杉山清貴(すぎやまきよたか)さんは「杉山清貴&オメガトライブ」のボーカリストとして、1983年4月21日にシングル「SUMMER SUSPICION」でデビューしました。
「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」「君のハートはマリンブルー」など、ヒット曲を連発していた最中、杉山清貴さんはオメガトライブを脱退し、ソロ歌手になりました。
杉山さんのオメガトライブ脱退については、長らく詳細が語られていませんでしたが、近年では脱退理由など話してもいいと言われたそうで、当時のことをお話しされています。
そんなオメガトライブが杉山清貴さんからカルロストシキさんになぜボーカルが交代したのか、脱退理由の真相、高い歌唱力や音域や美声についてなど、お伝えします。
杉山清貴のプロフィール
本名:杉山清貴
生年月日:1959年(昭和34年)7月17日
身長:167cm
出身地:神奈川県横浜市磯子区
最終学歴:横須賀学院高等学校卒業
所属事務所:株式会社アイランドアフタヌーン
杉山清貴、カルロストシキなぜ交代?脱退理由は曲作りの不安
杉山清貴さんは、人気絶頂だったオメガトライブを1985年いっぱいで脱退しました。
杉山さんの脱退の翌年、オメガトライブは新ボーカルであるカルロストシキさんを迎え「1986オメガトライブ」として活動を始めました。
杉山さんが人気絶頂の中オメガトライブを脱退し、カルロストシキさんにボーカルが交代した理由は、「オメガトライブ」とはバンドではなくプロデューサーや作家を含めたプロジェクトで、自分たちで作った楽曲を発表することができなかったためです。
杉山清貴&オメガトライブのデビューまでの経緯
杉山さんはメジャーデビュ前、「杉山清貴&オメガトライブ」の前身バンドである「きゅうてぃぱんちょす」に所属していました。
「きゅうてぃぱんちょす」は1980年に開催された「第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト」で入賞し、すぐにメジャーデビューの話が舞い込みました。
ですが、オリジナル曲の完成度に納得していなかったため、そのオファーを断っていました。
そんな中、音楽プロデューサーの藤田浩一さんが「楽曲はこちらで用意する」という条件を提示され、「杉山清貴&オメガトライブ」としてデビューすることになりました。
当時は明かされていませんでしたが、実は音源の楽器の演奏にバンドメンバーは関わっていなかったそうです。
腕利きのスタジオミュージシャンたちが楽器レコーディングを行い、杉山さんが歌をレコーディングしていたそうです。
バンドメンバーは、ライブで披露するためにスタジオミュージシャンの演奏見て必死でコピーしていました。
楽曲も林哲司さんや和泉常寛さんなどが、プロデューサーである藤田さんの強いこだわりの元に製作していました。
杉山さんは「オメガトライブとはバンドではなくて、プロジェクトだった」と振り返っていました。
プロの作家、プロのミュージシャンが作り上げた楽曲は当然クオリティーが高く、当時の日本の音楽界の中で突出した完成度を誇っていました。
そして杉山清貴&オメガトライブは1983年4月21日にシングル「SUMMER SUSPICION」をリリースしデビューすると、おしゃれで新しい感覚のバンドとして人気を獲得しました。
脱退理由の真相
世間では、「杉山清貴さんが杉山清貴&オメガトライブを脱退し、ボーカルがカルロストシキさんになった」という認識になっていますが、杉山清貴&オメガトライブのメンバーで1986オメガトライブに残っていたのは、6人中2人だけでした。
ですので、杉山さんだけがバンドを脱退したわけではなく、実質バンドは解散し、新たに1986オメガトライブが結成されたのが真実です。
杉山清貴&オメガトライブは脱退ではなく解散。ここテスト出ますよー
— しんび (@clavitia626) April 9, 2019
杉山さんは解散の理由についても明かしています。
最初は「作家の書いた楽曲を持ち歌としてやる」という条件ではじめましたが、次第に「自分たちの曲も発表したい」「このままでは、作家が離れた時に自分たちは売れなくなる」という不安がつのっていきました。
その結果、半ば強引に「もうやりません」と言って解散を決めたそうです。
杉山さんは「わがままで、若気の至りだった」と振り返っていました。
プロデューサーの藤田さんは「当時を振り返ると全員寝る時間もないハードスケジュールだった。そのような状況でメンバーから解散したいと言われて、プロデューサーとして冷静に受け止めた」と振り返っていました。
また、「作家勢もバンドも燃焼しきったんだと思う」とも語っていました。
藤田さんのプロデュースする都会的なサウンドは、1986オメガトライブ、その後のカルロス・トシキ&オメガトライブに引き継がれ、人気を博しました。
高い歌唱力で、音域は2オクターブ
杉山清貴さんは、デビュー当時から高い歌唱力が評価されていました。
特筆すべきは、歌詞の聞き取りやすさです。
歌詞が聞き取りやすい、ということは歌に癖がなく、喉への負担のない発声が出来ており、「歌う」という行為の技術力の高さを表しています。
また、音域は2オクターブほどありますが、下から上まで声質の変化があまりみられず、どのレンジの声もまっすぐで美しい声を出されています。
ビブラートなどの技術も、素人耳にはやればやれるほど「うまそう」に聞こえますが、杉山さんは実に自然で必要な時に必要な分量のビブラートをかけています。
オメガトライブ時代には、歌入れの際にプロデューサーの藤田浩一さんの強いこだわりの元に録音されたそうなので、相当鍛えられたのではないでしょうか。
現在も変わらない美声
杉山清貴さんは2023年は64歳になられましたが、現在でも変わらぬ美声で精力的に音楽活動を行われています。
持ち味の美声は、若い頃と比べても驚くほど変化がなく、喉の強さが伺えます。
2023年は杉山さんにとってデビュー40周年という記念の年です。
これからも変わらない美声をずっと聞かせてほしいですね。
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