麿赤兒の嫁はダダが愛称。離婚理由は舞台。息子・大森南朋も俳優&家族がすごい

俳優で舞踏家の麿赤兒(まろあかじ)さんの嫁はダダで、離婚した理由は何だったのでしょうか。

息子が2人いますが、次男の大森南朋(おおもりなお)さんは俳優やミュージシャンとして活躍中です。

さらに他の家族の経歴も豪華なので、チェックしていきます。

麿赤兒のプロフィール

本名:大森宏(おおもりひろし)

生年月日:1943年(昭和18年)2月23日

身長:170cm

出身地:石川県金沢市

最終学歴:早稲田大学第一文学部中退

所属事務所:キャメルアーツ

麿赤兒の嫁だった女性は愛称・ダダ。離婚理由は舞台

麿赤兒さんといえば芸名も個性的なら、スキンヘッドに強面で一度見たら忘れられない俳優。

2019年に公開された人気映画「翔んで埼玉」では全身白塗りにした西園寺宗十郎役で、これまた一度見たらしばらく残像として頭に残ってしまいそうです。

若い頃は髪の毛もあり、「渋くてかっこいい大人の男」そのものでした。


その頃であって結婚した嫁についてと、離婚理由を見ていきます。

嫁は女王ダダと呼ばれる一般人

麿赤兒さんが結婚した女性は小林(旧姓)桃枝さんという一般女性でした。

1945年生まれですから、麿さんより2歳年下ということになります。

新宿の名曲喫茶「風月堂」で女王ダダと呼ばれていたそうですから、人気のある女性だったのでしょう。

「ダダ」の由来は「ダダイズム」という言葉だそうで、第一次世界大戦中に欧米で起きた芸術運動を指します。

それまでの常識や秩序というものを否定し破壊する運動でしたから、桃枝さんは誰もが真似できない強烈な個性を持っていたのでしょう。

風月堂には、フーテン・ヒッピー族をはじめ芸能関係者など個性的な人々が集まっていたそうです。

麿さんも20代のほとんどを風月堂で過ごしたと語っており、「そこに行けば面白い誰かと出会える」という特別な場所だったことがわかります。

2人が出会ったのも風月堂だったようで、桃枝さんはその後23歳の時に新宿の雑居ビルにバー「ダダ」を開きました。

離婚理由は舞台に夢中になったから

麿さんが結婚したのは1970年で、その頃定職も無く金銭面で苦労していたようです。

長男・立嗣(たつし)さんが生まれた時も、桃枝さんの産後の退院費用を工面するのも大変だったといいます。

そうこうしているうちに次男の南朋(なお)さんも誕生したため、いよいよ仕事をしなければならない状況に。


そして思いついたのが舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」でした。

仕事は大成功を収め、国内だけでなく海外でも知られるほどになったのです。

とても喜ばしいことでしたが、麿さんは家に帰らずに稽古場に入り浸る日々が続きました。

夫婦間でのすれ違いが続き、修復不可能となって離婚に至ったとされています。

麿赤兒の息子・大森南朋は演技派俳優

演技派俳優の大森南朋さんが麿赤兒さんの息子であることは、それほど知られていないようです。

2人の芸名に関して、名字が異なるため認識されにくいということもあるでしょう。

南朋さんは1972年生まれなので、2023年には51歳になります。

俳優でロックバンド「月に吠える」のリードボーカルも担当するなどマルチな才能がある方。

両親ともに個性的で才能もありますから、受け継いだのではないでしょうか。

俳優をするきっかけになったのは、父親の稽古場に顔を出していたからだと言われています。

1993年にスクリーンデビューしており、2007年に出演した「ハゲタカ」で主役に抜擢されると一気に人気が出ました。

2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」にも酒井忠次役で出演しています。


2024年1月から放送予定の、ドラマ「厨房のありす」にも出演予定。

自閉症で生きづらさを抱える門脇麦(かどわきむぎ)さん演じる「ありす」の父親を演じます。

昨今話題になっている発達障害をテーマにしたヒューマンドラマで、見ごたえがありそうです。

ドラマや映画に多数出演しており、落ち着いた雰囲気とかわいさを兼ね備えた素敵な俳優だと評判です。

プライベートでは、2012年に18歳年下の女優・小野ゆり子(おのゆりこ)さんと結婚。

2019年に子供が誕生しており、麿さんはおじいちゃんになっています。

麿赤兒の家族はすごい経歴の人が多い

麿赤兒さんは、父親に関する記憶がほとんど無いかもしれません。

父・大森潤一(おおもりじゅんいち)さんは、第二次世界大戦中に大日本帝国海軍の中佐として国のために戦っていました。

テニアン島で死力を尽くしましたが、手榴弾で自決してしまいました。

その功績を讃えて、亡くなった際に海軍大佐に昇格しています。

それが原因で、麿さんの母親は精神を病んで子育てができない状態になりました。

小学生の頃に親戚に預けられて、高校卒業まで奈良県で暮らしていたそうです。

戦争というのは、多くのものを犠牲にしてしまっているのだなと痛感させられます。

麿さんの母方の祖父は、日本で初めて普通選挙運動をした団体に所属していました。


その幹部として活動していただけでなく講談本も編集・出版していたそうで、あの芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)さんに影響を与えた人物だったそうです。

さらに、麿さんの長男・大森立嗣さんは有名な映画監督で「まほろ駅前多田便利軒」「セトウツミ」「日々是好日」などを撮っています。

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