松山英太郎の死因。俳優の家系図。息子と娘も役者。妻は芦田伸介の娘。兄弟は松山政路

ドラマ『七人の孫』での森繁久彌さんの孫役で人気を博した俳優・松山英太郎(まつやま えいたろう)さん。

前進座の『弁天小僧』で、わずか5歳で初舞台を踏んだ経歴からうかがえますが、華麗な俳優一家の中で育ちました。

確かな演技力のあった俳優でありながら、48歳の若さで世を去っています。

今回は松山さんの死因、家系図を確認し、同じ道を進んだ息子と娘を紹介します。

また妻が名優の娘という情報、兄弟の松山政路さんについても見ていきましょう。

松山英太郎のプロフィール

本名:松山英太郎(まつやま ひでたろう)

生年月日:1942年7月9日

死没:1991年1月11日

身長:不明

出身地:東京都武蔵野市吉祥寺

最終学歴:大成高等学校中退

松山英太郎の死因は食道がん

松山さんは俳優として熟練の域に入り、さらなる活躍が期待されていた48歳のときに、残念ながら亡くなっています。

1990年9月、東京宝塚劇場の公演に出演中、体調不良を訴えました。

検査入院した杏林大学医学部付属病院で下された診断は、食道がんでした。


すぐに闘病生活に入ったものの、入院から4か月後、1991年1月11日に亡くなります。

突然の死に多くの芸能関係者やファンは驚き、悲しみました。

特に松山さんを実の息子のようにかわいがっていた森繫久彌さんの悲しみ方は、尋常ではなかったようです。

2人は『七人の孫』『おやじのヒゲ』といったドラマで共演し、見事なコンビネーションですてきな演技を披露しました。

信頼できる相方のような存在を失った森繫さんは、葬儀場で号泣したと伝えられています。

また親友だった竹脇無我さんは、松山さんの死がきっかけとなり、うつ病を患ったとされています。

竹脇さんは「同年代の自分もいつ死ぬかわからないという感覚に、足元が揺らぐような気がした」と語りました。

親友を失った悲しみと迫りくる死に対する恐怖を紛らわすためには、酒に溺れるしかなかったそうです。

松山さんはファンだけでなく、多くの同業者に慕われる、すばらしい人柄の持ち主だったことがうかがえますね。

松山英太郎の家系図が豪華

松山さんはいわゆる「華麗なる一族」に生まれたサラブレッドでした。

祖父は洋画家の松山省三です。

白馬会系統に属して活躍し、官展にも出品した実績があります。


絵を描く傍ら開業した喫茶店の草分け「カフェー・プランタン」は、多くの文化人に利用されました。

英子夫人との間にもうけた息子は、俳優の5代目・河原崎國太郎です。

松山さんの父親である國太郎は、劇団・前進座の代表であり、当時を代表する女形として活躍しました。

戦前から映画で活躍し、1935年公開の山中貞雄監督『街の入墨者』や1937年公開の滝沢英輔監督『戦国群盗伝』などに出演。

戦後も1951年公開の今井正監督『どっこい生きてる』に出演し、銀幕で活躍しました。

宝塚歌劇団20期生の鈴鹿ゆみ子と結婚し、松山さんをもうけています。

松山さんは祖母の英子、父の本名である太郎から1文字ずつもらい「英太郎(ひでたろう)」と名付けられました。

松山英太郎の息子は芦田昌太郎

芸術・演劇界の重要人物で構成された、まばゆい家系図。

松山さんの子供たちもまた俳優となり、家系図にさらなる華やかさを加えています。

息子の芦田昌太郎(あしだ しょうたろう)さんは、1976年10月9日生まれの俳優です。

小学校1年生のとき、父とともに森繁さん主演『孤愁の岸』に出演し、初舞台を踏みました。

その後は芸能活動を続け、大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』や『毛利元就』に出演します。


同時に学問にも励み、名門・暁星学園高校を卒業しました。

獨協大学外国語学部フランス語学科に進学し、1999年からはフランスで、日本語教師として勤務。

パリ・ソルボンヌ大学でも学問を修めたのち、帰国して俳優業に復帰しました。

一族から受け継いだ役者の血が流れているからこそ、芝居への情熱を絶やすことはなかったのですね。

松山英太郎の娘は由夏

松山さんの娘・由夏さんは、1971年8月14日生まれの女優です。

生まれる1年前に省三が亡くなっているため、残念ながら偉大な祖父の記憶はありません。

しかししっかりと一族の血を受け継ぎ、東洋英和女学院を卒業後は芸能界で活動します。

ドラマ『水戸黄門』には旧芸名の「芦田由夏」名義で出演しています。

ところで、昌太郎さんと由夏さんは、なぜ苗字が「芦田」なのでしょうか。

松山英太郎の妻は名優・芦田伸介の娘

松山さんの妻は、昭和の名優として活躍した芦田伸介さんの一人娘でした。

名前は亜子さんといいましたが、2人の子供を出産後に離婚しています。

離婚後、子供たちは芦田伸介さんの養子となったため、苗字が「芦田」なのです。


芦田さんは太い黒縁メガネがトレードマークのバイプレイヤーで、数々の映画やドラマで活躍しました。

筆者は特に1966年のドラマ『氷点』で見せた重厚でありながら、繊細な感情を秘めた演技が好きです。

芦田さんは松山さんの家系図の中でも、ひときわ大きな存在感を放つ人物ではないでしょうか。

松山英太郎の兄弟:弟は松山政路

松山さんの弟もまた俳優として活動している松山政路さんです。

1952年に舞台『草青みたり』に出演し活動を始め、演技の幅広さが高く評価されてきました。

菊田一夫演劇賞の受賞歴もある実力派俳優であり、ドラマ『若者たち』といった映像作品でも活躍。

『ぼくの孫悟空』『ブラック・ジャック21』など、手塚治虫原作のアニメで声優としても活動しています。


2023年現在は76歳で、表舞台に出ることはなくなったようです。

今後松山一族から偉大な演劇人が登場する可能性もあるため、楽しみにしながら暮らしているのかもしれませんね。

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