シンガーソングライターの徳永英明(とくながひであき)さんには弟が1人おり、素性が気になる人が多いようです。
家族についてや両親に関するエピソード、そして実家についても気になります。
学生時代はヤンキーだったそうで、生い立ちのエピソードもありますので早速見ていきましょう。
徳永英明のプロフィール
本名:徳永英明(とくながひであき)
生年月日:1961年(昭和36年)2月27日
身長:175cm
出身地:福岡県柳川市
最終学歴:伊丹市立伊丹高等学校卒業
所属事務所:マゼラン
徳永英明の弟の職業は社長?家族は妻と息子2人
ここでは、徳永英明さんの弟など家族について見てみましょう。
弟はサポートスタッフかアパレル会社の社長という噂
若い頃はオリジナルのバラードソングがヒットして、イケメンなこともあり非常に人気が高かった徳永英明さん。
その後も、カバー曲を集めたアルバムで再ブレイクして活躍しています。
その徳永さんには弟がいて、同じ業界で仕事をしているのではないかと噂に。
コンサートではエンドロールに同じ名字の名前があり、「息子の名前ではないか」と言われたこともありました。
しかしコアなファンの情報によると、「徳永さんの弟が裏方としてサポートをしている」というのです。
また、別の情報では「弟はアパレル会社の社長」ということでどちらが正しいかは分かりませんでした。
ひょっとすると「徳永さんの弟はアパレル会社の社長で、たまにコンサートでサポートをしている」というのが正解かもしれません。
家族は嫁が元モデルで息子が2人
1994年に結婚した徳永英明さんの妻は高野(たかの)ゆみさんという元モデルで、身長が170cmの美人。
徳永英明さんの奥さん 高野ゆみさん pic.twitter.com/jab3sWOufz
— 指文字、LINEスタンプsmile-family (@smilefamily10) June 30, 2023
飲み会の席に2人がたまたまいて、電話番号を交換したのが交際のきっかけだったそうです。
その後電話した時に、徳永さんは「この人と結婚する」という予感がしたといいます。
きっと、とても感じが良くて話が盛り上がる相手だったのでしょう。
妻のゆみさんは、おしゃれなファッション雑誌「ViVi(ビビ)」のモデルをしていたそうですよ。
男の子が2人いたので、とても明るくてにぎやかな家庭だったのでは無いでしょうか。
1995年に生まれた長男の優翔(ゆうしょう)さんは、2023年現在は28歳になっています。
成城学園出身と言われており、高校時代に留学していたという噂がありました。
大学を卒業した後は音楽関係の会社に勤務しているそうで、徳永さんと仕事を一緒にすることもあるかもしれません。
1998年に次男のれいに(漢字は不明)さんが生まれていますが、この名前は「レイニーブルー」から取ったのでしょうか。
2023年現在は25歳で、兄と同じく成城学園に通っていたと言われています。
アマチュアでバンドを組んでいたという情報もありますから、兄弟共に徳永さんの影響を大きく受けているのですね。
いつか、親子で共演してみて欲しいものです。
徳永英明が両親に向けて書いた歌。実家がもんじゃ焼き屋の噂
徳永英明さんが2009年に出した「透徹の空」が話題になったことがありました。
実は、この曲は両親に向けて書いた歌で、「父親の背中を見て育ったことを思い出しながら、両親に向けて気持ちを込めて作った」と言われていました。
徳永さんの父親は保険会社の営業マンだったらしく、歌詞を見ると非常に厳しかったと推察できます。
幼い頃は、もっと甘えたかったという思いがあったようですね。
徳永さんの思いが詰め込まれており、感情が込み上げてウルっとしてしまいます。
実は、「徳永英明の実家は東京・月島のもんじゃ焼き屋なのではないか」という噂がありました。
確かに、徳永さんに関係するもんじゃ焼き屋があることは分かっています。
もんじゃ焼きは東京、月島の「麦」に是非👍👍
ぶっちゃけ半分以上は昔は自転車屋とかスポーツ用品店なんで、まずいです(笑)#もんじゃ#麦#月島#徳永英明 pic.twitter.com/fWkexhwtGy— 八咫の鏡 (@jza80ae86) December 2, 2018
しかし、家族や親戚が経営しているのではなくファンの店なのだとか。
実家は兵庫県伊丹市にあるのではないかとも言われていますが、真偽のほどは不明です。
徳永英明がヤンキーになったきっかけはいじめ
小学校まで九州に住んでいた徳永英明さんは、中学から兵庫県伊丹市に引っ越したそうです。
九州と関西では言葉が全く違うことと思春期というデリケートな時期が重なり、いじめられたといいます。
相当しつこかったのか頭に来た徳永さんは、相手を殴り返しました。
するとなかなかの腕前だったようで、「カミソリパンチの徳」という名前が付いたのです。
その流れなのか、中3の頃からヤンキーになった徳永さんは服装も派手になっていったそうです。
高校では勉強せずに、遊びとバイト生活で青春を大いに楽しんだのだとか。
徳永さん自身が語っていますが、「高校3年生の頃はヤクザのような服装で、見た目が老けていた」といいますが信じられませんね。
ヤンキーとは対極の、爽やかでにこやかな笑顔が素敵なイメージしかありませんでした。
徳永英明がゴリゴリの関西弁話すしゴリゴリのヤンキーだったという事に驚きを隠せない
あの界隈に住んでたらそうなってもおかしくないかw
尼崎今は凄い綺麗になってるけどね
駅周辺は pic.twitter.com/diJSH0sqLQ— ま。 (@mi_ma_me_kinoko) October 4, 2021
徳永さんの知り合いがダウンタウンの浜田雅功(はまだまさとし)さんと交流があったことから繋がり、「にいやん」と呼ばれるようになったといいます。
実際に芸能界に入ってからも、バラエティ番組で「にいやん」と呼ばれていたようです。
徳永さんの関西弁でのトークは、イメージと大きく離れていますが聞いていてとても楽しく親しみを感じました。
徳永英明の生い立ちは明るく元気な子
小学校時代の徳永英明さんは、目立ちたがり屋でクラスのリーダー的存在だったそうです。
クールな見た目に反して、かなりおしゃべりな気質は幼少期に既に始まっていたのですね。
父親の転勤で小学校を4回も転校していたようですが、性格的にすぐ周囲に馴染めたのでしょう。
父親は画家になりたかったそうで、その影響を受けて子どもの頃絵を描くのが好きだったそうです。
中学から兵庫県伊丹市に転校して、言葉をからかわれるという辛い経験を見事に乗り越えた徳永さん。
クラスのマドンナ的な女の子と交換日記をしていたこともあったそうです。
徳永さんのようなイケメンが学校にいたら、絶対に女子から注目を集めたはず。
ファンも、相当多かったのではないでしょうか。
部活もテニス部という「いかにもモテそうなスポーツ」をしていたようですし、言葉の壁もあっという間に乗り越えたのでしょう。
そんな徳永さんがシンガーソングライターになったきっかけは、なんと「神からのお告げ」。
中学2年生の時、外を歩いているとふと「お前は歌手になる」という声が聞こえた気がしたそうです。
それから曲を作るようになったそうですから、「お告げ」がなければ今の徳永さんはいなかったかもしれません。
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