華やかな雰囲気と鋭い走りでモータースポーツファンから絶大な支持を得ている松本恵二(まつもとけいじ)さん。
F1で活躍した中野信治さんの師匠的存在としても知られる、レース界のレジェンドです。
今回は、松本恵二さんの実家や家族、そして死因などについてお伝えします。
松本恵二のプロフィール
愛称:勝負師
本名:松本恵二
生年月日:1949年(昭和24年)12月26日
身長:不明
出身地:京都府
最終学歴:宇治工芸高等学校
松本恵二はハーフではなくクオーター
日本人離れした顔立ちで、スーパースターのような雰囲気があった松本恵二さん。
よくハーフではないのかと言われていますが、実際はハーフではなくクオーターです。
松本恵二さんはイギリス系の血を引いているとのこと。
レーサーとしてデビューしたのは19歳の時、初レースながら6位入賞を果たし多くの注目を集めます。
その後は日本国内のカテゴリーを中心に活躍した松本恵二さん。
全日本F2選手権でチャンピオンを獲得するなど、1980年代の日本を代表するドライバーの1人です。
その華麗な走りだけではなく、容姿も注目されがちだった松本恵二さん。
1980年代中盤はキャビンタバコのCMにも採用されました。
ジャズ風のおしゃれな音楽と疾走感溢れるレース映像を組み合わせた映像、そしてかっこよくタバコを吹かす松本恵二さんの姿が印象的なCMで好評を得ました。
1986年にはベストドレッサー賞を獲得、一躍時の人となります。
欧米らしいクールでおしゃれな雰囲気でレースファン以外からも人気だった松本恵二さん。
その雰囲気からレース一筋な職人で海外志向も強い人物に思われますが、実は気さくで地元愛が強い人だったようです。
ヨーロッパのF2やルマン24時間レースにも挑戦していますが、基本的に海外はあまり得意ではなかったと語っています。
海外からの帰りの飛行機は、必ず日本人クルーで運行されている航空会社を選んでいたなんてエピソードもあります。
見た目も雰囲気も日本人離れした華々しさを持っていた松本恵二さんですが、地元想いの意外な一面があったようです。
松本恵二の実家は京都で祇園の料亭?
松本恵二さんの実家は京都の祇園の料亭と言われています。
ただし噂レベルの話なので、真偽のほどは不明です。
レーシングドライバーになるためには、自動車の購入などある程度お金が必要です。
松本恵二さんは自動車免許取得後、自分で工面したお金と親からの援助で得た資金で20万円の中古車を購入。
その中古車を軽量化改造して鈴鹿サーキットで走らせていました。
昭和40年代のお金の価値は、2023年現在の約4倍。
当時の20万円は2023年現在に換算すると約80万円になります。
親からの援助がどの程度の割合だったのかは不明ですが、ある程度裕福な家庭でなければ資金を支援するのは難しいはず。
普段は穏やかな京都弁を使っていた松本恵二さん。
京都に対する思いは強かったようで、海外遠征の際は一刻も早く京都の家に帰りたくなると語っていました。
元F1ドライバーの中野信治さんは、松本恵二さんと非常に親しかったドライバーの1人。
97年の日本GP、鈴鹿まで会いに来てくれた恵二さん。とっても嬉しそうな恵二さんを見て、私も嬉しかった。どんな時もずっと味方でいてくれた人。真っ直ぐで、笑顔が綺麗な人でした。#松本恵二 pic.twitter.com/SDM5LjyYO0
— Shinji Nakano/中野信治 (@shinjinakano24) May 18, 2021
海外から帰ると必ず祇園に足を運び、一緒に食事をしたそうです。
お店の名前などは不明ですが、もしかすると松本恵二さんの実家の料亭で会っていたのかもしれませんね。
松本恵二、家族についてあまり語ることはなかった
松本恵二さんは結婚していて妻がいました。
名前は留美さんといいますが、年齢や職業などについては不明です。
松本恵二さん亡き後、メイジュレーシングを娘婿の松本崇さんが引き継ぐと発表されています。
よって少なくとも1人は娘がいたのは間違いありません。
松本恵二さんは、家族について公の場であまり多くを語っていないようです。
結婚して娘が1人いる以外の情報はほとんど見つけられませんでした。
もしかするとほかにも子供がいるのかもしれませんが、真相は不明です。
経営していた店「メイジュ」は閉店
松本恵二さんはかつて京都に「メイジュ」という名前のモータースポーツショップを開いていました。
1980年代は車高を極端に低くするシャコタンと呼ばれる改造方法が流行っていましたが、メイジュでは欧米風のお洒落なパーツを取り扱っており異彩を放っていたそうです。
ただし、2023年現在モータースポーツショップメイジュは残念ながら閉店しています。
松本恵二さんは、自身のレースチームにもメイジュの名称を使用していました。
かつては全日本F3選手権などに参戦しており、森本晃生さんなどが在籍していました。
2017年頃までレーシングカートチームも運営していたようですが、2023年現在は活動していないようです。
ちなみにメイジュという名称は、叔父の名前「明重」に由来しているのだとか。
京都では名の知れた人物で著書もたくさん出版しているそうです。
「祇園すえひろ」というお店を経営していた松本明重(まつもとあきしげ)さんと同一人物ではないかと噂されていますが真偽は不明です。
松本恵二の死因は肝硬変
松本恵二さんは2015年に65歳でこの世を去っています。
2015年5月3日に富士スピードウェイでのレースを見届けた後、帰宅途中で倒れてしまいます。
静岡県内の病院に緊急搬送され一時は容体が回復しましたが、2015年5月17日に帰らぬ人となってしまいました。
富士スピードウェイに現れた際はすでに風邪をひいている状態だったようです。
周囲から帰るように言われても、レースを見届けるまでサーキットを離れようとしませんでした。
死から2日後の2015年5月19日、死因は肝硬変と発表されます。
17日に65歳で死去した元レーシングドライバーの松本恵二(まつもと・けいじ)氏の死因が肝硬変だったことが19日、分かった。
松本恵二さんは、生前お酒好きで有名でした。
体が悪くなっても飲酒し続けたようで、もしかするとお酒が原因で体調が悪化していたのかもしれません。
レースでのアグレッシブな走りや独特の立ち振る舞いから怖いイメージを持たれることもあった松本恵二さん。
しかし実際に接した人によれば、非常に愛が深く親しみやすい人物だったようです。
コース上の華麗な走りに加えて、立ち振る舞いにも華があった松本恵二さん。
日本のモータースポーツの歴史に、その名前は永遠に残ることでしょう。
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