2023年現在、日本でトップクラスの歌唱力を有していると評判の松原健之(まつばらたけし)さん。
透き通るような高音ボイスは、一度聴いたら忘れられないインパクトがあります。
今回は、松原健之さんの実家の家族や若い頃の情報についてお伝えします。
松原健之のプロフィール
本名:小松原健志
生年月日:1979年(昭和54年)10月1日
身長:166cm
出身地:静岡県袋井市
最終学歴:静岡県立袋井高等学校
所属事務所:アップフロントクリエイト
松原健之の実家は静岡県袋井市にある
松原健之さんの実家は静岡県袋井市にあります。
ただしプライバシーに関わることなので、詳しい住所などは公開されていません。
袋井市の笹原地区にある自動車屋「高橋モータース」のブログに、松原健之さんの実家にワゴンRを納車したとの投稿がありました。
このことから、「高橋モータース」の近所に実家があるのではないかと思われます。
松原健之さんもこのお店に訪れたことがあるようで、店内にはサイン入りのポスターが飾られていました。
袋井市は、静岡県西部に位置する都市。
袋井丸凧などの名産品や自然豊かな景観を有する都市で、観光地としても人気があります。
松原健之さんも、2016年にふくろい未来大使に任命されています。
地元に対して愛着があるようですが、実家に関しては小さな酒屋を営んでいたこと以外はほとんど公開していないようです。
僕の実家は小さな酒屋を営んでいたので家に大勢のお客さんが集まる中、節分の豆やコンペイトウ、綿菓子や駄菓子、ミカンなど いろんなものを投げて皆さんにひろって頂いていました。
この酒屋は、祖父の代から営んでいたものとのこと。
「営んでいた」と過去形になっているので、2023年現在はすでに営業していないのかもしれません。
松原健之は両親と姉1人の4人家族
松原健之さんは、両親と姉の4人家族のようです。
実家の家族についてもほとんど情報はなく、両親の名前や年齢も公開していないと思われます。
姉は、松原健之さんの3歳上とのこと。
姉の影響で映画を見た話や、幼い頃に一緒に撮影した写真をブログに掲載していますので兄弟仲は良好と思われます。
また、両親共にお酒に弱いことも語られていました。
酒屋さんを営んでいた祖父も、自身はお酒をほとんど飲めなかったそうです。
姉は多少飲めるものの、それほど強くないとのこと。
松原健之さんもかつてはワインなどを嗜んでいたようですが、2022年頃からめっきりお酒に弱くなったとのこと。
もしかするとお酒にあまり強くない家系なのかもしれませんね。
口内炎ができやすい体質だと語る松原健之さん。
物心ついた頃から、口内炎ができやすくて悩まされていたそうです。
どうやら父親や祖母もも口内炎ができやすい体質とのこと。
口内炎ができやすい体質は遺伝なのかもしれないと明かしていました。
物心ついてから37年、口内炎と付き合っるので、「またかぁ~」と いう気になります。家の家族では、父と祖母と僕が口内炎の常連チームです。遺伝なのでしょうか…
両親との仲も良好なようで、2017年頃に父親と一緒に実家に胡蝶蘭を飾ったことをブログにつづっています。
車で胡蝶蘭を運んだ際に花が一輪落ちてしまったのですが、その落ちた花を見た時の父親の対応に関心したそう。
とても優しい人なのだと改めて実感したようで、「この人の息子でよかった」と語っています。
ブログでは度々母親についても触れられており、強い感謝の気持ちを持っていることが伝わってきます。
2020年の母の日の投稿では、生後間もない松原健之さんと母親の2ショット写真も掲載されました。
撮影当時の母親の年齢は不明ですが、目元が成人後の松原健之さんとよく似ていますね。
松原健之は若い頃から歌唱力が高かった
声質の美しさと圧倒的歌唱力が評判の松原健之さん。
若い頃から歌の才能の片鱗を見せていたようです。
小学校低学年の頃から演歌や歌謡曲が好きだったようで、13歳の頃に千昌夫さんの「夕焼け雲」を唄いコンテストで受賞を果たします。
この時に歌手になりたいという気持ちが芽生えたそうです。
その後も「第4回全国歌の甲子園」で優秀賞を受賞するなど、歌謡コンテストの上位の常連となります。
18歳の時に、テレビ東京系で放送されていた「チャレンジ歌バトル」でグランドチャンピオンに輝いたこともありました。
2001年には五木寛之さんが原作と脚本を務めた、劇団前進座の舞台「旅の終わりに」の主題歌も担当しました。
2005年にデビューシングル「金沢望郷歌」を発表。
歌の舞台になった石川県内の各地で街頭ライブを行い評判となりました。
歌の上手さは遺伝ではなく経験だと言われています。
松原健之さんの素晴らしい歌唱力は、若い頃から積極的にコンテストに挑戦した経験で得られたものなのでしょうね。
松原健之は袋井高校出身
松原健之さんは、静岡県立袋井高等学校の卒業生です。
通称は「袋高」で、頭がお茶の葉でできている「ロイッピー」というマスコットを採用している珍しい学校です。
校内から、「高」の文字が植え込まれている高の字山が見えるのも特徴です。
松原健之さんは、袋井高校の第20期生になります。
袋井高校では、年間行事でお茶摘みが行われています。
2年生と3年生が対象で、松原健之さんもこのお茶摘みに参加したそうです。
2011年に母校を訪れた際は生徒が摘んだお茶をいただいたそうで、懐かしい気持ちになったと語っていました。
松原健之さんの高校時代についてはほとんど情報がなく、成績などは不明です。
中学から高校にかけて歌と卓球を愛する少年だったと語っていますので、おそらく高校時代は卓球部に所属していたのではと思われます。
松原健之の本名は小松原健志
松原健之さんの本名は「小松原健志」です。
本名と芸名では、「健之」の「志」が「之」に変わっています。
これは、尊敬する作家の五木寛之さんにちなんで命名したもの。
ちなみに松原の「松」は、詩人の松永伍一さんに由来しています。
五木寛之さんは、松原健之さんのデビューシングル「金沢望郷歌」の作詞を務めています。
ほかにも「あの町に帰りたい」や「歌の旅びと」などの作詞も担当しています。
松原健之という芸名を使い始める前は、本名と同じ「小松原たけし」名義で活動していたようです。
五木寛之さんの舞台「旅の終わりに」の主題歌を歌った時は、「小松原たけし」名義でクレジットされていました。
芸名を決める際に、本名とまったく関係のない名前にする人も多いです。
松原健之さんは漢字は変わっており、苗字の「小」も除かれていますがほぼ本名のまま活動しています。
きっと自分の名前に誇りを持っているのでしょうね。
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