金子哲雄が激やせした理由。死因は肺カルチノイド。最後の出演番組&さんまのコメントなし?

流通ジャーナリストとしてテレビ出演し、節約やお得な情報などといった切り口で興味深い話をお茶の間に届けた金子哲雄(かねこてつお)さん。

激やせしたことが話題になりました。

死因となった肺カルチノイドとはどんな病気なのか。

最後の出演番組や明石家さんまの追悼コメントなどについてお伝えしていきます。

金子哲雄のプロフィール

名前:金子哲雄(かねこてつお)

生年月日:1971年4月30日-2012年10月2日(享年41歳)

出身地:千葉県

最終学歴:慶應義塾大学文学部卒業,京都産業大学大学院経済学研究科修了

所属事務所:オフィス・トゥー・ワン

金子哲雄が激やせした理由とは

親しみやすい人柄で流通ジャーナリストとして活躍されていた金子哲雄さん。

2012年10月2日に「肺カルチノイド」という悪性腫瘍で41歳という若さで亡くなりました。


テレビやラジオでは、流通の話をわかりやすく面白い切り口で伝えることでお茶の間からも人気がありレギュラー番組を4つ持ちメディアでも活躍されていました。

独特な舌足らずの話し方やぽっちゃりとした体格で、たびたびレギュラー出演していた「ホンマでっか!TV」の司会者の明石家さんまさんにイジられていましたよね。

そんな金子さんですが、2012年春頃には「激やせ」をしたとSNSで話題になったことがありました。

病気ではないのかと心配する声も多く上がり、その声に対してレギュラー出演している「ホンマでっか!TV」でも、睡眠時無呼吸症候群を患っていて治療のためにダイエットをしたと明かし、「肺カルチノイド」を患っていることは隠して仕事を続けていました。

本人のツイッターでも2012年当時に心配する声に応えています。

実は2011年6月に病名が判明したときには既に打つ手がなかった状態だったといいますが、親族や極めて近い関係者以外には病気のことは知らせず懸命に闘病を続けていました。

世間で「激やせ」が話題になったときは、薬や治療の副作用に苦しみ、癌が骨にも転移していて痛みに耐えながらテレビの仕事をこなしていたようです。

「金子は仕事が大好き。というか、大好きなことを仕事にしていましたから。人から必要とされることが、生きていくモチベーションであり、心の支え。“死ぬ寸前まで仕事を続ける”と譲りませんでした」

本当の病名は明かされていなかったので、金子さんのダイエット方法に注目が集まり、金子さんはダイエットの方法を経済的な切り口からも回答しています。

金子さんがツイッターで説明したダイエット方法は野菜や果物をたくさん摂取することだったのですが、実際に癌を消す食事などとして知られている方法です。

ですので、ダイエット方法と紹介はしていますが、実際に闘病中にしていた食生活だったと考えられます。

金子哲雄の死因は何だったのか

2012年10月2日に41歳という若さでこの世を後にした流通ジャーナリストの金子哲雄さん。


同年の春には激やせが話題になりました。

本人は睡眠時無呼吸症候群を患い治療のためにダイエットをしていると世間には公表していましたが、本当の死因は「肺カルチノイド」という極めて珍しい肺癌が原因だったそうです。

2011年に病名が判明する前には、同じ事務所で医師のおおたわ史絵(おおたわふみえ)さんに「肺に影がある」と金子さんの担当医がスケッチした絵を見せ相談していました。

おおたわは金子さんと同じ事務所に所属。「肺カルチノイド」という病名が分かる前に、相談を受けた。

そこでおおたわさんは腫瘍と思われる影が大きいのですぐに精密検査を受けるようにと金子さんに助言をしたといいます。

その結果「肺カルチノイド」と診断され、腫瘍が大きく手術で取り除くことができない状態だったそうです。

そこから1年4カ月に及ぶ闘病生活を送っています。

咳の発作で症状が出て苦しいときも、酸素呼吸器を使いながら最後まで仕事を続けていました。

 

肺カルチノイドとはどんな病気か

金子さんの死因になったのは「肺カルチノイド」という病気ですが、あまり聞いたことのない病名ですよね。

どんな病気なのでしょうか。

肺カルチノイドは、肺癌の一種で珍しい癌だといいます。

肺癌全体に占める割は1%ほど。

「定型」と「非定型」があって、定型の場合は悪性度が低く進行スピードも緩やかで転移もしにくい腫瘍で、非定型は反対に悪性度が高くリンパ節などに転移しやすい癌だそうです。

 

金子哲雄の最後の出演は『おはよう朝日です』

肺カルチノイドという肺癌を患いながらも懸命に笑顔を絶やすことなく仕事を続けていた金子さん。

テレビ出演しているときに嫌な顔をしているとこなど一度も見たことはなかったですよね。


病気というだけでも辛いのに、そんな中テレビ出演を続けていたことに金子さんの仕事への情熱を感じます。

金子さんは2012年10月2日に亡くなられましたが、亡くなるぎりぎりまで仕事を続けていました。

最後のテレビ出演になったのは2012年7月11日の『おはよう朝日です』。

早朝から自身のツイッターで出演の予告をしていますが、ツイッターの文面だけを見ればいつも通りの明るいイメージですが、体はかなり辛かったと考えられます。

他局で最後の出演となった2012年7月2日に放送された読売テレビのローカルニュース「ten!」の撮影時には、階段が上がれないほど唇も真っ青だったと明かされています。

7月2日の放送では、大阪・梅田の“デパ地下戦争”をリポート。この時に同行したスタッフによると、階段も上がれない状態で、唇も真っ青。歩くスピードもゆっくりだったという。咳もしており、心配すると「大丈夫だから」と笑顔で答えたという。

2012年の8月22日には危篤状態まで陥り奇跡的に回復はしたといいますが、最後のテレビ出演時の体調を考えるとかなりひどかったものと思われます。

最後まで仕事を一生懸命やりたいという本人の希望で、苦しみに耐えながらも亡くなる前日も電話取材の仕事をしていたそうです。

金子哲雄への明石家さんまの追悼コメントがなかった噂

金子さんが亡くなられた後に、「ホンマでっか!TV」で共演していたメンバーが次々に追悼コメントを発表した中で、司会者の明石家さんまさんだけはコメントを出さなかったことが話題になりました。

金子さんを偲んで番組内で生前の金子さんの収録が流されましたが、そのときにもさんまさんのコメントはなかったといいます。

葬儀告別式にもさんまさんの姿がなく、SNSではさんまさんは冷たいのではないかとネットがざわつきました。


しかし、分刻みで仕事をしているさんまさんは東京と大阪を行ったり来たりの生活です。

告別式に関しては仕事の都合で来られなかったと考えられますよね。

人を大切にされているさんまさんですので、何らかのアクションは取っているのではないでしょうか。

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