国民的大人気映画「男はつらいよ」シリーズに登場するタコ社長(役名・桂梅太郎)として人気を博した名優、太宰久雄(だざいひさお)さん。
俳優として活動されてからも、あまりご自身のプライベートは明かされることが少なかったようです。
今回は息子さんを交通事故で亡くされたことや太宰さんの若い頃から晩年、残された遺言ついてお伝えします。
太宰久雄のプロフィール
本名:太宰久雄
生年月日:1923年(大正12年)12月26日
没年月日:1998年(平成10年)11月20日(享年74歳)
出身地:東京都台東区浅草
出身校:昭和第一高等学校(日本大学商学部中退)
息子が若くして亡くなった理由は交通事故
太宰久雄さんは女優・小野舜子(おのしゅんこ)さんと結婚され男の子を授かりました。
しかし1970年にがんで小野さんが亡くなられてしまい単身で息子たちの世話をしていたそうです。
息子たちのためと家事などの一切をこなしていたことからも家族思いな面が伺われますね。
その中で、さらに息子を交通事故で失うことになります。
撮影所にはプライベートなことは持ち込まないと決めていた太宰さんは、息子を亡くしたことを周囲には一切伝えなかったようです。
その翌日の撮影、大声で笑う演技をしなければいけないのに我慢できずに泣き崩れてしまったそう。
奥さんに続いて愛息まで亡くなられたことは大変な悲しみだったと思われます。
若い頃は俳優志望ではなかった
太宰久雄さんは東京・浅草の海苔問屋で生まれました。
学生時代は俳優志望ではなく実家を継ぐ予定だったそうですが、東京大空襲により店が全焼してしまいます。
戦争が終わり、生活を立て直すためにとNHK東京放送劇団に入団しました。
そこで特徴的な高い声が評価されてラジオの声優として仕事をはじめます。
太宰さんの声が高い理由は中学時代の軍事訓練中、真近で機関銃の音を聞いて以来耳の調子が悪くなったからだとか。
学生の頃はこの高い声が悩みでしたが、俳優業に活かせることが出来て嬉しかったそうです。
「男はつらいよ」の共演者たちとの出会い
入団後、「男はつらいよ」シリーズでのちに長く共演する三崎千恵子(みさきちえこ)さんと知り合います。
さらに演技の幅を広げるためフリーの俳優として活動をはじめてからは、テレビのほか映画にも活躍の幅を広げていきました。
そして1966年、山田洋次(やまだようじ)監督による渥美清(あつみきよし)さん主演ドラマ「泣いてたまるか」に出演します。
渥美さんとの掛け合い場面が面白いと注目され、これが「男はつらいよ」の寅さんとタコ社長の掛け合いのきっかけになりました。
今見ても二人のテンポの良い掛け合いが面白くて思わず笑ってしまいますよね。
寅さんとタコ社長が取っ組みあいの喧嘩をするシーンを撮影するときは、渥美さんの手加減の仕方が絶妙で全然痛くなかったそうです。
共演者の前田吟(まえだぎん)さんによると太宰さんは本当はシャイで、人前で演技をすることが苦手だけど、一生懸命努力されているとか。
そのせいか前田さんが太宰さんと喧嘩をする撮影では、一生懸命殴ってくるからとても痛いと笑い話になっているようです。
また、タコ社長は中小企業の社長という役柄を活かしたCMにも出演されました。
太宰さんは「男はつらいよ」シリーズ第1作~第48作まで出演され、その合間にも山田さんの別のドラマ作品に出演されています。
こちらは植木等(うえきひとし)さんが主演されて話題になったようです。
晩年の過ごし方と死因について
太宰久雄さんは1977年、三崎千恵子さんに紹介された雅子さんと再婚されます。
「男はつらいよ」をはじめ沢山の映画やドラマ、CMにも出演されますが、1987年頃より糖尿病が悪化して闘病生活を送りはじめました。
病気の原因は、仕事のストレスによる飲酒が原因だとか。
段々と痩せていく太宰さんを心配する共演者たちに「これじゃあタコじゃなくてイカ社長だよ」と言って笑わせたそうです。
ご自身が大変な状況なのに場を和ませようとする優しい人柄が伝わりますね。
糖尿病の治療に専念するため仕事を控え、1995年度の「男はつらいよ・寅次郎紅の花」が最後の出演作品となります。
これは1996年、糖尿病による視力低下の検査を受けた際にがんが見つかり告知されたためでした。
闘病の末に
入院することになった太宰さんは、病院のベッドの上で渥美清さんが亡くなったことを知らされます。
長年共演したかけがえのない存在である渥美さんの死は相当なショックだったことでしょう。
「つらい、役者を辞めたい」とお見舞いに訪れた山田洋次さんに何度も相談したそうで、そんな太宰さんを優しく励まし引き留めたとか。
「寅さんとのお別れの会」に出席した後、自分への見舞いを一切断り誰にも会わなくなったようです。
そして1998年11月、胃がんにより東京大学医学部付属病院にて死去されました。
妻・雅子さんに残された遺言とは
太宰久雄さんの死は亡くなった10日後、世間に公表されました。
その際に妻の雅子さんに残された遺言も明かされ、その内容が朝日新聞の「天声人語」にも取り上げられて話題となります。
「葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者の為に煩わさるべからず。平成9年2月26日 太宰久雄」
調べてみるとこちらは日本の洋画家・梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)が残した言葉によるものだそうです。
「葬式無用
弔問供物固辞する事
生者は死者の為に煩わさるべからず」
生前、太宰さんはこうした絵画などの沢山の芸術に触れて、その素晴らしい演技力をより磨かれていたと思われます。
そして、自分自身よりも他者をいたわる素敵なお人柄だからこそ、この言葉を雅子さんから全ての人に伝えたかったのではないでしょうか。
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