高橋 克典(たかはし かつのり)さんは人気ドラマ「特命係長 只野仁」など俳優のイメージが強いですが、歌手デビューをしていて多くの作品を残しました。
それもそのはずで、父親は高校の音楽教師や指揮者として活躍をした人物であり、母親も東京藝術大学を卒業した声楽家という芸術一家の生まれだったのです。
今回の記事では高橋さんの両親や兄弟、クオーター説をリサーチしてみました。
高橋克典のプロフィール
本名:高橋 克典(たかはし かつのり)
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1964年12月15日
所属事務所:ケイダッシュ
代表的な作品:サラリーマン金太郎 など
高橋克典の父親は特攻隊から指揮者へ
まずは高橋克典さんの父親であり音楽家である勝司(かつし)さんについて見ていきます。
勝司さんは1929年に秋田県綴子(つづれこ)で地主の長男として生まれ、15歳の時に日本海軍の飛行予科練習生に志願して土浦海軍航空隊に入隊。
1944年末、戦局の悪化により土浦でも特別攻撃隊(特攻隊)が結成されて勝司さんも同隊員に選ばれましたが、幸か不幸か作戦に従事することなく終戦を迎え帰郷しました。
故郷では仲間の敵討ちを出来ずに生き残ったという”やるせなさ”から酒に溺れたそうです。
そんなある日、たまたま訪れた「聖パウロ教会」で合唱に誘われ、なんとも言われぬ心の充実感を味わったことで音楽に興味を持ち、東京芸術大学への進学を目指すようになりました。
上京後は小学校の教師をしながら東京芸術大学に挑みましたが、神経痛が原因で楽器の演奏をすることできなくなり、別の国立大学に進んで作曲の勉強を始めました。
ちなみに、小学校の教師時代に妹を迎えに来た角田(すみだ)好子さんと出会い、勝司さんが大学4年の時に結婚をしているので、人生の転機になった大学生活だったと言えるでしょう。
大学卒業後は赴任先の横浜市立南高校で新たに合唱部・マンドリン部・吹奏楽部・弦楽部を創設する一方、1964年からは合唱団「横浜YMCA混声合唱団」の指揮者に就任しています。
教師を退職後も市民オーケストラの立ち上げや指導をするなど人生を音楽に捧げ、2006年3月13日に閉塞性動脈硬化症のため、横浜市内の病院で77年の人生にピリオドを打ちました。
知人によると、亡くなる前に勝司さんは海軍航空隊土浦基地の跡地を訪れ、パイロットとして戦死をした仲間の写真や遺書、特攻隊にまつわる展示物をジッと見つめていたそうです。
戦争を知らない私たちが勝司さんの心中を察することは”はばかられ”ますが、戦没者への慰霊だけでなく「貴様らの分まで精一杯、生きたぞ」と報告したのかもしれませんね
高橋克典の母親は声楽家
父親の次は高橋克典さんの母親であり声楽家である好子(よしこ)さんを見ていきます。
好子さんの生い立ちや経歴は明らかになっていませんが、1930年に角田家の娘として誕生し、東京藝術大学を卒業後は声楽家やピアニストとして活躍をされました。
教育者としても尽力しており、青山学院女子短大の児童教育学科の教授を務め、定年後は同短期大学の名誉教授に就任をしています。
児童教育学科でもっとも多く名前が出てくるのは高橋好子教授とのこと。高橋教授は、タレントの高橋克典さんのお母様でピアニスト。
克典さんは青山学院大学を9年間留年して27歳の時に中退をしていますが、退学届けを出しても学院内で働いている好子さん連絡が行き、その日のうちに退学届けを持って帰ったそうです。
好子さんからすると、なんとか卒業してもらいたいという親心だったのかもしれませんね。
親心ですよ。親が大学の教授だから、じゃなくて。勿論学内だから情報は筒抜けなんでしょうけど RT @shukatsushosha: 高橋克典曰く、彼が青学大の退学届を何回か出しても、母君が都度、撤回させていたとか。RT 高橋好子先生は児童教育学科の教授。笑顔が克典さんそっくり
— Etsuko S. Yokokawa (@riobrancojp) February 12, 2011
晩年についてはあまり多くは語られていませんが、克典さんは自身のブログの中で網膜剥離と認知症を患い、高齢者施設で生活をしていたことを明かしていました。
残念ながら好子さんは2019年10月11日に亡くなってしまいましたが、 声楽家や教育者、そして母として多く教えを遺したことは間違いありません。
受けた教えを自身の中に留めるだけでなく次世代に伝えていくことで好子さんの輝きは増し、その想いを通じて人々の心の中で生き続けていくことでしょう。
高橋克典に兄弟はおらずクオーターでもない
最後に高橋克典さんの兄弟やクオーター説についてチェックしておきましょう。
高橋さんほどの有名人であれば兄弟の有無が気になるところですが、2023年現在に至るまで兄や弟、姉や妹の存在に関する発言や情報は確認もされていません。
以上のことから、兄弟はおらず一人っ子であるとの説が有力になっています。
ただ、高橋さんがブログで母・好子さんの命日に触れた際、気になる記述がありました。
5人暮らしから1人になった実家で、まだ残る母の気配に何度も何度も謝った。
両親と高橋さんの3人は確定として、残りの2人が誰なのかは分かっていませんが、確認のしようが無いので「兄弟は居ない」という従来の説を取らざるを得ませんね。
もう一つのテーマであるクオーターについては、高橋家の家系図をご覧ください。
母方の角田家は明治の末に日本からアメリカに移民した一族だそうですが、好子さんの父や祖父が外国人と結婚をしたという話は見つかりませんでした。
加えて壮次郎さんは半官半民の「南満洲鉄道株式会社」の幹部だったことと、当時の世界情勢を踏まえれば外国籍との結婚があった家系とは考えにくいでしょう。
ただ、高橋さんの妻・中西ハンナさんは日本とドイツのハーフなので息子さんはクオーターになりますから、ある意味で間違っていると言えないのは面白い話かもしれませんね。
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