世良公則、若い頃の夢は広告作家。現在(2023)は陶芸でも活躍。病気知らず&がんの噂なし

日本のロックシンガーの一翼を担う歌手・世良公則(せらまさのり)さん。

その活躍ぶりは音楽界のみにとどまらず、俳優や陶芸家としても高い評価を得ています。

今回は世良さんの若い頃や2023年現在の活動、そして病気やがんの噂についてお伝えしていきます。

世良公則のプロフィール

愛称:セラさん

本名:世良公則(せらまさのり)

生年月日:1955年(昭和30年)12月14日

身長:176cm

出身地:広島県福山市

最終学歴:大阪芸術大学芸術学部放送学科卒業

所属事務所:ドリーミュージック

世良公則は若い頃に広告業界を目指していた

世良さんは、若い頃は広告業界に入って広告を作りたいと考えていたそうです。

大阪芸術大学において放送学を学ばれたのも、それが理由だったといいます。

カッコいい音がのってる音楽を流したい

1970年代当時の日本のCMに使われている音楽は、若い頃の世良さんがイメージする「カッコいい音」とは少し違っていたようです。


当時の日本のCMでは、アイドルソングやクラシックをベースにアレンジしたもの、作曲の先生が書いたCMソングなどが使われることが一般的だったそうです。

「海外のコマーシャルにはカッコいい音がのってる」そう感じていた、若い頃の世良さん。

好きなロックミュージックをベースにした、「カッコいい音がのってる音楽」を使った広告を作りたいと思ったのだそうです。

世良さんには、ブルースに魅せられてブルースが盛んだった大阪の大学へ進んだという逸話もあります。

その彼の若い頃と聞くと、ストレートにプロのミュージシャンを目指し、がむしゃらに突き進んでいた姿をイメージしがちですが、意外な一面があったのですね。

バンド仲間が就職していくなかプロデビュー

若い頃の世良さんは、広告業界を目指しながらもバンド活動には抜かりがありませんでした。

ロックバンド「ツイスト」として活動し、大学4年間も終わりに差し掛かろうかという頃に大成功をおさめます。

1977年に22歳で、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)と世界歌謡祭で立て続けにグランプリを獲得し一躍スターとなります。

当時、まだアルバイトとして喫茶店に勤めていて、コンテストを見た常連のお客さんから握手を求められるなど、とても貴重な体験をしたといいます。

このままプロのロックミュージシャンとして音楽活動に専念するのかと思われましたが、一筋縄ではいかなかったそうです。

世良さんと神本宗幸さんを除いたバンドメンバーが就職する道を選び、メンバー交代を余儀なくされるなど、困難もありました。

それでも、新たなメンバーを迎え「世良公則&ツイスト」としてプロデビューを果たしたのでした。

大きなコンテストで優勝しプロへの道が決定づけられていたにも拘わらず、就職を選ぶというのは意外に思えますよね。


日本では、まだメジャーなロックバンドが成功を収めたという前例のなかった時代。

世良さんたち当事者も「本当にロックで食べていけるのか?」と手探りでやっていたという時代背景がそうさせたのかも知れません。

いずれにしても、世良さんには世良さんの、メンバー達にもそれぞれの進むべき道があり、そのどれもが間違いではありません。

若い頃の彼らの選択に異論を挟むことは、誰であってもできないでしょう。

僕と2歳下の神本宗幸(キーボード)以外のメンバーは大学を卒業したら就職することが決まっていた。

大手化粧品メーカーとタイアップ

世良さんの若い頃の代表曲のひとつに「燃えろいい女」という曲があります。

この曲は1979年に大手化粧品メーカーと初めてタイアップし、CMで大々的に流れた曲でもありました。

モデルの小野みゆきさんが真っ赤なコンバーチブルに乗って疾走する、眩しくも美しい夏のきらめきを感じさせるCMです。

制作会議で赤い衣装を着たアクティブな小野さんの姿を見て「燃えろいい女」のキャッチコピーを思い付き、その場で曲を考えて歌ったのだそうです。

奇しくも、ここで学生時代に世良さんが志していた「カッコいい音がのってるCMを作る」という夢が現実のものとなったのです。

若い頃の選択は決して無駄ではなく、こうして実を結んだのでした。

大阪芸大時代に広告を専攻していたので、僕なりの集大成ともいえる。

世良公則は現在(2023)も活動中!プロの陶芸家としても活躍

2023年現在67歳の世良さんは、様々なアーティストと共演し精力的にライブステージに立ち続けています。


そんな彼も、肉体的な様々な変化を敏感に感じ取っているようです。

アスリートのようにアイシング

衰え知らずの世良さんですが、なんの努力もなしにライブを成功させ続けている訳ではありません。

ライブで汗を流した後は、アスリートのようにアイシングを欠かさないといいます。

ライブ後の20分間は、必ず氷でのどを冷やすのだそうです。

のども筋肉だから、アスリートと同じようにケアをしているということなのですね。

その上で栄養補給を怠らずに体をしっかりと温めて睡眠をとると、寝ている間に筋肉の状態が戻るのだといいます。

若い頃よりも声がよく出るというのですから、驚きです。

たしかに、ミュージシャンがライブで行うパフォーマンスは運動量も相当なものでしょうから、アスリートと同じように捉えることは理にかなっていると言えそうですね。

外食を控え自炊、プランクで体幹を鍛える

普段の体調管理にも気を配り、基本的に外食などはせずダシをとるところから自炊しているそうです。

あっさりとした味付けの和食を中心とした食事を心がけているとのことです。

体力維持のためには、体幹トレーニングのひとつである「プランク」を採り入れているそうです。

ロックのライブといえば2時間や3時間はザラにあります。

長時間のライブを成功させるために、様々な工夫をされているのですね。


世良さんのストイックさに裏打ちされた、これからもロックを聴かせ続けていくんだという情熱が感じられますね。

ひょっとしたら30代のミュージシャンよりも、僕のほうが元気かもしれない。

陶芸はイマジネーションを呼ぶスイッチ

世良さんは2009年頃から陶芸を続けており、数々の展示会をプロデュースし自身の個展も開くなど、陶芸家としても活躍しています。

あるテレビ番組の企画がきっかけではじめたという陶芸に、なぜそこまで深くのめり込んでいったのでしょうか。

音楽から離れているあいだは、陶芸に打ち込む時間を大切にしているという世良さん。

一心不乱に土のかたまりを練っていると無の境地に達し、やがて普段では思い付かないようなことも見えてくるのだといいます。

その根底には、やはり彼の表現するということに対してのストイックな姿勢があるようです。

満足したらそこで終わり。鼓動が止まるまで、ギターかき鳴らして音楽を続けるよ

世良公則は中学以来病気知らず。がんの噂もない

世良さんが、がんを含めてなにか大きな病気をしたという情報は2023年現在ありません。

インスタグラムやX(旧Twitter)などでの発信も続けており、大きく体調を崩したというような投稿も見られませんでした。

近年では唯一、世良さんが62歳だった2018年に過労による貧血で救急搬送されたことがあるようです。

幸い軽症で、その日のうちに退院したといいます。

その僅か5日後にはライブステージに復帰し、ファンを驚かせました。

この日のライブのトークでは、中学時代に盲腸の手術を受けてから、はじめて病院に行ったことが語られました。


まさに病気知らず、衰え知らずの世良さんの情熱は、いつまでも日本中を元気づけてくれることでしょう。

これからも、世良公則さんの活躍からは目が離せそうにありませんね。

中学校時代に虫垂炎による手術を受けて以降、通院さえしたことがない

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