2006年にスーパーアグリからF1デビューした井出有治(いでゆうじ)さん。
残念ながらF1では結果を残せませんでしたが、国内有数のトップレーサーとして高い知名度を誇ります。
今回は、井出有治さんの黒旗無視事件や新東京サーキット解任騒動について詳しくお伝えします。
井出有治のプロフィール
本名:井出有治
生年月日:1975年(昭和50年)1月21日
身長:177cm
出身地:埼玉県浦和市
最終学歴:小松原高等学校
所属事務所:フリー
井出有治は黒旗なぜ無視した?
井出有治さんのキャリアの中でもひと際物議を醸すのが、2006年のSUPER GT第6戦「鈴鹿1000km」での黒旗無視事件でしょう。
本人曰く「表示に気が付かなかった」ので無視してしまったとのことですが、あまりにも前代未聞のできごとでした。
鈴鹿1000kmといえば2006年、井出有治の黒旗無視(՞ةڼ◔)☝
— rokarm (@ROKARM77R) March 4, 2017
黒旗とは、重大な違反を起こした際に提示される旗信号のこと。
黒旗を提示された車両は失格となり、たとえトラブルなどなくてもレースを終えなければなりません。
レースにおける、最も重い処分の1つです。
ドライバー交代後、他車とシケインで接触したのが原因でドライブスルーペナルティが課せられた23号車の井出有治さん。
しかしコントロールラインにペナルティボードが提示されたにも関わらず、3周も走行を続けてしまいます。
レースでは、たとえ納得がいかなくても審判の決定には絶対に従わなければなりません。
再三にわたりドライブスルーペナルティを無視したことで、井出有治さんに対して黒旗失格処分が下されます。
黒旗が出たことでようやくピットインしたのですが、なんとドライブスルーのみでレースに復帰してしまいます。
この重大な違反に対して運営は、同年度のレース出場拒否に加えて罰金30万円という重い処分を下します。
井出有治さんが語るところによれば、コントロールラインの表示には気付かなかった上、チャックを差し忘れて無線も届かなかったとのこと。
GTカーは、一般車より視界が悪いです。
スピードも一般車よりはるかに出ているため、表示に気付かないという可能性は十分に考えられます。
なにより2006年は、井出有治さんにとって波乱の年でした。
F1に参戦したものの結果を残せず、世界中から批判を浴びてしまったのです。
結果が残せなかったのは、井出有治さんにのみ原因があるわけではありません。
とはいえ尋常ではない批判を浴びてしまえば、精神状態は悪化してしまうはず。
また、黒旗を無視したレースは日本復帰後初のレースでした。
F1での悪評を払拭するため、並々ならぬ意気込みで挑んだことでしょう。
しかし意気込み過ぎると、良くない結果を招いてしまうのはよくあること。
気負い過ぎてしまった結果、普段見えるものが見えなくなってしまったのかもしれません。
井出有治のF1挑戦が伝説と言われる理由
井出有治さんは、2006年にスーパーアグリからF1に参戦しました。
チームメイトは佐藤琢磨さん、オーナーは鈴木亜久里さんというオールジャパンチームでの参戦に日本中の注目を集めます。
しかし、結果は散々なものとなってしまいました。
開幕戦バーレーングランプリではトップより9秒近く遅い予選タイム、決勝はリタイアという記録でレースを終えてしまいます。
事件が起こったのは第4戦サンマリノグランプリ。
1周目に前方のマシンに追突、相手を4回転半させる大クラッシュの原因を作ってしまったのです。
追突されたクリスチャン・アルバースさんは奇跡的に無事でしたが、この事故が原因でスーパーライセンスをはく奪されてしまいます。
現役ドライバーがシーズン途中にスーパーライセンスをはく奪されるなんて前代未聞です。
結果、第3戦オーストラリアグランプリで13位完走を果たしたのが最高成績となってしまいました。
フルタイムF1ドライバーなのにわずか4戦でシートを追われてしまったこと、前代未聞のスーパーライセンスはく奪処分を受けたことなどが原因で、井出有治さんのF1挑戦は伝説と呼ばれるようになってしまったのです。
実力に疑問符が付く声が上がりましたが、チーム側にも問題があったのは明白です。
井出有治さんが使用したマシンは空港で雨ざらしのまま展示していた4年前のマシンで、動かせるように改造できたのも奇跡と言われた代物でした。
スピードが出ないのはもちろん、操縦性にも相当な問題を抱えていたはず。
事実後任のフランク・モンタニーさんは、井出有治さんが乗っていたマシンの使用を拒否しています。
捉え方によっては、こんなマシンで周回を重ねただけでも十分と言えるのではないでしょうか。
日本国内で十分な実績があるのに、スーパーライセンスのはく奪処分はやり過ぎではないかとの声もありました。
数々の不運が重なって伝説と呼ばれるようになってしまいましたが、井出有治さん自身はF1挑戦をまったく後悔していないとのことです。
井出有治は2022年に結婚している
井出有治さんは2022年に結婚しています。
4月22日、井出有治さんの亡くなった母親の誕生日の入籍でした。
同年9月には第一子となる女児も誕生。
お相手の女性とは地元の埼玉で知り合ったとのこと。
コロナ渦で大変だった時期を支え合ったことで信頼関係ができたそうです。
お相手の女性は一般人とのことで、名前や年齢など詳細は公開されていません。
レーサーとしては山あり谷ありだった井出有治さん。
プライベートでは順調に幸せな家庭を築いて欲しいですね。
井出有治は現在(2024)も現役レーサー
2013年にレーサー以外の事業を始める考えがあると明かした井出有治さん。
年齢的なことや、スポンサーを集めにくくなってきたことで第一線で活躍するのは難しいと思うようになったと語っています。
しかしドライバーの引退は考えていないようで、機会があればレースに出場したい意欲も見せていました。
その後も数シーズンSUPER GTで活躍、2022年には「BUSOU Drago CORSE」から出場し第2戦の富士スピードウェイでは2位表彰台を獲得する走りを見せてくれました。
ドライバーとしての腕前はまだまだトップクラスだと証明した井出有治さん。
ほかにも株式会社三栄の車メディア「clicccar」でテストドライバーとしても活躍しています。
2023年は残念ながらシートは得られませんでしたが、これからの活躍に期待しましょう。
突然の新東京サーキット解任なぜ
2020年9月に千葉県のカートサーキット「新東京サーキット」のオーナーとなった井出有治さん。
カートには若い頃お世話になっていたので、業界に対して恩返しがしたいと運営の意気込みを見せていました。
しかし2021年8月、突然オーナー解任となってしまいます。
同年同月上旬、サーキットのスタッフでコロナ感染のクラスターが発生。
共同経営者の若濱真之介さんのコロナに対する考え方が原因で、現場で働くスタッフはマスクを着けづらい雰囲気になっていたそうです。
出勤できないスタッフの代わりにサーキットの営業を一人で行ってた井出有治さん。
しかし、スタッフの復帰を待つ前に代表取締役解任の通知が届いてしまいます。
コロナ対策で決定的に意見が分かれたこと、通帳提示に応じないなど金銭の流れを把握させてもらえなかったことも明かしています。
この件に関しては、井出有治さんにほとんど非がないように思われます。
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