勝新太郎の息子・鴈龍は若い頃に逮捕歴と真剣事故。死因は急性心不全、結婚せず&母から絶縁

昭和の伝説の俳優・勝新太郎(かつしんたろう)さん。

ご本人があまりにも偉大であると同時に破天荒としても有名だったため霞みがちですが、息子に鴈龍(がんりゅう)さんという方がいます。

そこでこの記事では、勝新太郎さんの息子である鴈龍さんについて、若い頃の出来事、、真剣事故や死因、結婚や絶縁関係について紹介していきます。

勝新太郎のプロフィール

本名:奥村利夫(おくむらとしお)

生年月日:1931年11月29日

没年月日:1997年6月21日

出身地:東京都深川区(現・江東区)

身長:170cm

血液型:O型

活動期間:1954年-1997年

所属事務所:勝プロダクション

勝新太郎の息子・鴈龍は若い頃に逮捕歴あり

勝新太郎さんと、妻の中村玉緒(なかむらたまお)さんの間には2人の子供が生まれています。

長女は、元女優である奥村真粧美(おくむらまさみ)さん、そして長男が俳優の鴈龍さん、本名・奥村雄大(おくむらたけひろ)さんです。

ここでは長男についてだけ解説することになります。


実は鴈龍さんは、若い頃に2度の逮捕歴があります。

まず、芸能界に進出するより前の1982年、大麻の密売によって逮捕されてしまいました。

この時は、姉の真粧美さんも共に逮捕されています。

2023年現在の芸能界を知っていると、この1回の逮捕だけで十分致命傷に思えるでしょう。

しかしこれで終わりではありませんでした。

さらにその2年後、1984年にも大麻取締法違反で再び逮捕されたのです。

皮肉なことに、父である勝新太郎さんも薬物で2度の逮捕歴があります。

ただ破天荒と言ってしまえば聞こえはいいですが、犯罪に走る傾向性が父と似てしまったようです。

ただこの薬物犯罪に関しては、勝新太郎さんのもとで育ったことが悪い影響を与えてしまったとも考えられます。

偉大な父が薬物を使用しても兵器で芸能界に君臨し続ける姿を見て、自分も大丈夫などと考えてしまったのかもしれません。

勝新太郎の息子・鴈龍は真剣事故を起こした

勝新太郎さんの息子である鴈龍さんは、なんと撮影中に真剣による殺傷事故を起こしました。

なぜそのようなことが起きたのでしょう。

鴈竜さんは1964年に生まれ、1989年に俳優としてデビューしました。

そのデビュー作というのが、父の勝新太郎さんが監督を務めた映画『座頭市』でした。


これだけならば、豪華な親子タッグということでただ良い意味で話題になることで終わったかもしれません。

しかしこの映画の撮影中に、とんでもない事故が起きてしまいました。

1988年12月の撮影中、殺陣の場面で斬られる役の俳優が重傷を負い、その後に亡くなりました。

このとき、斬る側の役を務めていたのが、他ならない鴈龍さんでした。

何より問題だったのが、そこで使われていたのが模擬刀ではなく真剣だったということです。

普通の撮影ならこのようなことはあり得ません。

しかしどうやら、迫力を出すためということでスタッフが勝手に用意したらしく、鴈龍さん本人も真剣の存在を知らなかったとか。

それからスタッフも含めて、業務上過失致死の疑いで事情聴取を受けることになったようです。

結果的には、真剣が使われていたことを知らなかったという鴈龍さんの言葉は認められ、罪に問われることはありませんでした。

ただ、法的には無事でも社会的にはそうもいかず、謹慎することになったとのこと。

一部ではこの真剣を使用したことについて、鴈竜さん本人の意思が働いていたのではないかなど、様々な疑問を見かけることもあります。

たしかに、真相に関しては謎な部分が多いのもたしかです。

しかし警察の調査や裁判等の結果が出た以上は、鴈龍さんにとっても不幸な出来事であったとしか言えないでしょう。

もちろん、当時の撮影環境が問題だったことは否定できません。


真剣を用意するほどの熱意をスタッフが持っていたと言えば聞こえはいいですが、その管理などが不十分だったために事故が起きたのですから、大問題でしょう。

父が監督を務めた作品、しかも本人にとってデビュー直後に起きてしまったこのショッキングな事故。

これが鴈龍さんの俳優人生に常について回る出来事として人々の心に刻まれてしまったわけです。

勝新太郎の息子・鴈龍の死因は急性心不全、晩年は結婚もせず、母の中村玉緒からは絶縁状態

勝新太郎さんの息子である鴈龍さんは、2019年11月に亡くなりました。

死因は急性心不全だったそうです。

しかも、悲しいことに孤独死と言える状況で亡くなったとのことです。

玉緒の所属事務所などによると、鴈龍さんは同市で働いており、連絡の取れない知人が不審に思って訪ねたところ、亡くなっていたという。一人暮らしだったこともあり、発見されるまで数日間がたっていた。

なぜそのような最期になってしまったのでしょうか。

まず、鴈龍さんは結婚をしておらず、子供もいなかったようです。

そのため、亡くなったときも名古屋市で一人暮らししていたため、死亡が発覚するまで時間がかかってしまいました。

しかもそれだけでなく、亡くなる前に母の中村玉緒さんからは絶縁を言い渡されていた状態でもありました。

2019年5月、週刊誌の報道によれば、母の中村玉緒さんが、鴈龍さんに絶縁の宣言をしていたとのことです。

どうやら仕事が順調にいかず、母からの経済的援助に頼りきりだったとか。


しかし、それも親としての愛情だったらしく、鴈竜さんが亡くなったことを知って玉緒さんはかなり憔悴してしまっていたそう。

絶縁を言い渡した中村玉緒さんの方が、心では大きく傷ついていたかもしれません。

それだけ強引な手段によって、頼る相手という関係性を切り離さなければ、息子は真っ当に生きていくことを決意することがないと思ったのでしょう。

程度としては少々極端ではありますが、親が子を自分で立ち上がらせるための常套手段だとも考えられます。

つまり、経済的に頼りきりになる息子を奮起させるために、あえて絶縁を叩きつける親心というのは、決して非道なやり方とは言い切れません。

しかしながら残念なことに、結末としては悲しい親子のすれ違いとなってしまったわけです。

そもそも鴈龍さんの仕事が長続きしなかったことには、多かれ少なかれ両親の偉大さが影響していたのかもしれません。

このような出来事を知ると、一流俳優など様々な芸能人が、自分の子供が芸能界入りをすることに猛反対するという事情もよくわかります。

それに、このような偉大な親の呪縛というのは、芸能界に限った話でもないでしょう。


鴈竜さんの生涯は、親子関係というものをあらためて考えさせてくれます。

ただ今は、残された中村玉緒さんが元気になることを願うばかりです。

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