の終わりには東京へ引っ越し、地元を離れて暮らすことになりました。
世間より早く家族と離れて暮らすようになった彼女、とあるインタビューで自身の反抗期について次のように話しています。
私は(世間で言う)反抗期真っただ中の15歳の終わりくらいに上京したので、まったく反抗期はなくて、むしろ、親には感謝していました。
離れて暮らしていたからこそお父様や家族の愛情・ありがたみを素直に認めることが出来たのでしょう。
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