チューニングカー専門誌「OPTIN」の創設者である稲田大二郎(いなだだいじろう)さん。
最高速トライアルに果敢に挑戦する命知らずなドライバーとしても知られており、数々の伝説を残しています。
今回は、稲田大二郎さんの現在の活動や痩せた理由などについてお伝えします。
稲田大二郎のプロフィール
愛称:Dai、暴走機関車
本名:稲田大二郎
生年月日:1947年(昭和22年)2月24日
身長:不明
出身地:長崎県
最終学歴:学習院大学除籍
所属事務所:OPTIONグループ
稲田大二郎は現在(2023)OPTIONグループ総帥
稲田大二郎さんは、2023年現在もOPTIONグループの総帥を務めています。
OPTIONとは、1981年に創刊されたチューニングカー専門雑誌のこと。
モータースポーツ誌オートスポーツの別冊(オプション)だったことから、OPTIONと名付けられたのが由来です。
稲田大二郎さんは雑誌OPTIONの創刊に尽力し、チューニングカーの普及に努めました。
かつては峠などを攻める、いわゆる走り屋として活動していましたが、モータースポーツへの出場経験はないようです。
ただし土屋圭市さんや高橋国光さんとは親しい仲にあり、モータースポーツ界の人脈は持っています。
稲田大二郎さんと言えば、最高速チャレンジという人は多いでしょう。
ドイツのアウトバーンにて、日産のスカイラインGT-Rを駆り時速約370kmの世界記録を樹立したなど数々の記録を有しています。
時速300kmでバンクに激突、時速344kmで走行中にタイヤがバーストして大クラッシュを演じるなどの逸話も有名です。
どれだけ速度が上がってもアクセルを踏み続けられる勇気と、凄まじい速さの中でも的確な判断を下せる冷静さを持ち合わせた稀有な人物。
2010年以降紙媒体の雑誌が次々休刊している中OPTIONが高い人気を維持できているのは、稲田大二郎さんの存在が大きいと思われます。
2021年、OPTIONの創刊40周年を迎えた記念イベント「OPTION JAMBOREE」でも元気な姿を披露してくれました。
2023年に76歳を迎えた稲田大二郎さん。
まだまだ車への好奇心は旺盛で、チューニングもドライビングも楽しみたいとのこと。
生涯現役を続けると宣言しており、最高速チャレンジなど危険な企画にも意欲的な姿勢を見せています。
稲田大二郎が病気で痩せた噂なぜ?
2006年頃の稲田大二郎さんは、恰幅が良い体型でした。
しかし2022年の映像では、かつてと比べてやや痩せているように見えます。
もしかすると病気ではないのかと心配する人もいたようです。
しかし、立ち振る舞いや言動から病気ではないと思われます。
声は元気で、身体的に弱っている様子もありません。
よって加齢によって痩せたのではないかと推測されます。
2022年時点で稲田大二郎さんは75歳、後期高齢者と呼ばれる年齢です。
この年齢になれば、普通に生活するだけでも体重が減っていく人もいます。
2019年、73歳のときに「免許返納認知症度チェック」に挑戦した際もチェックは1つもありませんでした。
「73歳:チューニング雑誌OPTION誌創刊仕掛人・稲田大二郎(Daiちゃん)」さん、チェック無し。「あしからず…(笑)」(Dai)
2023年76歳になってもまだまだ元気な稲田大二郎さん。
80歳、90歳になっても現役でスピードテストに挑んでもらいたいですね。
稲田大二郎の娘はNPO理事長
稲田大二郎さんには稲田麻実奈さんという娘がいます。
一般人のため年齢などはわかりませんが、写真や名字を見る限り2018年時点で40歳前後で、まだ結婚はしていないのではないかと思われます。
稲田麻実奈さんは、NPO法人「オプションランド国際交流協会」の理事長を務めています。
「オプションランド国際交流協会」は、自動車ユーザーに対して運転技術の向上や環境保全のための啓もうを行うことを目的とした法人。
モータースポーツや自動車パーツの発展、振興にも尽力しています。
稲田大二郎さんも理事に名を連ねているので、共同で運営を行っていると思われます。
チューニングカーの展示イベントを毎年のように行っているなど、精力的に活動しているようです。
イベント以外にも走り屋神社の設立運営、Tシャツなどのグッズの販売も行っています。
環境保全活動も活発に行っており、2000年から桜の苗木配布を開始。
ほかにもドライバー用の整体サービスの開業サポートなど、車にまつわる幅広い分野で活動しています。
親子揃ってラジオやセミナーに出演しており、関係は良好なようです。
稲田大二郎は結婚しているが家族は出ていった?
稲田大二郎さんは、娘がいること、そして年齢的なことなどを考えて相当昔に結婚しているものと思われます。
しかし結婚や嫁について語ることはほとんどありませんので、何歳の頃にどんな女性と結婚したのかは不明です。
2009年に放送された「THE 1億分の8」というバラエティ番組に出演した際に、家族はみんな出ていったと語っていました。
かつては2週間に1回のペースで最高速のテストを行っていた稲田大二郎さん。
次こそは命はないと思い、テスト前は必ず遺書を書いていたそうです。
2週間に1回のペースで夫の命の心配をしなければならないのは、相当な負担になったはず。
ついていけないと思って出ていってしまうのも無理はないのかもしれません。
YouTubeやテレビ番組などの立ち振る舞いや態度は、決して偉ぶらず親しみやすい人柄だとうかがえます。
よって性格の不一致で家族が出ていった可能性は低いのではないでしょうか。
稲田大二郎さんの仕事の関係で心休まる暇がなかったので、出ていかれてしまったと考えられます。
しかし、2018年には娘と仲良くラジオ番組に出演しています。
その後和解したのか、当時の発言は番組を盛り上げるためのリップサービスだったのかは不明です。
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