世良公則の実家は広島の県営アパート。国籍は日本。父親と母親は共働き&兄弟は兄?

ローリング・ストーンズに憧れて音楽界に入ったという歌手・世良公則(せらまさのり)さん。

その強い情熱で、70年代から日本のロックミュージックを牽引し続ける。

今回は世良さんの実家や国籍について、また彼のルーツについてお伝えしていきます。

世良公則のプロフィール

愛称:セラさん

本名:世良公則(せらまさのり)

生年月日:1955年(昭和30年)12月14日

身長:176cm

出身地:広島県福山市

最終学歴:大阪芸術大学芸術学部放送学科卒業

所属事務所:ドリーミュージック

世良公則の実家は広島県福山市の県営アパートの3階

世良さんは、幼い頃は県営アパートの3階に住んでいたそうです。

ごくごく一般的な、いわゆる団地住まいですね。

3歳からバイオリンを習っていて、その後、プロのミュージシャンになったと聞くと、とても裕福な暮らしをイメージしがちですが、意外にも庶民的なご家庭だったようですね。

父は公務員、母は保育士で、小さい頃は県営アパートに住んでました。

墨汁だらけで帰ってくる活発な子供だった

世良さんは小さなころ、ご実家のお隣のお宅へよく遊びに行っていたのだそうです。


そのご実家のお隣のお宅では、習字の先生をしていたのだとか。

遊びに行っては墨汁だらけになって、まっ黒になって帰ってきていたのだそう。

実家の隣の部屋でのバイオリンとの出会い

ご実家のお隣の息子さんがバイオリンがお好きで、彼の演奏する姿を見てバイオリンに興味を持った3歳の世良さん。

そこでご両親に、自分もバイオリンをやりたいとお願いしたそうです。

隣のお宅のお兄さんがバイオリンを奏でる姿は、幼い世良さんの目に、さぞ素敵に映ったことでしょう。

「ボクもこれやってみたい!」とご両親に飛びついた姿が目に浮かぶようですね。

3歳から強い意思を持ち、やりたいと思ったことを素直に父親や母親に言えるというのは、彼の才能の一端が早くも垣間見えますね。

団地でバイオリンと聞くと、昨今では近所迷惑というイメージが先に来てしまいますが、時代は高度経済成長期真っ只中。

子供たちが走り回り元気よくあそぶ声が聞こえる、そんな賑やな団地の光景も一般的でした。

少子高齢化が進む現代とはまた違った、古き良き昭和の風景の一部ではないでしょうか。

それにしても、「3歳からバイオリンを習っていた」と「墨汁だらけで、まっ黒」という、相容れない光景に頭が混乱してしまいますね。

僕は3歳からバイオリンを始めて、おかげで小中学校の音楽の授業ではどんな楽器も初見で演奏できたんです。

世良公則は日本国籍。時折見せる国籍への強いこだわり

世良さんの国籍について、韓国籍なのでは?はたまた中国籍ではないか?などの憶測が一部で囁かれていますが、彼は日本国籍だと思われます。

名字は古来から続く由緒正しい物

世良さんはデビュー当時から本名で活動されています。


”世良”という名字は、備後国(びんごのくに)世羅郡をルーツに持ちます。

広島県東部地域が該当し、”世良”という名字がもっとも多く分布しているのも広島県です。

世良さん本人は、ご自身の国籍について特に言及してはいないようですが、彼を外国籍だとする憶測には無理がありそうです。

それを踏まえたうえで、世良さんのSNSでの投稿を見てみましょう。

外国籍の方々に対する数々の投稿

世良さんは、X(旧Twitter)で政治経済をはじめ様々な時事問題に対して、ご意見をよく投稿されています。

その投稿のいくつかをここで紹介します。

2023年に外国籍の人物が起こした犯罪行為について指摘しています。

外国籍の容疑者が不起訴、あるいは保釈となった場合、その後の報道がされていないと不安を述べています。

こちらも2023年、中国国籍の女性が日本の島を購入したとして注目を集めたときは「国防上の大きな問題」として警鐘を鳴らしています。

その面積70万平方メートルという広大さも話題となりました。

2022年には、外国籍の方々の生活保護申請について度々投稿しています。

こちらの投稿では「まず、自国民を守る事を優先」すべきと綴っています。


一般ユーザーと、ちょっとした論戦も繰り広げました。

世良さんの投稿の数々を見る限り、外国籍の方々や外国資本への強い警戒感をはっきりと感じ取ることができます。

このことからも、世良さんは紛れもない日本国籍だと思われます。

彼のツイートの数々を見ていると、その内容もさることながら、文章の改行位置が独特ですね。

まるで歌詞カードを見ているような、そんな気になってきませんか。

これも数々の楽曲の作詞を手掛けた、世良さんならではのツイートなのではないでしょうか。

国籍に対する強いこだわりなぜ?

世良さんの見せる国籍に対する強いこだわりは、果たしてどこから来るのでしょうか。

ひとつ確かなことは、彼はロックミュージシャンとしての活動を通して、世界平和を訴えているということです。

彼が子供の頃から聞いて育った世界的に有名なロックバンド「ローリング・ストーンズ」も反戦のメッセージを伝えています。

世良さんの世界平和に対する強い思いが、彼の言動の数々の根底にあるのではないでしょうか。

世界の情勢を悲しむ人々に平和のメッセージを届けようと、日本音楽界を代表する1955(昭和30)年度生まれの同級生5人が立ち上がった。

世良公則の父親と母親は共働き、兄弟は兄?

世良さんはプライベートをとても大切にされているようで、ご家族についての情報は、あまり公表されていません。

父親や母親の本名はもちろんのこと、兄弟などの家族構成についても殆ど語られて来なかったようです。


そんな世良さんも、父親と母親については少ないながらもエピソードを公開しています。

世良さんの父親は地方公務員、母親は保育士をされていたということです。

4年間無駄飯を食わせてやると決断した父親

世良さんが大阪芸術大学への進学を考えていた時、厳しいながらも応援してくれたのが父親だったといいます。

「4年間執行猶予をやるから無駄飯を食ってこい。」「本当に無駄になるか肥やしになるか、やってみろ」そう言って背中を押してくれたのだそうです。

まさに、昭和の父親像という言葉がピッタリですね。

公務員という堅実な職に就いておられたお父様が、プロのロックミュージシャンを目指す息子に理解を示すというのは、並大抵のことではないと思われます。

若き日の世良さんの情熱が伝わってくるようですね。

情操教育の一環で音楽を習わせた母親

一方で、世良さんが音楽に触れるきっかけを与えたのは母親だったといいます。

どんな母親もそうだとは思いますが、保育士をされていたということで、我が子の成長を人一倍気に掛けておられたのでしょう。

とても行動力があり、血の気が多かったという世良さんの将来を心配して、情操教育のために音楽をと考えたのだそうです。

バイオリンを弾いていた隣のお兄ちゃん

世良さんの兄弟について、一説には兄がいると噂されています。

しかし、確証の持てる情報はありませんでした。

世良さんが小さい頃によく一緒に遊んでくれたという、実家の隣のお宅のお兄ちゃん。


彼が弾いていたバイオリンが音楽をはじめるきっかけだったといいます。

あるいは、彼こそが実の兄のような存在だったと言えるのではないでしょうか。

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