桑田佳祐、家系図に百貨店経営者あり。姉は作詞家、父親&母親は実業家で実家は金持ち?

サザンオールスターズの桑田佳祐(くわたけいすけ)さんの家系図や実家が気になります。

桑田さんだけでなく、実姉も音楽関係の仕事をしていました。

父親と母親は、複数の事業を手がける実業家だったそうですよ。

桑田佳祐のプロフィール

愛称:佳ちゃん、スケちゃん

本名:桑田佳祐(くわたけいすけ)

生年月日:1956年(昭和31年)2月26日

身長:170cm

出身地:神奈川県茅ヶ崎市

最終学歴:青山学院大学経営学部除籍

所属事務所:アミューズ

桑田佳祐の家系図に百貨店経営者、実家は茅ヶ崎

ここでは、桑田佳祐さんの家系図や実家について見ていきましょう。

家系図には地元の太田屋百貨店の経営者がいた

桑田佳祐さんの家系は、商売に長けているようです。

母方の先祖は、昭和初期に茅ヶ崎の東海道沿いで「太田屋百貨店」を経営していたのだとか。


桑田さんの両親も経営者ですし、自身もミュージシャンとしてはトップに立っていますよね。

「こうすれば成功する」というのを、生まれながらにして身につけていたのかもしれません。

桑田さんのいとこも、茅ヶ崎で焼肉店を営んでいたことがわかっています。

桑田さんの妻は、同じサザンオールスターズのメンバー・原由子(はらゆうこ)さん。

彼女の実家も、商売をしているようですよ。

横浜市内に、老舗の天ぷら店「天吉」を開いています。

サザンのファンからすれば「聖地」の一つにあたり、とても愛されているそうです。

天ぷらの中でも豪華なものと言えば「えび天」でしょうが、いつしか原さんはえびアレルギーになってしまったのだとか。

実家の美味しいえび天が食べられないなんて、かわいそうですね。

桑田佳祐の実家は神奈川の茅ヶ崎

桑田佳祐さんの歌によく出てくるのが湘南一帯ですよね。

これは、茅ヶ崎出身だから地元を愛するあまりに使っているのでしょう。

湘南出身者でなくても、美しい海や景色に魅せられてファンになっている人は多い場所です。


父親の久司さんは満州から引き上げて、福岡・北九州市に住んでいました。

それから神奈川茅ヶ崎市内に定住したようです。

桑田佳祐の姉は作詞家の岩本えり子

桑田佳祐さんには姉が1人おり、岩本えり子さんという方でした。

1952年生まれなので、4歳年上の姉ということになりますね。

えり子さんは、12歳でビートルズの大ファンになったそうです。

このことは、桑田佳祐さんにも大きな影響を与えたといいます。

一緒にビートルズをはじめ、エリック・クラプトンやボブ・ディランなどを聴いていたのだとか。

桑田さんの楽曲がどこか洋風でおしゃれな雰囲気を醸し出していたのは、聴いていた音楽が自然に染みついたからではないでしょうか。

えり子さんは、高校を卒業後20歳で岩本知世(いわもとともよ)さんという方と結婚。

アメリカのカリフォルニア州で暮らしていたそうです。

モントレー大学卒業後、通訳として活躍しました。

この大学は、通訳・翻訳部門に強い大学として知られています。

アメリカと日本では教育システムが異なり、大学での勉強は寝る間も惜しんでやっとこなせるそうです。


えり子さんは母語ではない英語も駆使して、きちんと卒業されたのですね。

桑田さんが姉に歌詞の英訳を頼んだりアドバイスを求めたりしていたそうですが、それも信頼していたからこそでしょう。

乳がんになったのは43歳だった1995年。

進行がんでしたが、治療に専念して治した後帰国しました。

再び茅ヶ崎で暮らし、地元に貢献し始めます。

2005年には茅ヶ崎の海の景観を守る活動を開始。

「茅ヶ崎・浜景観づくり推進会議」の代表になりました。

高層マンションの建設計画などに反対し、中止させることに成功。

えり子さんの願いは「茅ヶ崎をいつまでも美しいままに」ということでした。

しかし、2008年に今度はすい臓がんにかかり、56歳の若さで亡くなってしまったのです。

えり子さんには息子が1人おり、2023年には32歳になっているようです。

桑田佳祐、父親と母親が実業家で実家は金持ち?

それでは、桑田佳祐さんの父親と母親がどのような方なのかを見ていきます。

父親は音楽好きな経営者

桑田佳祐さんの父親・久司さんは昭和の初め頃に生まれたそうです。

若い頃に満州に渡り、開拓民として働きました。


第二次世界大戦で日本が負けた後に帰国した後は、様々な職業を転々としたといいます。

インテリアデザイナーだったという話もありますし、映画館「大国館」の支配人をしていた時期もありました。

映画監督・小津安二郎(おづやすじろう)さんの運転手をしていたこともあったそうですよ。

ひょっとしたら、かなり苦労して子供達を育てた時期があったのかもしれませんね。

それでも桑田さんが小学校高学年から住んでいた家は、かなり立派だったことがうかがえます。

当時としては珍しかった、おしゃれなLDKがある家に住んでいたそうなのです。

久司さんは音楽が大好きで、当時レアだったステレオを所有していたそうです。

そのステレオで聞いていたのは日本の歌謡曲ではなく、ジャズやマンボなどの洋楽だったとか。

幼かった桑田さんも、姉と仲良く洋楽にたっぷり浸って育ったのですね。

久司さんは2004年に77歳でこの世を去りました。

母親も料理店やバーを経営していた

桑田さんの母親・昌子さんは、西洋料理店で支配人として雇われていました。

後には両親でバーを共同経営していたようで、とても忙しかったようです。

桑田さんは姉のえり子さんがいたおかげで、親のいない寂しさが埋まっていたのではないでしょうか。

姉を大事に思って慕っていたのも、幼少期からの影響が強く残っているようですね。


昌子さんは1994年に亡くなっていますが、当時の年齢は分かりませんでした。

桑田さんは、亡き母への思いを込めた曲「JOURNEY(ジャーニー)」を発表しています。

関連記事
桑田佳祐と妻・原由子の絆!妻の病気は結婚前。浮気スキャンダルも離婚せず&結婚馴れ初めまとめ

桑田佳祐は天才!歌い方にクセあるも上手い&歌唱力の凄さ。抜群の歌詞センスと海外の反応

桑田佳祐、2人の息子に職業や病気の噂。祐宜はバンドマン。洋輔は一般人&孫はいない?

桑田佳祐の学歴は青学二部を除籍。高校は名門・鎌倉学園。中学&小学校は茅ヶ崎市

桑田佳祐、現在(2023)の活動。過去の病気は食道がん。小ダメージの手術方法。再発なし&原因は?

桑田佳祐の自宅は目黒の豪邸。茅ヶ崎の実家と鎌倉の別荘。学生時代に通ったパン屋が閉店

桑田佳祐、生涯年収70億で資産100億?愛車は軽自動車。特製腕時計&マルコムXのメガネ