片山右京は現在(2024)社長兼監督。指は事故後も無事。遭難テント落下&若い頃は破天荒

日本人3人目のフルタイムF1ドライバーになった片山右京(かたやまうきょう)さん。

カミカゼと呼ばれるほどアグレッシブな走りで、世界中を魅了しました。

今回は、片山右京さんの現在の活動内容や若い頃のエピソードについてお伝えします。

片山右京のプロフィール

愛称:カミカゼ・ウキョウ

本名:片山右京

生年月日:1963年5月29日

身長:165cm

出身地:神奈川県相模原市

最終学歴:日本大学第三中学・高等学校

所属事務所:KATAYAMA PLANNING株式会社代表取締役

片山右京は現在(2024)会社を経営している

片山右京さんは、2024年現在「KATAYAMA PLANNING」という会社を経営しています。

同時に、日本人初のツールドフランス優勝も目指していると語っています。

2000年代に入ってから本格的に自転車競技に出場するようになった片山右京さん。


しかし、実は幼少期から自転車にいそしんでいたようです。

カーレースに出会うまでは冒険家を目指していたとのこと。

片山右京さんは、現在登山家としても有名です。

父が登山愛好家だったので、自身も興味を持ったと語っています。

SUPER GTの監督で登山家、自転車競技も手掛けてさらに会社も経営している片山右京さん。

2024年は61歳ですが、まだまだ第一線で活躍し続けてくれることでしょう。

片山右京は登山事故に遭うも指は無事

片山右京さんは、F1ドライバー時代から登山を趣味としていました。

ドライバー引退後は登山家として本格的に活動を開始、2002年にはエベレストの登頂にもチャレンジしています。

しかし、山は非常に危険な場所。

ベテランの登山家でも事故の危険性は付きまといます。

いくつもの山の登頂に成功している片山右京さんでも、登山事故には遭ってしまうもの。

2009年12月、南極大陸最高峰の山「ヴィンソン・モシフ」に登頂するための訓練として富士登山に挑戦しました。

山は山頂に近づくほど気圧が低くなり、気温が下がります。

登山事故に遭った人が、凍傷により指を失くすことも珍しくありません。


事故が発生した12月18日の富士山頂付近の気温は、氷点下25度を下回っていたそうです。

このような過酷な状況での事故だったので、指は無事なのか心配されました。

結果、片山右京さんは指を失うことなく帰還。

目立った怪我や後遺症もなく、記者会見を行っています。

登山事故の時の同行者は遭難テントごと落下した

2009年12月に、富士山で登山事故に遭ってしまった片山右京さん。

登頂にあたり、自身の経営する「KATAYAMA PLANNING」の社員2人が同行しました。

12月17日に富士山に入山、同日の夕方頃には標高2750m付近まで到着し野営をします。

この時、片山右京さんのテントと社員2人のテントは別だったようです。

夜になると強風が発生、社員2人がいたテントごと200m下まで飛ばされてしまいます。

片山右京さんは必死に救助に努めましたが自力で助けるのは困難と判断。

救援を求めるため一人で下山し、標高2200m付近で発見保護されました。


しかし残念ながら12月19日、同行していた社員2人の死亡が確認されます。

一人だけ助かったことに、一部からは非難する声も上がりました。

とはいえ、あのまま自力で救助しようと粘っていたら片山右京さんの命も危なかったでしょう。

一人下山して救援を求めたのは、現場の状況を考えれば決して間違いではなかったはずです。

同行者2人が命を落とすという最悪の事態を招いてしまったことを受け、片山右京さんは登山活動を自粛。

自身を責め続けた結果鬱状態になってしまい、自宅から一歩も外に出られなかったそうです。

酷い精神状態が続きましたが、自転車仲間の今中大介さん達の助力により徐々に立ち直っていく片山右京さん。

亡くなった仲間の分まで一生懸命頑張ろうという想いを胸に、これまで以上にさまざまな活動に精を出すようになります。

若い頃は破天荒だった片山右京

F1に来て嬉しかったことはと聞かれた際に、「アラン・プロストに会えたこと」と答え笑いを誘ったこともある片山右京さん。

いつも茶目っ気たっぷりで、ファンからもユーモラスなドライバーとして知られています。

そんな片山右京さんですが、若い頃は相当破天荒だったようです。

筑波のジュニアフォーミュラでチャンピオンとなり、鈴鹿へ挑もうとした片山右京さん。

しかし、住む当てもお金もありませんでした。


すると片山右京さんは、なんと白子浜にブルーシートを敷いて生活したそうです。

スクラップ工場のライトバンの中で寝ていた、なんて驚愕のエピソードも話しています。

レースにすべてをかけていたのが良くわかるエピソードですね。

鈴鹿のジュニアフォーミュラでもチャンピオンを獲得、全日本F3でもシリーズ6位と好成績を記録します。

その後、いきなり一人でヨーロッパに挑戦。

1986年から1987年にかけてフォーミュラ・ルノーとフランスF3に参戦します。

一瞬にすべてをかける攻撃的な走りが注目されました。

後に代名詞となる「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれ出したのもこの頃のことです。

しかし、その走りは速さはあるもののあまりにも攻撃的過ぎました。

とあるレースで瀕死の重傷を負ってしまい、「片山右京死亡」の報が伝えられたこともあります。

重症を負って病院に運ばれたものの治療費が払えないため、点滴を付けたまま脱走したエピソードはファンの間で語り草となっています。

食あたりになってもレースに出場し胃の中のものを吐き続けながら走り続けたなど、F1にステップアップしてからも破天荒なエピソードは後を絶ちません。


これらのことからわかるのが、片山右京さんは尋常ではない精神力と行動力の持ち主だということ。

治療中に病院を脱走するなどは決して真似できないことですが、1つの物事にすべてをかける情熱は見習いたいところですね。

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