脱出マジックで一世を風靡した初代・引田天功(ひきたてんこう)さん。
大掛かりなセットやジェットコースターからの脱出など、ハラハラドキドキとさせられました。
45歳という若さで亡くなられたのも、事故が原因ではないかと騒がれました。
そこで今回は、引田さんの死因や、2回のご結婚で授かった2人の娘さんとお弟子さんについてお伝えしていきます。
引田天功のプロフィール
本名:引田功(ひきたいさお)
生年月日:1934年(昭和9年)7月3日
身長:177cm
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:日本大学工学部卒業
引田天功、事故死はデマ。本当の死因は心臓発作
1979年の大晦日に、引田さんは亡くなっています。
その際、脱出マジックに失敗して命を落としたとか、爆発時の煙を大量に吸い込んで死に至ったとの噂が出回りました。
しかし、正式に発表された死因は、心筋梗塞を起こしたことによる心臓発作でした。
引田さんは、中年期以降、心臓疾患に苦しんでいたといいます。
1976年と1977年に心臓発作を起こされていました。
病状はこの時点でかなり重かったのかもしれません。
1977年には体調不良が影響して、予定されていたケーブルカーからの脱出を自身の体で行うことができませんでした。
脱出は、当時助手を務めていた朝風まりさん(のちのプリンセス・テンコー)が代役を務め、放送には支障がなかったようです。
この頃から、引田さんはメインの芸風を脱出から催眠術に変えられ、脱出劇を行うことはありませんでした。
復活に向けて、ナイアガラ瀑布での脱出企画などを用意されていたようですが、実現とはならなかったようです。
引田さんの脱出は、大爆発やジェットコースターに火をつけて走らせるなど今では考えられないほど大掛かりなものでした。
実際に、現場には消防車や救急車が待機していましたし、火傷などは日常茶飯事だったといいます。
そのため、引田さんが亡くなられたときに、マジックでの事故が原因ではないかと噂がでてしまったのですね。
2回の結婚で授かった2人の娘も芸能活動へ
引田さんは、2回結婚をされており、先妻・後妻それぞれとの間に娘さんを授かっています。
2人の娘さんも芸能活動をされていましたのでご紹介します。
前妻との娘は声優・小桜有美
引田さんと先妻・小桜京子さんは、1964年に結婚されました。
先妻の京子さんは、喜劇女優をされている方でした。
1965年に、京子さんとの間に生まれたのが有美さんです。
有美さんは13歳のときに、歌手デビューを果たした後、声優の道に進まれています。
テレビアニメや海外映画の吹き替えのほか、ナレーションなど多方面で活躍されています。
後妻との娘は少女隊・トモ
引田さんは、先妻の京子さんと1970年に離婚後、再婚をされています。
2人目の妻との間に授かったのが、引田智子さんです。
智子さんは、小学生のときにスカウトを受け、いくつかのCMに出演されました。
その後、1984年にデビューしていたアイドルグループ少女隊に交代メンバーとして、1985年から加入しました。
少女隊時代の呼び名は、トモでしたね。
アイドルとして音楽活動を行うほか、ドラマや映画への出演もされています。
映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲」には、少女隊の3人で出演されていました。
真ん中でいちばんセリフを話されていたのがトモさんです。
1999年にはご結婚され、芸能界は引退、村上姓になられています。
2023年現在は、化粧品販売会社ソシエテ・ルレープの販売責任者をされています。
プリンセス・テンコーら弟子も活躍
引田さんには、4組のお弟子さんがいたそうです。
二代目を継承された朝風まりさんのほか、意外な方までいらっしゃいますので、紹介していきます。
朝風まり(二代目引田天功、プリンセス・テンコー)
引田さんが体調不良でできなかった脱出の代役を完璧に務め、後継者として活躍されたのが朝風まりさんです。
引田さんの死後、後援会の要望を受け二代目引田天功を襲名。
その後、世界各地でも公演を展開し、「プリンセス・テンコー」の名で知られるようになりました。
2013年10月1日から、日本ではよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属され、吉本新喜劇にも出演されています。
三代目となる後継者をつくりたいという想いも持たれているようです。
候補としてて男女問わず国籍問わず全世界でタレント性のある人をよく目にするようにしています。ただ、学問の世界とは違う学ばないといけない歴史などもすべてわかっている人はなかなかいないので難しいかなと思いますが…。いつかはたくさん後継者をつくりたいという夢があります。
引田天洋
引田天洋さんについては、お名前が出てくるだけで、ほとんど情報が見つかりませんでした。
マジシャンとしてご活躍されていたようです。
お店に引田天洋さんが来てて、マジックしてくれた!
とんでもなくてずっと凄いとしか言ってないwwwwwwww— どんかつ(前進守備)はマッチョになる! (@kattyonn) June 15, 2014
引田天功さんの師匠である松旭斎天洋さんの名を引き継いでいるだけあり、かなりの腕前だったのではないでしょうか。
しかし、松旭斎天洋さんが初代会長を務め、二代目引田天功さんも正会員である日本奇術協会の会員にもその名はありませんでした。
すでに引退されている可能性が高いと思われます。
ナポレオンズ
ボナ植木さんとパルト小石さんのコンビ・ナポレオンズも引田さんの弟子でした。
円柱状の小道具を小石さんの頭に被せ、植木さんが回すと、小石さんの頭部がぐるぐると回って見えるネタ「あったまぐるぐる」は有名ですよね。
ゆるめのネタとトークがクセになるナポレオンズは、日本テレビ「笑点」の演芸コーナーでの最多出演を誇っていました。
2021年10月に小石さんか逝去されてからは、植木さんがお一人で活動されています。
中島誠之助
「えっ?」と思われた方も多いのではないでしょうか。
鑑定士の中島誠之助さんも引田さんの弟子だったそうです。
テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」にご出演され、「いい仕事してますねぇ」のフレーズでおなじみのあの方です。
2018年4月の放送回で、中島さん自らが引田さんの弟子であったとほのめかしたとされています。
真偽の確認はできませんでしたが、X(旧:Twitter)には実際に放送を見られたと思われる方の投稿がありました。
一昨日の鑑定団の録画を見てびっくりしたんだけど、中島誠之助先生が引田天功の初代の弟子らしい。
マジか…(๑╹ω╹๑ )— andy (@andrew69music) April 26, 2018
引田さんご自身は若くして亡くなられましたが、魅せる技術や想いはお弟子さんたちが引き継いでくれているようです。
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