平井 堅(ひらい けん)さんは「瞳をとじて」などのオリジナル曲を発売する一方、名作「大きな古時計」を中心としたカバー曲でも注目を集めました。
歌唱力に加えて学力も優秀だったらしく、アメリカへの留学も話題になっているそうです。
今回の記事では平井さんの学歴や英語留学の挫折についてクローズアップしてみました。
平井堅のプロフィール
本名:平井 堅(ひらい けん)
出身地:三重県名張市
生年月日:1972年1月17日
主な作品:「瞳をとじて」「POP STAR」など多数
平井堅は第二志望の横浜市立大学を卒業
まずは平井堅さんの出身大学と受験を失敗した意外な理由を見ていきましょう。
平井さんは神奈川県横浜市にある「横浜市立大学」の商学部へ入学をしています。
商学部を選んだ理由は明らかにされていませんが、同学部は2005年の学部改編(商学部、国際文化学部、理学部の統合)で国際総合科学部に移行されて消滅しました。
大学受験は小学生の頃からファンだった「サザンオールスターズ」の生誕の地である青山学院大学が第一志望でしたが、母親が願書を出し忘れて受験ができなかったそうです。
偏差値はそれほど大きな差はないので願書さえ出していれば合格できていたかもしれませんね。
平井さんのサザンへの想いは横浜市立大学在学中も変わることなく、軽音楽部ではサザンのコピーバンド「YAYA」を結成して精力的に活動しました。
サザンへの想いが収まらない平井さんは桑田佳祐さんの自宅を訪れ、門の上に”コーラスでいいので雇ってください”という手紙とデモテープを置いて帰ったことは有名な話です。
残念ながら熱意は及ばず大学時代にお呼びは掛からなかったそうですが、2003年に放送された「桑田佳祐の音楽寅さん MUSIC TIGER」で念願の共演を果たしました。
一方、音楽活動自体はとても順調で、在学中にソニーミュージックのオーディションに入選して契約、卒業後の1995年にシングル「Precious Junk」でメジャーデビューをしています。
大学時代の学業について目立った情報はありませんでしたが、大好きな音楽に打ち込んで芸能界への道を切り拓いた大学生活だったと言えるでしょうね。
ちなみに、横浜市立大学と横浜国立大学は似て非なるものなので間違いには注意しましょう。
平井堅の出身高校は三重県立上野
平井堅さんは地元の名張市にある小学校と中学校を卒業し、隣の伊賀市にある「三重県立 上野高校」に進学をしています。
上野高校は県内でも屈指の進学校として知られており、毎年のように東京大学や京都大学などの難関国立大学に卒業生を輩出。
また、学問のみならず芸術界にも多くの人材を輩出しており、俳優の椎名桔平さんや”ばくざん先生”で知られた書家の榊 莫山(さかき ばくざん)さんも同校の卒業生です。
当の平井さんは部活動には参加をせずサザンのコピーバンドを作ってライブ活動に励み、練習も兼ねて近所のカラオケボックスに入り浸るという日々でした。
加えてカラオケの費用を稼ぐためにゴルフ場でキャディーのバイトも頑張っていたそうですが、それでも成績は悪くなかったそうなので元から頭が良いのかもしれませんね。
ちなみに、デビューした1995年に母校の学園祭でコンサートを行った際、学校のフトコロ事情を心配してギャラを辞退したのは有名な話です。
平井堅の英語留学は失敗に終わる
最後に平井堅さんが秘かに英語留学をしていたという件を見ておきましょう。
平井さんは彫りの深い顔立ちからハーフと間違われることも度々あり、飛行機に乗るとキャビンアテンダントの方に英語で話しかけられるのも珍しくないとのことでした。
外見で「英語が話せそう」という理不尽なプレッシャーを受けている平井さんですが、ハーフでも英語が得意だったワケでもないので英語はほとんど話せません。
そんな平井さんがニューヨークに語学留学をしたのは2003年頃のことでした。
留学の理由は勉強をしたいという思いよりも、「楽園」や「大きな古時計」のヒットで自分に注目が集まり、ミスを恐れて歌うことが怖くなって日本を飛び出してしまったそうです。
念願のヒット曲によって手に入れたのが「楽園」ではなく「地獄」だったのは皮肉な話ですね。
ニューヨークにマンションを購入して英語の勉強に励みましたが、思っていたよりも語学力が向上しなかったことにショックを受け、わずか3ヶ月で帰国を決断することになりました。
英語を習得できなかった点については学力の問題よりもニューヨークでの慣れない歌手活動が重荷となり、精神的に不安定になっていたことが大きかったとされています。
しかし、異国の地でたまたま聴いた美空ひばりさんの日本語の歌に大きな感動を受け、日本語の響きや意味、美しさや難しさを再認識したことは大きな収穫と言えるでしょう。
「アナザースカイ」の番組 平井堅さんだった。14年前NYに語学留学したが、なかなか英語力がつかず挫折した話とか、その時にたまたま聴いた美空ひばりさんの日本語の歌に感激。「NYで暮らして、イケてるニューヨーカーになって、たまに東京に戻って仕事する」(あれ、たかちゃんのこと)🗽💕➡
— 桜子 (@sakurako375) August 26, 2017
2004年に発表した「瞳をとじて」は従来の作品よりも一皮むけた仕上がりとなり、販売枚数だけでなくクオリティの高さもあって平井さんの代表曲と評されるまでになりました。
英語留学という点に限れば挫折して失敗に終わったと言えますが、アーティスト・平井堅としては大きな飛躍を遂げるきっかけとなった濃密な3ヶ月だったと言えるでしょう。
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