興梠慎三の若い頃は不良だった。兄と父親が鶏肉店経営&実家は宮崎県

興梠慎三(こうろきしんぞう)さんは、Jリーグ・浦和レッズに所属するサッカー選手です。

今でこそチームの副キャプテンを務める興梠選手ですが、実は若い頃は不良だった時がありました。

練習もろくにしなかったという不良少年は、どのような経緯を経てプロサッカー選手になったのでしょうか。

また、興梠選手の兄や父親など実家の家族がどういう方々なのかも気になりますよね。

今回は興梠選手の過去や実家の家族について深堀するので是非最後までお付き合いください。

興梠慎三のプロフィール

愛称:シンゾウ

本名:興梠慎三

生年月日:1986年(昭和61年)7月31日

身長:175cm

出身地:宮崎県宮崎市

最終学歴:鵬翔高等学校卒業

所属事務所:浦和レッズ

興梠慎三は若い頃不良だった

興梠慎三選手は若い頃は不良だった時期がありました。

不良少年がサッカーを真剣にやるようになり、プロになるまでを辿ってみましょう。

小学校時代から不良になる中学校時代まで

興梠選手は小学校時代に宮崎東SSSという少年サッカーチームでサッカーをはじめます。


この時の監督はとにかく厳しい方だったといい、とても辛い思いをしながらサッカーとしていたといいます。

強いチームでしたが、興梠選手自身も初出場した試合でいきなりハットトリックを決めるなどポテンシャルの高さを発揮しました。

その後中学は宮崎市東大宮中学校へ入学します。

この時、少年サッカーチーム時代のチームメイトが皆同じ中学に入学していますが、ほとんど全員が不良になってしまいました。

興梠選手も例外ではなく、一緒にやんちゃな中学生活を送ることになります。

興梠選手は一応サッカー部には入部しましたが、学校にも部活にもほとんど行っていなかったそうです。

それでもサッカー自体は好きだったので試合にだけは参加し、強豪に勝つこともあったようなので高い実力があったのは間違ないですね。

さて、そのような中学時代を過ごしたためか、高校に進学する意思はあったものの高校入試に落ち、進学先が決まらないまま中学卒業を迎えました。

そんな時、悩める興梠少年に声をかけたのが鵬翔高等学校のサッカー部を指揮していた松崎博美監督だったのです。

松崎監督は、興梠選手の類まれなる才能を見抜いていたのか、サッカーをやるなら鵬翔高等学校に入れてやると提案しました。

そして、興梠選手はその提案に応じる形で無事に高校へ入学を果たします。

高校入学後もはじめは不良だった

サッカーをすることを条件に何とか高校に入学できた興梠選手ですが、本音は高校は行きたかったけれどサッカーはしたくないというものでした。

そのため高校入学後は約束を破って部活にいかなかったといいます。


そうして過ごしていたところ「サッカーをしないなら学校を辞めてほしい」と言われてしまい、仕方なくサッカーをするようになったのです。

しかし、サッカー部入部後も厳しい上下関係などが嫌で1か月ほど部活に行かない時期があったといいます。

この時期にはサッカーを辞める気だったという興梠選手ですが、監督が「やればプロになれるから」と粘り強く説得してくれたのです。

最終的に、「トップチームに入れてやるからとりあえず来なさい」と言われて行った練習試合が興梠選手のターニングポイントとなります。

春・夏とずっとろくに練習もしていなかった1年生の興梠選手は、急にトップチームでプレーしたにもかかわらずハットトリックの大活躍をするのです。

そして監督に「これがお前の実力」だと才能を無駄にしてはいけないことを諭されます。

また、上級生にも「監督があそこまで言うことはないのだから頑張れ」と励まされたことで、気持ちに変化が訪れ部活に行くようになったのです。

もう1つ興梠選手を奮い立たせたのは、一年上の先輩だった元鹿島アントラーズの増田誓志さんのプロ入りでした。

身近な人物のプロ入りを見た興梠選手は「この人には負けられない」と思い、やる気に火がついたのです。

さて、今回調べてみてわかったことは、興梠選手は中学・高校入学直後は確かに不良でした。

しかし、松田監督や上級生らとの出会いにより、自分の才能やサッカーと真剣に向き合うきっかけをつかんだのです。

興梠慎三の兄

興梠選手には3歳年上の兄・鉄次郎さんがいます。


興梠選手には姉と兄がいるというので、鉄次郎さんが長男ということですね。

彼は高校に行っておらず、弟である慎三選手には絶対に高校に行くようにと勧めていました。

そんな兄の勧めもあり興梠選手は何とか高校へ進学し、そこでプロを目指すようになるので今の興梠選手がいるのは兄のお陰でもあるのです。

そんな鉄次郎さんは、今では家業の鶏肉店『宮崎高千穂の味 ローストチキン コオロギ』の浦和店を切り盛しています。

弟の所属チームも浦和であることから、兄弟で支え合って生きているという印象ですね。

興梠慎三の父親

興梠選手の父親は善二郎さんといいます。

善二郎さんは地元宮崎で妻と共にローストチキンのお店を経営していました。

鉄次郎さんは、宮崎県の高千穂で60年もの歴史を誇る名店から作り方を教わったそうです。

そんなチキンはとても美味しいと評判で、興梠選手も小さい頃から大好物なのだとか。

しかし、お客さんに愛されたローストチキン店を営んでいた父親は、残念ながら2019年12月6日に亡くなりました。

父の他界の知らせを聞いた興梠選手は2019年シーズンの最終節を欠場して地元宮崎に戻っています。


また、残されたチームは最終節では喪章をつけて試合に臨み、チームメイトの父の死を悼みました。

父親は今でも空の上から息子の活躍を見守っていることでしょう。

興梠慎三の実家は宮崎

興梠慎三選手の実家は宮崎にあります。

興梠選手は高校卒業までを地元宮崎の実家で過ごしました。

そんな実家はローストチキンをテイクアウト販売する『宮崎高千穂の味 ローストチキン コオロギ』というお店を営んでいます。

お店は2023年現在、宮崎店・浦和店・北浦和店を展開している人気店です。

新店オープンの際には興梠選手も応援にかけつけるなどまさに家族一丸となって守り続けているお店です。

2023年現在37歳の興梠選手は、既に地元を離れてからの期間の方が長くなっています。

しかし、それでも実家のある出身地との交流は大切にしているようです。


これまでには宮崎でのサッカー教室に参加したこともありました。

また、2019年には家族で宮古島に行った様子がシェアされるなど、一家はとても仲が良いようです。

これからも家族で支え合って幸せに暮らして頂きたいですね。

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