中島啓江に結婚歴なし。若い頃に母と家出、父親の暴力で病気&弟が残された家族

数々の舞台で歌声を披露しテレビでも活躍、憎めない人柄が記憶に残るオペラ歌手・中島啓江(なかじまけいこ)さん。

57歳で突然の死を遂げた彼女には、父親との間に筆舌に尽くしがたい壮絶なエピソードが残されていたのです。

今回は、中島さんの結婚についての情報と、若い頃から苦しんだという父親との関係や家族についてお伝えします。

中島啓江のプロフィール

愛称:ビッグママ

本名:中島啓江(なかじまけいこ)

生年月日:1957年(昭和32年)11月15日

身長:165cm

出身地:鹿児島県肝属郡佐多町

最終学歴:昭和音楽大学短期大学部卒業

所属事務所:ピュアハーツ

中島啓江は結婚せず。子供もいない

中島啓江さんは、2014年11月23日に呼吸不全のため帰らぬ人となりました。

当時は、突然の訃報に驚かれた方も多かったのではないでしょうか。

57歳で亡くなった中島さんですが、夫や子供についての情報はありません。


NHK教育テレビジョンの子供向け番組『夢りんりん丸』に「ビッグママ」として出演し、著書『答えは、Yes!: ビッグ・ママからのメッセージ』も残した中島さん。

周囲から愛される親しみやすいキャラクターが記憶に残っていますが、意外にもその生涯で結婚したことは一度もなく、子供もいなかったようです。

そんな中島さんですが、かつて結婚願望を語ったことがありました。

お相手は、あのWBC日本代表チーム「侍ジャパン」の監督・栗山英樹(くりやまひでき)さんです。

2009年に行われたコンサート「夢で逢いましょう」の公開リハーサルで、取材陣に対して結婚の意思があることを明かしました。

私は栗山がOKすれば、すぐ結婚したい

当時、主に野球評論家として活動していたという栗山さんとテレビ共演で知り合い、プライベートでも交流があり、マージャン仲間でもあったといいます。

中島さんは「栗山が北海道に家を建てて、泊まれる部屋を作ってくれた」「私は信じてる」と語り、栗山さんからのプロポーズを促したのだとか。

もちろん、栗山さんと実際に結婚や交際に発展したわけでもありませんし、どこまで本気だったのかも分かりません。

おそらく、単なるリップサービスだったのだろうとは推測できますが、公の場で「栗山」と呼び捨てにしていることからも、二人の仲がとても良かったことは間違いありませんね。

中島啓江、若い頃に母と家出&父親の暴力が原因で病気に

中島さんは、いつも明るくて周囲を和ませるキャラクターが印象的な方でした。

しかし、その印象とは裏腹に若い頃は大変苦労したのだそうです。

その原因は、実の父親から日常的に受けていた暴力だといいます。


中島さんの父親は建設関係の会社で現場監督をしていたそうですが、ギャンブル好きで酒乱と、一緒に暮らす家族にとっては最悪の組み合わせを持ち合わせていたようです。

稼いだ金はギャンブルに消え、その憂さ晴らしに酒を飲んでは暴れていたのだとか。

ある時は、家計の足しにしようと母親が内職で裁縫をしたのが気に食わず、「俺の稼ぎで食えないのか!!」と大暴れしたそうです。

それは中島さんが大人になってからも変わらず、毎月家に入れていた30万円は、母親が内緒で借りていた消費者金融の借金返済にあてられていたといいます。

結局、金銭的にも精神的にも苦労は絶えず、父親からの激しい暴力も続きました。

それは、母親をかばった中島さんの手に、包丁による傷跡を残すほど壮絶なものだったといいます。

中島さんが20代の頃には、そんな地獄のような毎日から逃れようと、母親を連れて家出をしたことがあるそうです。

だからといって行く当てもなく、寿司屋に立ち寄ったのだとか。

20代のころ、暴力に耐えきれず、母と家を出たことがある。あてもなく歩き、すし店に入った。

普段、追い詰められているからこそ、寿司を食べて少しでも幸せを感じたかったのでしょうか……。

二人で泣きながら寿司を食べたそうです。

中島さんは母親に離婚を勧めたそうですが、結局、父親が待つ家に帰ったといいます。

DVの加害者によくあるパターンですが、中島さんの父親も不意に優しい一面を見せることがあり、母親は見捨てることができなかったのだとか。

これもDV被害者の心理でしょうか……。

他人から見れば有り得ないことですが、渦中にいる家族には精神的にも金銭的にも余裕がないこともあり、冷静な判断が下せなくなるのも無理はないのかも知れません。


そんな心労からか、はたまた父親からの暴力が原因の一つになったのでしょうか、中島さんの母親はくも膜下出血で1997年8月に亡くなりました。

想像するだけで辛くなる話ですが、恐ろしさと悲しみに溢れたエピソードはこれだけでは終わりません。

母親の入院は9か月間におよび、その闘病期間中は父親と二人で暮らすことになった中島さん。

母親が入院しているというのに父親は相変わらずで、「メシ用意しろ」「金もってこい」と怒鳴りまくられる日々が続いたそうです。

挙句の果てには自室の鍵をこじ開けて侵入しようとするほどだったといいます。

中島さんはこの多大なストレスに耐えかね、過食症に。

ステージで歌う時は解放されたそうですが、結局、家に帰らなければならないのです。

家路につく足取りも重かったことでしょう……。

中島さんは、その逃げ道が食べることだった、食べかすだらけの枕元を見て泣いたと語っています。

さらに、ストレスによる症状は過食症だけではなく、顔面神経麻痺やメニエール病も引き起こしたそうです。

過食症に顔面神経まひ、メニエール病――。父との生活によるストレスで心も体もボロボロになった。

母親が亡くなったことは中島さんに深い悲しみを残しましたが、それでも父親の態度は変わらなかったようで、実の父親と別居するために弁護士に相談する事態にまで発展しました。

別居してからも父親は改心せず、教えていないはずの自宅へ金を無心に来る始末だったといいます。


そんな父親からやっと解放されたのは2007年のこと。

父親はがんで亡くなり、悲しみよりも重荷が降りたのが本音だと中島さんは語りました。

まったく壮絶なエピソードで胸が締め付けられる思いです……。

メニエール病と言えば栗山英樹さんも苦しんだ病です。

もしかすると、中島さんと栗山さんが一緒にマージャンをするまでに意気投合したのは、同じ病気の悩みを持つ二人が苦しみを共有したからなのかも知れませんね。

中島啓江、弟が唯一残された家族

やっと父親から解放されて自由になった中島さんですが、穏やかな日々は長くは続きませんでした。

2014年11月23日に呼吸不全で突然亡くなった中島さん。

近親者のみで行われたという彼女の密葬で喪主を務めたのは、弟・洋一(よういち)さんです。

中島さんの家族については他に情報がありませんので、どうやら、洋一さんが最後に残された家族となるようです。

27日に近親者で密葬を済ませた。しのぶ会を来年開く予定。喪主は弟洋一(よういち)氏。

中島さんは自身の葬儀について「音楽で送ってほしい」と語っていたそうで、後日、『中島啓江を音楽で偲ぶ会』が執り行われました。

生前親交の深かった小林幸子さん、渡辺真知子さん、安田祥子さんら350人におよぶ参列者が集まり、オーケストラの演奏をまじえて故人を偲んだということです。


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