片山右京の自宅は相模原。年収約7億の過去!自転車競技と並行して会社経営

F1ドライバー引退後は登山家、自転車競技選手として活動している片山右京(かたやまうきょう)さん。

ジョークが好きな陽気な人柄でも知られており、タレントとしても活躍しています。

今回は、片山右京さんの自宅や経営している会社についてお伝えします。

片山右京のプロフィール

愛称:カミカゼ・ウキョウ

本名:片山右京

生年月日:1963年5月29日

身長:165cm

出身地:神奈川県相模原市

最終学歴:日本大学第三中学・高等学校

所属事務所:KATAYAMA PLANNING株式会社代表取締役

片山右京の自宅は相模原にある

片山右京さんの自宅は神奈川県の相模原市にあります。

自身の経営する「KATAYAMA PLANNING」の事務所でもあるので、ストリートビューなどで外観を確認することができます。

ビル型の建物で窓の数などからおそらく地上3階建て、面積も広大です。


相模原市は住宅街は閑静で治安が良いと言われています。

住みやすく東京や横浜へのアクセスも良好で、住みたい街で名前を挙げる人も多いです。

片山右京さんは、テレビなどで何度か自宅を公開しています。

F1ドライバーまで上り詰めたドライバーだけあって、内装は非常に豪華。

大きなプロジェクタースクリーンが備わっており、ボルタリングができる壁も設置されていました。

また、今中大介さんがツール・ド・フランスに出場した際に乗っていたロードバイクも置かれていると言われています。

ドライバー引退後も、SUPER GTの監督などを通じてモータースポーツと関わり続けている片山右京さん。

自動車への愛も相変わらずで、かつては自宅に70台以上の車があったそうです。

片山右京さんは、出身も相模原市です。

相模原市立鹿島台小学校を卒業していることから、実家も相模原市にあるのでしょう。

独立してからも相模原市に住み続けていることから、地元愛が強い人と思われます。

世界的に有名な日本人の一人である片山右京さん。

そんな人物が地元愛を持ってくれているとなると、相模原市出身の人は誇らしい限りですね。

片山右京の最高年収は約7億円

1992年に3人目のフルタイムF1ドライバーとなった片山右京さん。


F1はモータースポーツの最高峰、そこで走るドライバーは漏れなく高給取りです。

史上最高のF1ドライバーと言われたミハエル・シューマッハさんの2010年の年収は、当時の日本円で約27億4000万円とのこと。

シューマッハーは9位(3400万ドル=約27億4000万円)に位置している。

2023年現在F1で戦う唯一の日本人である角田裕毅さんの推定年収は、約1億円です。

片山右京さんも、F1ドライバー時代は相当額の年収を得ていたようです。

2013年にテレビ東京で放送された「解禁!暴露ナイト」という番組で、年収額を暴露。

最高年収は、なんと7億円にも達したそうです。

片山右京さんは1992年にラルース、1993年から1996年まではティレル、最後の年となった1997年はミナルディで戦いました。

どのチームも決して裕福ではなく、2023年には完全に消滅しているチームもあります。

にも関わらず7億円もの年収を得ていたのは、当時の経済状況によるものも大きいでしょう。

1990年代は、まだF1にタバコの広告が許可されていた時代。

片山右京さんも、日本たばこの「MILD SEVEN」ブランドからスポンサードされていました。

ほかにも2023年現在以上にさまざまな企業がスポンサーとして登場しています。

よって現在以上にスポンサーから得られる収入が多かったと推測されます。

今以上にモータースポーツの人気が高かった時代ですので、基本給も高かったことでしょう。


よって当時は中堅下位のチームでも、2023年現在の同レベルのチーム以上の年収を得られたと考えられます。

時速300km以上で走行するマシンを操縦する、常に命の危険が付きまとう職業。

1億円程度の年収では少ないと感じる人もいるのではないでしょうか。

一般人では考えられないほど高額の年収を得ていた片山右京さん。

しかし、F1ドライバーを続けるためにはあらゆるものを犠牲にしなければなりません。

食事制限が厳しいのはもちろん、自宅に帰る時間もほとんどなかったそうです。

子供を初めて抱いたのが、生まれた半年後だったとも語っています。

お金以外に得られるものはほとんどなかったとのこと。

華やかな世界に見えますが、「内面は本当につまらない世界」と語っていました。

片山右京は自転車競技にも精通している

1990年代にF1ドライバーとして活躍した片山右京さん。

2000年代に入ると登山家としても名が知られるようになりました。

そんな片山右京さんは、自転車競技にも精通しています。

2008年には「エタップ・デュ・ツール」に参戦し、日本人最高位の284位で完走。

女子自転車競技チームの監督を務めるなど、選手として以外にも競技に関わっています。


2020年には「ジャパンサイクルリーグ」のチェアマンに就任、2021年に行われた東京オリンピック・パラリンピック自転車競技のスポーツマネージャーも務めました。

2022年にはジャパンサイクルリーグのチェアマンとして会見を開き、自転車競技を盛り上げたいと語っています。

片山右京さんは幼少期から自転車が好きだったようで、小学生の頃には伊豆や和歌山に自転車旅行に行っていたそうです。

旅先で知り合った人の家に泊めさせてもらった、現地の不良に絡まれたなどさまざまなハプニングに遭遇したとのこと。

突然フランスに武者修行に出向くなど、レーサーになってからっも凄まじい行動力を見せていた片山右京さん。

その行動力の原点は、自転車が好きな気持ちにあるのかもしれませんね。

会社経営しながらスポーツに携わっている片山右京

片山右京さんは、2001年に自身が代表を務めるKATAYAMA PLANNING株式会社が運営する「Team UKYO」を設立。

これにより、会社経営しながら登山や自転車競技、モータースポーツに携わるようになります。

2011年にはグッドスマイルレーシングと共同でSUPER GTに参戦。

初音ミクをあしらったマシンは、参戦以後根強い人気を誇っています。

2014年以降は同チームの監督に就任、2017年にはチームタイトルとドライバーズタイトルの両方を獲得しています。

2012年には自転車チームの「Team UKYO」を設立。

2021年には「TEAM UKYO相模原」に改称し、ジャパンサイクルリーグに参戦しています。


会社経営だけでも大変なのは想像に難しくありません。

その上レーシングチームと自転車チームの監督も務めるとなると、休める日はほとんどないのではないかと推測されます。

常に新しいことにチャレンジする行動力も片山右京さんの魅力の1つ。

これからもさまざまな競技を通じて、スポーツで日本を元気にして欲しいですね。

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