料理研究家として、「ばあば」の愛称で親しまれてきた鈴木登紀子(すずきときこ)さん。
料理番組「きょうの料理」で43年に渡って出演するなど、お茶の間でも大人気の料理の先生でしたね。
残念ながら2020年に肝細胞がんのため亡くなられた鈴木登紀子さん。
夫の職業は何なのか、娘さんや自宅は田園調布など、さまざまなことが話題になっています。
そこで鈴木登紀子さんの夫の職業や娘、自宅から実家、若い頃まで詳しくお伝えしていきます。
鈴木登紀子のプロフィール
愛称:ばあば
本名:鈴木登紀子
生年月日:1924年(大正13年)11月14日
出身地:青森県八戸市
鈴木登紀子の夫の職業は、サラリーマン
鈴木登紀子さんは、幼少期に母から料理を学んで料理の道へと進むことになりました。
そんな中、太平洋戦争が終結したあとにご結婚されています。
結婚した夫は、清佐(きよすけ)さん。
夫の職業は、サラリーマンだったそうです。
鈴木登紀子ばぁば、お洒落で品のあるお婆さんちゃまですね。愛用の踏み台は娘さんの旦那さんが作ってくれて、娘さんが花のペイントを施してくれた特注品♪アームバンドのお花も、スリッパのリボンも何もかも可愛い♪(*´ω`*)
最後、色紙に『平成三十年 睦月』とサラリとしたためる姿、感服致しました! pic.twitter.com/tToPix15qO— peri (@kaname_mochi) January 9, 2018
清佐さんは、鈴木登紀子さんよりも5,6歳ほど年上。
1946年に太平洋戦争が終結したのですが、この時23歳。
当時29歳だった清佐さんと地元の青森で出会って、お見合いを経て結婚することとなりました。
その後70年間、夫婦として寄り添って生きてきました。
サラリーマンとして働きながら、料理研究家の妻を支えながら暮らしていたのでしょう。
しかし残念ながら、清佐さんは2009年に亡くなられています。
その後鈴木登紀子さんは2020年に亡くなるまで、お一人で暮らしていたんですね。
しかしお二人には3人のお子さんがいますので、寂しいということはなかったのではないでしょうか。
ちなみに夫は、目がとてもぱっちりしていてイケメンでした。
昭和スターのような端正な顔立ちをされていたようで、鈴木登紀子さん自身もお見合いで出会ったとき、「かっこいい」と思ったそうですよ。
サラリーマンとしてあまり口数の多いタイプではなく、まさに「日本男児」タイプだったという清佐さん。
70年連れ添っている間は本当に仲が良かったそうで、羨ましくなってしまいますね。
鈴木登紀子さんにとって、本当に大切な人であったことは間違いなさそうです。
鈴木登紀子には3人の娘がいる
夫、清佐さんとの間には、3人の娘さんがいます。
子宝にも恵まれ、本当に幸せな家庭を築いていったのですね。
そして次女の安藤久美子さんは、母と同じく料理研究家として活躍されています。
— 気になるニュース (@kininarunews23) April 20, 2020
ブログを更新しているようで、そこに親子の写真がありました。
高校時代から、なんと母のアシスタントとして活動を始めていました。
間近で母の仕事を見ていて、同じ道を選ぶなんて本当に素敵ですよね。
その後安藤久美子さんは、吉祥寺を料理教室を開いていますが本当に大人気とのこと。
2023年の運営状況は分かりませんが、鈴木登紀子さんがご存命の頃は、親子2人で料理教室をしていたとか。
しかし料理を教えるのではなく、母娘で料理を作っているところを見てもらい、食べてもらうという教室だったそうです。
なんとも豪華で、貴重な教室ですね。
人気になる理由もよく分かりますね。
ちなみに鈴木登紀子さんの長女、三女については情報が見つかりませんでした。
料理研究家にはならなかったのかもしれませんが、一般の方として母の料理を食べて幸せに暮らしていたのではないでしょうか。
そしてお孫さんは、なんと5人もいるとのこと。
すでにひ孫さんもいらっしゃるそうで、本当ににぎやかなご家族だったんですね。
鈴木登紀子の自宅は田園調布?実家は青森県八戸市?
鈴木登紀子さんの自宅は、実は東京の田園調布ではない可能性が高いです。
以前は田園調布に住んでいたようですが、晩年は東京の吉祥寺に住まわれていたことが分かりました。
なぜ自宅の場所が分かっているかというと、実は2020年に自宅で亡くなられたからです。
晩年は、次女の安藤久美子さんとお料理教室などをされていました。
その場所が吉祥寺で、月の半分ほど料理教室を開催していたとのこと。
もしかしたら夫の清佐さんが亡くなられてからは、次女と一緒に暮らしていたのかもしれませんね。
料理教室を開いていた場所が吉祥寺と判明していたため、恐らく自宅は吉祥寺にあったといえるでしょう。
ですが以前は、田園調布に住んでいました。
やはり清佐さんが亡くなるまで田園調布に住んでいたようで、自宅で夫を看取ってから5年間は一人暮らしをしていました。
5年もの間一人で暮らしていたようですが、年を重ねるにつれてお子さんとの同居を考えられたのかもしれませんね。
しかし田園調布に住んでいたということで、お金持ちなんだろうなということも想像できます。
これまでNHKの名物番組「きょうの料理」に43年間も出演を続けました。
さらに著書の出版、料理教室の主宰など相当お仕事をされてきましたよね。
だからこそ、高級住宅街である田園調布に住むことができたんだろうなと感じます。
そして鈴木登紀子さんの実家ですが、青森県八戸市にあると思われます。
出身が青森県八戸市であり、結婚後に東京へと住まいを移しました。
実家がお引越しされたなどという情報は見当たらなかったので、恐らく八戸市にあるものと思います。
ちなみに東京へ夫婦で引っ越ししたのは、清佐さんが仕事を見つけるため。
当時はあまり青森では仕事が見つからず、上京したのかもしれませんね。
鈴木登紀子は若い頃から活躍
NHK『きょうの料理』を時々見るんだけど、鈴木登紀子さん(ばぁば)が出演してるとホッコリする😊#きょうの料理#鈴木登紀子 #ばぁば pic.twitter.com/6CHLClgvcp
— コロナに負けるな👊カズ兄 (@musical_fun1981) August 19, 2019
鈴木登紀子さんは、1970年から「きょうの料理」に出演するようになりました。
また2006年から放送されていた「明石家さんちゃんねる」の「さんま・ばぁばのおいしい時間よ」というコーナーにも出演していましたね。
若い頃から料理研究家として活躍し、まだ女性が積極的に社会進出するする時代の前から活躍を続けていました。
本当にテレビでおなじみの、料理の先生でしたね。
残念ながら若い頃の画像などは見つからなかったのですが、本当に晩年までお元気な印象が強いですよね。
鈴木登紀子さんは3人の子育てが落ち着いてきた頃に、子供が近所の庭に入ってしまい、お詫びにおせち料理を持って行ったことがありました。
その時にその料理に感動され、料理教室を始めてみることに。
1970年から料理の連載、テレビ出演がスタートしますが、若い頃から本当に料理の才能があったのだと思います。
そのルーツは母親だったということですから、やはり若い頃から料理を作るのが大好きだったのでしょう。
それを仕事にしつつ、晩年まで活躍し、子供も3人育て上げました。
本当に尊敬し、見習いたいと感じてしまう方ですね。
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