佐野元春、天才の理由。パクリ疑惑。ラップ日本初!歌唱力と英語力の評判&評価する声多数

「ビート詩人」の異名が示すとおり、詩人としてのメッセージを含んだ歌詞や音楽のもつ表現の可能性を広げようとさまざまな手法を試みてきた佐野元春(さの もとはる)さん。

80年代以降の日本のロック・ポップスに多大な影響を与えたアーティストであることは疑いようがありませんね。

この記事では佐野さんの歩みを振り返りながら、なぜ天才と呼ばれるのかを詳しくみていきましょう。

また『SOMEDAY』にまつわるパクリ疑惑、39年前にラップを導入して世間を驚かせた名盤『VISITORS』にもスポットを当てます。

一部では「肝心の歌唱力はどうなの?」「英語力は?」という声もあがっていますが、そのあたりについても評価とあわせてみていきます。

佐野元春のプロフィール

本名:佐野元春(さのもとはる)

生年月日:1956年(昭和31年)3月13日

身長:170cm

出身地:東京都台東区

最終学歴:立教大学社会学部卒業

所属事務所:無所属

佐野元春が天才といわれる理由

1980年のデビュー以来、常に時代の最先端を走り続けてきた佐野元春さん。

そのキャリアは、音楽シーンに有効な方法論を模索し続けてきた歴史といってもいいでしょう。

佐野さんは前例のない、先駆的な手法に次々と挑戦してきました。


表現者として新しいスタイルを追求し、実践するという姿勢こそ、天才といわれる大きな理由ではないでしょうか。

今回は、そのなかでも三つのエポックメーキングをご紹介します。

スタイリッシュで独創的な歌詞

佐野元春さんの音楽が世代を問わず支持されている理由として、まず第一に挙げられるのが歌詞のすばらしさでしょう。

日本語の響きを活かしながら洋楽的なリズムにのせて、しゃべるように歌うのが特徴です。

日本語と英語を同じ行の上で共存させ、シームレスに歌うセンスはサザンオールスターズとともに日本のロック・ポップスの新しいあり方を示しました。

こうしたスタイルの根底には、いうまでもなく優れたソングライティングの力があります。

「言葉・ビート・メロディの間に境界線がなく、聴き手に歌詞がスッと入っていくライティングを心がけている」とご本人は説明していますが、かつてはっぴいえんどが挑戦した「日本語とロックの融合」という離れ業をいともさりげなく、かっこよくやってのけています。

ビートジェネレーションの作家・詩人への造詣が深い佐野さんの歌詞には詩的な表現や比喩が使われており、リスナーがそれぞれの解釈ができるのも特徴。

時代が変わっても、何度聴いても新鮮に聴こえるのは、このあたりにも理由があるのでしょう。

多様な音楽ジャンルへのチャレンジと実践

アルバムをリリースするたびに変化を繰り返す佐野元春さんに対して、ファンはとまどい、「理解できない」という声があがることもありました。

ですが、新たなスタイルを追求するあくなき姿勢こそ、佐野さんの音楽がいつも斬新であり続ける理由と考えられます。

これまで発表された作品はロックにとどまらず、フォーク、ブルース、ソウル、ファンク、ラップ、ジャズなど多彩な音楽性を反映したもの。


なかでも注目すべきは、日本のメインストリームであまり浸透していないスポークンワーズに取り組んできたことでしょう。

詩人としての佐野さんの世界観を存分に堪能できる芸術的パフォーマンスでもありますね。

時代を先取るメディア発信

さまざまなメディアを媒体とした発信も佐野さんの特徴です。

ラジオ番組やテレビ番組はもちろんですが、自ら責任編集をつとめた雑誌『THIS』の創刊はキャリアにおいても大きな意味をもつ作品といえるでしょう。

インターネットを介した発信も先鞭をつけたのは佐野さんでした。

日本初のアーティストの公式HP「Moto’s Web Server」を開設したのが1995年のこと。

さらに1998年には、ソニーミュージックとの合同企画として国内初の有料インターネットライブを配信。

この先駆的な試みと、以降の配信方法の確立に向けた貢献度は大きいです。

佐野元春の『SOMEDAY』パクリ疑惑を考える

音楽をはじめ、映画、小説、絵画、漫画などの文化的な創作作品は、多かれ少なかれ、先行する作品の影響を受ける場合があります。

かつて大瀧詠一さんがこう語ったことがありました。

「古今東西、誰の影響下にもおかれていない状況で何かを創るということはありえません」

「大切なのは、何をどう選んだかという事実です」

この言葉は、既存の作品を多く知っていればいるほど優れた作品を創りだせる可能性が高くなると拡大解釈することもできるでしょう。


そもそも私たち日本人にとってロックやポップスは輸入文化ですから、本家の影響を受けるのは当然といえば当然です。

というわけで、もうずっと前からパクリといわれているのが佐野元春さんの『SOMEDAY』です。

パクリ疑惑のある楽曲は他にも何曲かありますが、この曲がいちばん有名ですね。

『SOMEDAY』がリリースされたとき、洋楽ファンの間ではブルース・スプリングスティーンの『Hungry Heart』に似ているという声が少なくありませんでした。

イントロの印象が強いだけに、丸パクリしているかのように糾弾する人もいますが、似ているのはイントロだけでメロディはまったくの別もの。

また歌詞に目を向けてみても両曲の違いは明らかです。

『Hungry Heart』がティーンエイジャーの心を残したまま現実の苦みを知った大人の男の物語であるのに対し、『SOMEDAY』はまだ夢を信じたいピュアな若者のストーリー。

曲の一部分だけを取りあげてパクリととらえるのではなく、歌詞とメロディの組み合わせにも注目してほしいですね。

ただ、これほど有名な洋楽のイントロをよく模倣したものだとも思います。

『Hungry Heart』の翌年に『SOMEDAY』が発表されていますから、時期もばっちり。

佐野元春さんは、今ハマっている音楽がストレートに楽曲にでてしまうタイプのアーティストなのかもしれません。

佐野元春は日本に初めてラップを導入

1982年から1983年にかけて商業的なブレイクを果たした佐野元春さんは、その直後に渡米して、約1年間ニューヨークに活動の拠点を移しました。

ヒップホップ・ムーブメントが勃興していた当時のニューヨークで、新たな刺激を感じながら制作したアルバムが1984年の『VISITORS』です。


本作は、日本の音楽シーンにおいて本格的にヒップホップ・カルチャーを導入した作品として高い評価を得てきた歴史的名盤。

ヒップホップやラップの様式というのは言語傾向の強い音楽表現ですから、佐野さんは「自分の出番だな」と思ったそうです。

それ以前のラップといえば、日本ではYMOが実験的に取り入れたものもありましたが、それ以外はコミックソングの範疇でしか扱われていませんでした。

独自の言語感覚でラップを披露した『COMPLICATION SHAKEDOWN』は、ラップやヒップホップになじみのない日本のリスナーに衝撃を与えることに。

「日本の音楽シーンに初めてラップを導入したのは誰か」というのはよく議論されるテーマですが、少なくとも正当な音楽としてのラップやヒップホップを最初にメジャーシーンに取り入れたのは佐野元春さんでしょう。

佐野元春は歌唱力で聴かせるアーティストではない

その時々の時代にコミットする音楽性で斬新な衝撃を与えてきた佐野元春さん。

音楽的な功績が大きいという話をすると、「じゃあ肝心の歌唱力はどうなの?」という疑問がでてきます。

結論からいうと、佐野さんは歌唱力で聴かせるタイプのアーティストではありません。

どちらかというとこもった声質をしていて、声量やビブラート、ロングトーンを駆使して歌い上げるシンガーではないですね。

ですが、どこか惹きつけられる歌声の持ち主であり、パフォーマーとしても魅力的です。

佐野元春さんの歌声を「照れ屋さんの暴走」と評したのは音楽プロデューサーの松尾潔さん。

佐野さんの楽曲が歌いにくい曲ばかりであることを、カラオケで初めて気づいた人も少なからずいるようです。

歌いこなすのが難しいということは、カバーするのも難しいということ。


アーティストは表現者ですから、歌唱力があればよくて、なければだめいうようなものではありません。

佐野元春さんの曲を佐野元春さんの曲たらしめているのは、まぎれもなくあの歌声であり、あの歌い方なのでしょう。

佐野元春の英語力

佐野元春さんの歌詞には英語のフレーズがちりばめられています。

パーソナリティをつとめるラジオ番組では、“I wanna be with you tonight!”とコールするのがお約束でした。

80年代前半にはニューヨークに移り1年間暮らしています。

これらのことから、ある程度は英語に明るいと推測できますが、実際の英語力がどれくらいのレベルであるかはわかりませんでした。

英語に関する注目すべき事柄として、1989年リリースの『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が挙げられます。

同アルバムでは英語やカタカナ語を封印して日本語に立ち返ろうとする佐野さんの意識がみてとれるのです。

シングルカットされた『約束の橋』には英語のワードがひとつもありません。

何度聴いても聴き惚れる歌詞ですね。

日本語の歌詞に英語を織り交ぜ、それを自分のスタイルにしていたアーティストが、なぜ英語を使うことをやめてしまったのでしょう。


そこには英語に対する心理的な変化があったのではないかと分析する人がいます。

おそらく英語コンプレックスから解放されたのではないかというのです。

ふだんの会話にやたら外来のカタカナ語を混ぜたがる人がいますが、そういう人は英語に少なからずコンプレックスを抱いている人だということに気づいたのではないか、ということです。

佐野元春の評価は音楽界以外でも高い

楽曲の商業的ヒットにかかわらず、高い評価を獲得してきた佐野元春さん。

トリビュートアルバム・ブームの先駆けとなった『BORDER』がリリースされたのは1996年のことでした。

沢田研二さんのプロデューサーが佐野さんの才能に惚れ込んで、楽曲提供を依頼したというエピソードもあります。

尾崎豊さんや吉川晃司さんら、佐野さんからの影響を受けたミュージシャンは数えきれません。

音楽シーン以外でも大勢の著名人がファンであることを公言してきました。

たとえば、松本人志さんは「佐野元春は過小評価されすぎ」とラジオ番組で発言。

マキタスポーツさんは「正当な評価も誤解も飲み込むような大きなアーティスト」と絶賛。

ロッキング・オン社長の渋谷陽一さんは、『ROCKIN’ON JAPAN』の刊行にあたり、「創刊号の表紙は佐野元春しかいないと思った」と語っています。

一時代を築いた男性シンガーソングライターには井上陽水さん、吉田拓郎さん、大滝詠一さん、忌野清志郎さん、桑田佳祐さんらさまざまなレジェンドがいますが、佐野元春さんの場合、多くの人に影響を与えているのに他の誰とも違うという異端なイメージを感じます。

とりわけ文学・特とロックの融合においては常に自覚的であり、言葉と音楽の理想的な関係を模索することに関してはずっと先頭にいた方ではないでしょうか。


ロックンローラーであり詩人でもある、つまり肉体性と文学性が共存しているという点において、もっと評価されてもいいですね。

40年以上にわたってスタイリッシュな存在であり続けている佐野元春さん。

これからもアーティストとして、いい意味で生活感を感じさせない存在であり続けてほしいと思います。

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