星野一義、若い頃F1参戦なしの理由。息子と娘あり。妻が本を出版&現在(2024)の年収

日本一速い男と言われ、国内外のトップレーサーから一目置かれていた星野一義(ほしのかずよし)さん。

株式会社ホシノインパルの経営者としても知られており、ビジネスシーンでも名をはせています。

今回は、星野一義さんの若い頃や家族、そして年収についてお伝えします。

星野一義のプロフィール

愛称:日本一速い男

本名:星野一義

生年月日:1947年(昭和22年)7月1日

身長:不明

出身地:静岡県安倍郡玉川村

最終学歴:東海大学第一高等学校中退

所属事務所:株式会社ホシノインパル(社長)

星野一義は若い頃F1に行かなかった理由

星野一義さんは、若い頃は日本一速い男と呼ばれていました。

2002年に55歳で引退するまで国内のさまざまなカテゴリーで活躍しましたが、最後までF1のフル参戦は叶いませんでした。

全日本F2選手権をはじめ国内のカテゴリーでチャンピオンを乱獲、1970年代から1980年代にかけて最も速いレーサーの1人であったことは間違いありません。


そんな星野一義さんがF1に行かなかった理由は、年齢です。

星野さんは、1976年の富士スピードウェイで行われた「F1世界選手権イン・ジャパン」にスポット参戦。

豪雨の中旧型マシンにもかかわらず3位を走行して存在感を示します。

交換用のホイールがないという不運によりリタイヤに終わりましたが、その速さは世界に通じることを証明しました。

残念な結果に終わったものの、豪雨の中凄まじい走りを見せた星野一義さん。

この時すでに29歳でしたが、F1関係者から声をかけられることはありませんでした。

1978年にはヨーロッパF2選手権に参戦しますが、マシンの不調に悩まされ思うような結果は残せませんでした。

遠征当初は第10戦まで参戦する予定でしたが、マシンパーツが底をついたことにより第6戦と第7戦のみの参戦で終わってしまいます。

この結果を受けて星野一義さんはヨーロッパへの想いを断念、国内でのレースに専念するようになります。

1987年にはホンダF1エンジンのテストドライブを任されるようになりましたが、注目されたのは中嶋悟さんでした。

当時のF1ドライバーは24歳前後でデビューするのが一般的でしたが、星野一義さんはすでに40歳。

どれだけ速さがあっても、年齢的にフルタイムでの参戦は難しかったのです。

当時非常に悔しい思いをしたらしく、数年間F1を見ることができなかったと後日語っています。


ちなみに1990年にベネトンチームからスポンサー持ち込みなどを条件にスポット参戦を打診されましたが、ドライバーがお金を払ってマシンを運転するのはあり得ないと信念を貫き見送っています。

日本人ドライバーのF1参戦が現実的になったのは、ホンダなど日本企業が存在感をあらわし始めた1980年代中盤以降。

また、星野一義さんが20代の頃はモータースポーツの地位もそれほど高くありませんでした。

よって、どれだけ速さがあってもF1のシートに収まるのは難しかったのではと考えられます。

もし生まれる時代がもう少し遅かったら、日本一速い男が世界一速い男になっていたかもしれません。

星野一義には息子と娘がいる

星野さんには2人の子供がいます。

一人目の子供は女子で、二人目は男子。

長女の名前は準子さん。

詳しい生年月日は不明ですが、2024年は50歳です。

よっておそらくすでに結婚されていると思われますが、一般人のため詳細は不明です。

第二子の男子は、後にレーサーとして活躍する星野一樹さん。

子供2人とも、父との関係は良好な様子。

息子の星野一樹さんは父の所有するチーム・インパルからレースに出場したこともあります。

2008年にGT300クラスのチャンピオンに輝いた際は、父と抱擁する姿でファンを感動させました。


2014年にはホシノインパルに入社、父と同じ会社に所属することになります。

準子さんも、2002年に星野一義さんがレーサーを引退した際は花束を送っています。

しかし、気性が激しい父との接し方に苦労することもあったそう。

星野さん一家は、夏と冬には必ず旅行に行っていました。

集中力が高く繊細な星野一義さん。

レース前などは話しかけられる雰囲気ではなかったとのこと。

家庭でも突然感情が爆発することも珍しくありませんでした。

旅行中でも突然感情が高ぶってしまい、一人だけ帰ったなんてこともあったそうです。

さまざまなことがありながらも良い家族関係を築けているのは、普段はとても良い父親だったのでしょうね。

星野一義の妻は過去に本を出版している

星野さんは、1967年に結婚しています。

妻の名前は由紀子さん。

1991年には「私の愛したレーサー―日本一速い男の舞台裏」という本を出版しています。

由紀子さんいわく、星野一義さんの人格はめちゃくちゃだそうです。

にも関わらず結婚以来ずっと良好な関係を続けられているのは、尊敬の念があるからとのこと。


本を出版したほか、度々インタビューにも登場し夫との関係を語ってくれています。

ある日星野一義さんが「一樹は大変で困る」と漏らしたそうです。

すると由紀子さんはここぞとばかりに、「あなたも同じくらい大変だ」と教えると語っていました。

笑いながらこのようなエピソードを話せるのは仲が良い証拠。

これからも末永く幸せな関係を続けて欲しいですね。

星野一義の現在(2024)の年収は5000万円前後?

星野さんの収入は、ホイールなどの製品の売り上げに加えて、レーシングチームの賞金やメディアへの出演料など多岐に渡ると考えられます。

よって2024年現在1億円以上の年収があることはほぼ間違いないでしょう。

自身が社長を務める株式会社ホシノインパルの年間売り上げは、3億円から10億円程度と推定されます。

会社の売り上げの10分の1程度が社長の年収と考えれば、3000万円から8000万円です。

スーパーフォーミュラやSUPER GTで得た賞金収入が別だとすれば、多い時は1億円程度の年収があるのではと考えられます。

レーサーとして大成功した星野一義さんは、会社経営者としても大成功しています。

ホシノインパルを創業したのは、レーサーとしての将来に不安があったからとのこと。

コース上で見せる大胆な走りとは裏腹に、誰よりも臆病だと語る星野一義さん。

練習走行の機会が与えられない時代は、先輩達の走る音を聞いて走り方を学んだそうです。


このエピソードからも並外れた努力家であることがうかがえます。

慎重で研究熱心な星野一義さんだからこそ、会社経営も成功できたのでしょうね。

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