鮎川誠の自宅は下北沢。サングラスとメガネがトレードマーク&愛用ギターは黒のレスポール

鮎川誠さんは日本のパンクロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダーで、ボーカル兼ギタリストでした。

1970年代に一大ブームになった、博多発のめんたいロックの草分けの1人です。

2023年1月に亡くなるまで、ブレなかったパンクロック精神には数多くのロックミュージシャンが憧れ、カリスマ的存在でした。

そんな鮎川誠さんの自宅があり、40年以上暮らした下北沢についてや、トレードマークのサングラスやメガネ、ギターなどについてお伝えします。

鮎川誠のプロフィール

本名:鮎川誠

生年月日:1948年(昭和23年)5月2日

没年月日:2023年(令和5年)1月29日

身長:180cm

出身地:福岡県久留米市

最終学歴:九州大学農学部卒業

鮎川誠の自宅は40年住んだ下北沢

鮎川誠さんは福岡県久留米市で生まれ、福岡でバンド活動をしていました。

1976年に、後に「シーナ&ザ・ロケッツ」でボーカルを務めるシーナさんと結婚し、お子様を出産されました。

そして、1978年にお子様を地元に置いて上京しました。


上京の裏にはシーナさんの父親の励ましがあったそうです。

そして2人は下北沢に住むことになりましたが、それから40年以上、シーナさんも鮎川さんも最期の時を迎えるまで下北沢に住み続けました。

鮎川誠さんにとって下北沢の良さは、シーナさんの実家があった福岡県若松市のように、ご近所さんとのつながりが持てたことだったそうです。

まだ若い頃はアパートの隣人すら鬱陶しいと思っていたそうですが、お子様が生まれてから考えが変わったそうです。

福岡県若松市は町の人たちが声をかけてくれて、自分たちを受け入れてくれたような気がしていたそうです。

そして、下北沢にも同じ空気を感じていたそうです。

行きつけのタバコ屋さんや八百屋さん、肉屋さんたちが顔見知りになり、まるで地元のようなあったかさで迎え入れてくれた事が、下北沢を愛するきっかけになりました。

また、下北沢にはライブハウスや楽器店なども多数あり、ミュージシャンとしては夢のような街です。

鮎川誠さんも頻繁に下北沢のライブハウスでライブをされていました。

下北沢についてのインタビューで、自由であることを受け入れてくれたのが下北沢だった、と語っていました。

トレードマークのサングラスとメガネは、始めはコンプレックスだった

鮎川誠さんは常にサングラスか黒縁メガネを着用していました。

アメリカ人とのハーフということで、スタイルも良く、彫りの深い顔立ちに、サングラスや黒縁メガネはとても似合っていて、トレードマークとなっていました。

2008年に、メガネブランドのパリミキが大人向けに展開しているアイウェアブランド「IKI」と鮎川誠さんのコラボレーションしたサングラスが発売されました。

わずか半年間のみ店頭で限定発売されていたそうですが、当時から入手困難だったそうです。


鮎川誠さんがメガネをかけはじめたのは高校生の頃だったそうですが、実は始めはコンプレックスに思っていたそうです。

ですが、ピーター&ゴードンのピーター・アッシャーが、目が悪くなってしまった事に落ち込んでいた鮎川誠さんに勇気を与えくれました。

当時はまだ鮎川誠さん曰く「学校の先生みたいなメガネばっかりだった」そうですが、メガネ屋の端っこに置いてあったピーター・アッシャーがかけているような黒縁メガネを見つけ、それを購入したそうです。

また、ジョン・レノンがメガネをかけはじめた時も、刺激を受け、同じようなメガネを求めてメガネ屋に行ったそうです。

鮎川誠さんは、サングラスの奥の瞳を見るととても優しそうな目をしています。

本当は照れ屋で、それを隠すためにずっとサングラスや黒縁メガネをかけていたのかもしれませんね。

「ブラックビューティー」と呼ばれる愛用ギター

鮎川誠さんの愛用ギターと言えば、「ブラックビューティー」と呼ばれる1969年製ギブソンの黒いレスポール・カスタムです。

このギター以外のギターを持っている鮎川誠さんは想像できない、と言われるほど常にブラックビューティーを演奏し続けていました。

実はこのブラックビューティーは、鮎川誠さんが上京する時に地元の友人方譲り受けたものでした。

シーナ&ザ・ロケッツとして成功してからもそのギターを使い続け、ボロボロになったので同じ黒のレスポール・カスタムを購入しましたが、「同じ音が鳴らない」と、結局40年以上前に譲り受けたブラックビューティーを弾き続けたそうです。

ブラックビューティーは、黒い服装を好んで着て、長身でスタイルのいい鮎川誠さんにぴったりのギターでした。

2023年2月4日に営まれた鮎川誠さんの「ロック葬」でも、ブラックビューティーを抱える鮎川誠さんの写真が遺影として使われました。


また、鮎川誠さんが亡くなった際に、布袋寅泰さんは「自分が黒のレスポールを使えなかったのは、鮎川さんがかっこよすぎたからです」とツイートしました。

鮎川誠さんはまだ、2015年に亡くなったシーナさんと一緒に、天国でロックを鳴らし続けているのではないでしょうか。

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