東国原英夫の若い頃はヤンチャ!悪い父親と愛人の母親、過酷な生い立ち&ハンドボールが得意

芸能界から政界に進出した人の代表として有名な東国原英夫(ひがしこくばるひでお)さん。

「たけし軍団」「どげんかせんといかん」などのワードは、特に切っても切り離せないものでしょう。

では、芸能界と政界での活躍からはわからないプライベートはどのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は、東国原英夫さんの私生活について、若い頃のことや、父親や母親という家族関係、ハンドボールとの関係、生い立ちについて紹介していきます。

東国原英夫のプロフィール

別名義:そのまんま東

生年月日:1957年9月16日

出身地:宮崎県都城市

出身校:専修大学経済学部経済学科卒業、早稲田大学第二文学部社会・人間系専修卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科中退

身長:170cm

血液型:B型

芸能活動期間:1981年-2006年

政界在任期間:2007年1月21日-2011年1月20日(宮崎県知事)、2012年12月21日-2013年12月17日(衆議院議員)

所属事務所:シンクバンク

所属政党:無所属

東国原英夫は若い頃ヤンチャでモテた?

東国原英夫さんは、今では政治家も経験したこともあって、知識人という印象が強いですが、若い頃はかなりアクティブで、少々ヤンチャな面もありました。

まず学生時代ですが、高校時代は部活動に真剣に打ち込むところもありましたが、それだけにとどまらない活発な少年だったようです。

中学時代は生徒会長を務めたこともある一方でいわゆる不良少年でもあったらしく、高校時代にもその手の人間たちとの関係は継続したとのこと。


さらにそれだけ活発な少年ということもあり、なかなかモテていたそうです。

高校時代にはバレンタインデーにたくさんチョコをもらったとか。

大学受験に関しても、ヤンチャゆえの無鉄砲さが影響した逸話があります。

なんでも、受験のために親から渡された費用を一部勝手に使いこんだとのことです。

そのため、入学手付金の問題から、すでに合格が決まっていた第三志望の専修大学への進学を決意。

しかしその後、実は第一志望の早稲田大学と第二志望の明治大学にも合格していたことが判明。

にもかかわらず、入学手付金が払えなかったため、親には落ちたと話したそうです。

大学時代もバイト三昧で、ろくに通わなかったとか。

そして在学中にテレビ番組の企画に出演し、それをきっかけにビートたけしさんに弟子入りすることとなり、芸能界への切符を手にしたわけです。

それでも、大学は一応卒業できたそうですが。

それから芸人として出発した東国原さんは、たけしさんの最初の弟子として、軍団の中心人物として大暴れしていくことになりました。

その結果と言っていいのか、逮捕されることもあり、数多くの不祥事を起こしています。

女性関係のトラブルも多いことは、学生時代のモテっぷりが尾を引いていると言えるのかもしれません。

このように見てみると、東国原さんは学生時代からずっと、まじめな一面とヤンチャな一面が常に同居していたことがわかります。

東国原英夫の荒れた父親と愛人の母親、波乱万丈の生い立ち

東国原英夫さんは、たけし軍団の一員として芸能界で活躍したり、宮崎県知事として辣腕を振るう面ばかり注目されています。

しかし実は、その生い立ち自体が、なかなか波乱万丈に満ちたものとなっているのです。


ここでは芸能界や政界での華々しい活躍よりも、主に私生活に着目した点を紹介していきます。

まず、そもそもの生まれからして特殊な環境でした。

不動産業を営んでいた東国原さんの父親の名前は、西村英次さんというそうです。

実は別に家庭があったらしく、事実上東国原さんは妾の子という扱いだったそうです。

鹿児島県出身の母親は、名前をタミさんというそうです。

西村英次さんとは入籍をしておらず内縁の妻の状態であり、つまりその位置づけは愛人だったということでもあるわけです。

正式な結婚はしていなかったもののそれなりの生活だったらしいのですが、父の仕事の影響か、なんと家が放火されたことがあったようです。

それ以降、父親は荒れることも多くなったとのこと。

その後、父親は愛人である母に捨てられるかたちで、別れることになりました。

それは東国原さんが8歳のときのことで、それ以降父に会うことはなかったそうです。

そのうえ、父親は後に仕事に失敗し自殺してしまったとのこと。

結果、幼い東国原さんは母に引き取られることになりましたが、姉が1人いました。

姉の名は栄子さんというそうです。

そこから、3人家族による再出発となりました。

それから母親タミさんは結婚し、その新しい父の苗字こそが「東国原」。


新たな父の名は、東国原利夫さんというそうです。

この新たな父は、母と同じく鹿児島県出身ですが、いまは父と母はともに宮崎にすんでいるとのこと。

姉も鹿児島に住んでいるとの情報です。

ただ、母のタミさんは認知症になったらしく、その介護の壮絶さに、父や妻とともに向き合っていると本人が語っています。

暴力は振るう、理不尽なことですぐ怒るなどという症状のため、暴れる母の手足を縛ったこともあるといい「そういうのは辛かった」と打ち明けた。

介護に疲れた父親も倒れてしまったというが、そこで頑張っているのが、一昨年再婚した妻の春香さん(38)。東京で仕事をする東国原は月に1度程度しか戻れないため、代わって宮崎に住み、介護士の免許も取得。週2回、義理の両親の面倒を見てくれているという。「やっぱり心苦しい。血のつながりはないですから。かいがいしくやってくれ感謝です」と頭を下げていた。

幼少のころから特殊な環境で暮らしながらずっと支えてきてくれた母親だからこそ、その認知症発祥と、それゆえの介護には思うところもあるのでしょう。

なかなかハードな家庭環境で幼少時代を過ごしたというわけです。

その家庭環境の影響とまでは言いませんが、東国原さん本人も、結婚生活に関してはこれまで苦労してきたようです。

2回の離婚を経て、今の妻との結婚は3回目のものになります。

これだけの人生経験経ながら、さらには芸能界を息抜き、魑魅魍魎が跋扈する政界でも活躍していたと考えると、その知的サバイバル能力がすさまじいと言えるでしょう。

東国原英夫はハンドボール部で全国大会出場経験アリ、スポーツタレントとしても活躍

東国原英夫さんの特技は、ハンドボールです。

高校時代にハンドボール部に所属し、キャプテンも務めたそうです。


しかも高校総体にも2年連続で出場するほど、部活動に打ち込んでいたとのこと。

とくに高校2年のときに出場した時にはベスト4という結果を残しました。

それだけの実績を残すだけの実力を存分に発揮し、芸能界に入ってからもテレビ番組などにおいてハンドボールで活躍したりしたようです。

それからもハンドボール関係のMCや解説も数多く務めました。

そうした功績を認められ、日本ハンドボール協会から名誉ナショナル選手として表彰されたことがあるそう。


現在でもハンドボールに関する情報をSNSで発信したり、スポーツ系のバラエティ番組で実際に試合するなど、活躍を続けているようです。

今では芸人やタレントがスポーツで活躍する姿を見せ、そのスポーツの知名度や人気を上げることに貢献するところをよく見かけます。

その意味で東国原さんは、スポーツタレントとしては先駆けのような存在だったと言えるかもしれません。

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