2018年9月に放送された『演歌の乱』で、AIさんの「Story」を伸びやかな歌声で披露した走裕介(はしりゆうすけさん)。
番組終了後にはネット上で、その圧倒的な歌唱力に驚いたという視聴者が続出しました。
走裕介さんは2009年にデビューした北海道網走市出身の演歌歌手です。
そのイケメンぶりから、「結婚してる?」「奥さんは?」と気になる人も多いようですね。
そこで今回は、走裕介さんが独身かどうかを調査してみました。
家族についてもお届けします。
走裕介は結婚してる?奥さんはおらず独身だった!
走裕介さんは1973年12月7日生まれで、2019年12月に46歳を迎えます。
結婚していても不思議ではない年齢ですが、どうやら独身のようです。
歌手を夢見て故郷を旅立ち、作曲家・船村徹さんのもとで寝食をともにする内弟子生活をスタートしたのが25歳。
約10年の修業を経て、シングル「流氷の駅」でデビューしたのが2009年でした。
当時はCDの売り上げが減少するなど、ちょうど音楽業界が大きく様変わりした時期。
待っていても売れる時代ではなくなり、走裕介さんもステージや番組出演などの合間をぬって、キャンペーンの仕事でさまざまな場所に出向いていたそうです。
本人も「ここまでやれるとは思っていなかった」と語っているあたり、名前の通り突っ走ってきた10年間だったのでしょう。
結婚の予定については、当分おあずけなのだとか。
2016年に72歳で31歳下の一般女性と結婚した所属レコード会社の先輩、冠二郎さんからは、「あせるなよ」とアドバイスされたそうです。
まだまだ歌一筋といったところなのでしょうか。
走裕介のデビューまでの道のり
音楽との出会いは小学校時代。
担任の先生から吹奏楽部で打楽器のパートリーダーに指名された時でした。
中学に入学するとバンド活動に熱中。
走裕介さんはドラムを担当でした。
安全地帯やバービーボーイズなどをコピーしていたそうです。
高校時代、文化祭のバンド出演の練習で、ボーカリストの代わりに歌っていたところ、先生からボーカルを勧められることに。
この助言でボーカルに興味を持つようになったそうです。
演歌や歌謡曲に目覚めたのは、農業高校を卒業して家業の農業の手伝いをしていた頃。
NHK-BS2の『日本縦断カラオケ道場』で優勝したり、アマチュアのカラオケ大会に出場したことなどがきっかけで、船村徹先生にデモテープに送ることになりました。
そのテープが注目されて、船村徹先生の仕事場である楽想館(がくそうかん)で内弟子生活を送ることになります。
歌のレッスンはもとより、礼儀や生活態度、言葉遣いに厳しかった船村徹先生。
食事は朝昼晩と3食必ず一緒。
「いただきます」「ごちそうさま」をぞんざいに言おうものなら、「それは何だ。
生産する人への感謝の気持ちを持たないでどうする」と叱責されたそうです。
どこへ行くのも付き人としてお供し、人との接し方も叩きこまれました。
2007年1月、東京へ向かう高速道の車の中で、運転する走裕介さんに先生が後ろから声を掛けます。
「そろそろ君も船出しようか」という突然の言葉にびっくりしたそうです。
芸名の由来は出身地の網走市。
当初は「網走裕介」にしようとした船村先生でしたが、刑務所のイメージが強いため「走裕介」になったのだとか。
デビュー曲のタイトル「流氷の駅」は、鉄道旅行が好きな先生がJR網走駅で「流氷の駅」というスタンプを見て思いついたといいます。
走裕介の家族は?
走裕介さんは北海道網走市に農家の長男として生まれました。
実家はビートやジャガイモなどを育てる畑作農家だそうです。
プロフィールによると、家族構成は両親、祖母、妹、弟。
船村徹先生のもとへ弟子入りするにあたって、家族からは反対の声もあったそうですが、走裕介さん自身や関係者が説得したといいます。
下積み10年、デビュー10年。
夢は紅白歌合戦の大トリで歌うことと言う走裕介さん。
今、地元では、網走初の紅白出場歌手を誕生させようと全市を挙げての応援ムードに包まれているそうです。
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