佐藤琢磨は若い頃から速い!父親は弁護士、母親は元女優。実家は小4から町田&自転車も速い

アジア人で初めてIndy500に勝利した、日本を代表するレーシングドライバーの佐藤琢磨(さとうたくま)さん。

F1やF3でも好成績を収めており、ヨーロッパでも高い知名度を誇ります。

今回は佐藤琢磨さんの若い頃の成績や家族構成、実家の詳細についてお伝えします。

佐藤琢磨のプロフィール

愛称:琢磨、Taku

本名:佐藤琢磨

生年月日:1977年(昭和52年)1月28日

身長:164cm

出身地:東京都新宿区

最終学歴:早稲田大学人間科学部中退

所属事務所:チップ・ガナッシ・レーシング(2023年現在)

佐藤琢磨は若い頃ヨーロッパで活躍していた

佐藤琢磨さんは、2023年現在は主にアメリカで活躍しているレーシングドライバーですが、若い頃はヨーロッパを中心に活動していました。

1996年に鈴鹿サーキットのレーシングスクール、SRS-Fに入学したことからモータースポーツの道を歩み始めます。

1997年にSRS-Fを主席で卒業、この際に得たスカラシップにより全日本F3選手権デビュー。


しかし、当時の佐藤琢磨さんは免許取消処分を受けていたため、日本でレース活動ができなかったそうです。

レースができない以上海外に活躍の場を移すしかありません。

イギリスに渡った佐藤琢磨さんは、まずはジュニアフォーミュラから実績を作っていきます。

2000年にはイギリスF3選手権にフル参戦、この年のドライビングはヨーロッパのレース関係者を驚かせるに十分なものでした。

F3の中でもとりわけ有名なマカオGPのフリー走行において、路面が濡れた中2位以下を2秒以上引き離す驚異的なタイムを叩きだしたのです。

残念ながら決勝はリタイアに終わってしまいましたが、2000年はシリーズ3位という総合成績を収めました。

翌2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンに輝きます。

F3での2年間の活躍は目覚ましく、イギリスのレース雑誌でF3史上最も成功したドライバーとして紹介されています。

2002年、当時の中堅チームジョーダングランプリよりフル参戦。

チームメイトはジャンカルロ・フィジケラさん。

入れ替わりの激しいF1の世界ですでに5年以上走り続けている、超一流のドライバーです。

佐藤琢磨さんは、F1デビュー初年度にも関わらずジャンカルロ・フィジケラさんと大差ない走りを披露し、F1でも通用する実力の高さを証明します。

しかしエンジン契約などが原因で2002年をもって事実上の解雇、2003年はホンダエンジンを搭載するB・A・Rにリザーブドライバーとして移籍します。

本戦に参加できたのは最終戦日本グランプリのみとなりましたが、久しぶりの実戦にも関わらず6位入賞を果たしました。

2004年は佐藤琢磨さん飛躍の年となります。


ヨーロッパグランプリにおいて自身初の予選フロントローを獲得、アメリカグランプリでは日本人2人目となる3位表彰台に登りました。

シリーズ後半も複数回入賞し、名実共にトップドライバーの仲間入りを果たします。

しかし2005年以降、時折光る走りを見せましたが、チームの不調や移籍などで成績は下降。

2008年を最後にF1を去ることになってしまいました。

2010年にアメリカに渡り、以降はインディカーのトップドライバーとして活躍します。

2005年はマシンの調子が良くなかったことに加えて、常に契約打ち切りを匂わされるなどレースに集中しづらい環境でした。

レースに集中できる環境であったなら、そして翌年以降もB・A・Rと契約を延長できていたら2006年以降に1度か2度は優勝していたかもしれませんね。

佐藤琢磨の父親は弁護士で母親は元舞台女優

佐藤琢磨さんの父親は弁護士で、名前は佐藤和利さん。

父親は息子がレースの世界で活躍することを全力で応援してくれたようです。

若い頃は将来をどうすべきか迷ったという佐藤琢磨さん。

そんな時に父親が「車やりたいんだろ」と言ったことが、モータースポーツの道を歩むきっかけとなったそうです。

モータースポーツは非常に厳しい世界。

並大抵の覚悟では続けられません。


それなのにやりたいのならやるべきと背中を押してくれたのは、とても心強かったことでしょう。

父親は、佐藤琢磨さんのレース活動の最大の理解者でした。

しかし、残念ながら2011年に悪性リンパ腫で亡くなっています。

私がF1ドライバーになる夢を志して以来、父は常にレースに対する最大の理解者でありました。

母親は元舞台女優で、名前は佐藤昭子さん。

2020年にはFWD富士生命のCMで共演しています。

非常に仲睦まじく話をしており、親子の仲は良好なようです。

ぜひ今後も親子揃っていろんなメディアに出演して欲しいですね。

実家の町田には小学校4年生で転入

佐藤琢磨さんは東京都新宿区出身です。

しかし、小学校4年生の時に町田に転入しています。

町田第二小学校、町田第二中学校を卒業し、高校卒業まで町田市内で過ごしました。

佐藤琢磨さん自身も町田には特別な思い入れがあるようで、名誉市民に選ばれた際は大変光栄とのコメントを残しています。

また、株式会社ナックがスポンサーに付いた際は、同じ地元の企業に応援してもらえて嬉しいと語っています。


2023年現在、Indy500を優勝した日本人は佐藤琢磨さんただ一人。

日本のモータースポーツ史上最も偉大な成績を残した人物と言っても過言ではありません。

町田市民からすれば、佐藤琢磨さんは地元の誇りではないでしょうか。

佐藤琢磨は自転車でも速い

佐藤琢磨さんは、自転車競技にも精通しています。

高校生の頃、自宅近くにあったプロショップと出会ったことが自転車競技を始めるきっかけだったとのこと。

しかし佐藤琢磨さんが通っていた和光学園には、自転車部はありませんでした。

自転車部がないと、公式の競技会には参加できません。

そこで佐藤琢磨さんはクラスの担任を顧問にして、自ら自転車部を設立します。

3年生になるとインターハイに優勝するという快挙を成し遂げました。

その後大学に進学してモータースポーツの道を歩むことになりますが、自転車への熱意は健在でした。

2003年には世界的に有名な自転車レースのツール・ド・フランスに、一般参加部門からゲストとして参戦。

アキレス腱のトラブルにより残念ながらリタイアに終わってしまいますが、現役F1ドライバーの出場は大きな話題となりました。


たった一人で部活動を作り、しかもインターハイにまで優勝するなんて佐藤琢磨さんの行動力と熱意には驚かされますね。

レースで見せる勝利に対する貪欲な姿勢は、自転車競技で学んだのかもしれません。

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