山本譲二、国籍が韓国はデマ?実家は山口県下関市。母親が美人、父親は厳格&兄はいない

演歌歌手の山本譲二(やまもとじょうじ)さんの国籍が日本ではなく韓国なのではないかと言われています。

また実家は山口県下関(しものせき)市にあり、きれいな母親と厳しい父親に育てられました。

兄弟構成は姉が1人いるのですが、「兄」という言葉が山本さんと紐づけられているようです。

頼りがいがあって「兄貴」と周囲から呼ばれて慕われているようですね。

山本譲二のプロフィール

本名:山本譲二(やまもとじょうじ)

生年月日:1950年(昭和25年)2月1日

身長:174cm

出身地:山口県下関市

最終学歴:早鞆高等学校卒業

所属事務所:ジョージ・プロモーション

山本譲二の国籍は韓国ではなく日本?

演歌歌手の山本譲二さんは、30歳の時に発売した「みちのくひとり旅」が大ブレイク。

北島三郎さんの「ファミリー」の中では代表的存在として、知られています。


2007年に業務提携という形を取りながらも独立し、個人事務所を立ち上げました。

そんな山本さんに対して「国籍は日本ではなく韓国なのではないか」という噂が立っていたといいます。

その理由は大きく2つあり、1つ目は生まれ育った町に原因があるようです。

確かに出身地の山口県下関市は韓国と近く、在日朝鮮人の街があるほど。

竹崎町にあるグリーンモール商店街に行くと、まるで韓国を歩いているかのような雰囲気になるといいます。

しかし下関市内のごく一部地域限定に過ぎず、山本さんが育った街は朝鮮出身者が多く住むところではありませんでした。

山本さんが韓国出身なのではないかと言われる2つ目の理由は、弟子に韓国出身の人がいたということ。

韓国出身のパク・ジュニョンさんが山本さんの個人事務所「ジョージ・プロモーション」に2012年から2021年まで在籍。

元々は韓国でデビューしていたのですが売れずに困っていたそうです。

そのような時期に山本さんと出会って、日本で頑張ってみようかと来日したといいます。

山本さんのことを「アボジ(韓国語で父親という意味)」と呼んで慕っていたことから、「韓国出身なのではないか」と結びつけられたのでしょう。

もし韓国にルーツがあるとすれば、パクさんを事務所に入れた時点で公表していた可能性もあります。

実際に国籍について言及したという情報は、見当たりません。

つまり、山本さんの国籍は日本という可能性が限りなく高いと言えるでしょう。

山本譲二の実家は山口県下関市

山本譲二さんの実家は山口県下関市で、美味しいフグが漁れるところとしても知られています。

実家の場所は特定されていませんが、出身小学校が下関市立養治小学校ですのでその校区内に住んでいたということになるでしょう。

ちょうど関門海峡がある海辺の地域で、とても眺めの良いところ。

山本さんは自然あふれる地元で、伸び伸びと健やかに育ったことでしょう。

子どもの頃から野球をしており、野球で名門の私立早鞆高校に進学しています。

しかも高校3年生の夏に甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)に出場し、代打で内野安打を打っているのです。

山本譲二の母親と父親や兄にまつわるエピソード

ここでは、山本譲二さんの母親と父親に加えて兄にまつわるエピソードを見ていきます。

美人の母親は大往生していた

山本譲二さんの母は山本ハルエさんといい、美人で自慢の母だったそうです。

2021年7月に96歳で亡くなっており、「長生きで健康的に暮らしたのか」と思われがち。

しかし、そうでもなく病気を長年抱えていたことがわかりました。


ハルエさんは1999年に夫を亡くしたので「一緒に住まないか」と山本さんが誘ったそうです。

しかし、その誘いを断って1人下関で暮らすことを選びました。

さすがに高齢の母を1人置いておくのは心配だったため、山本さんも月に一度は帰省するようにしていたそうです。

10年ほど経った2010年頃、ハルエさんの様子が少し変だなと感じることが増え始めました。

同じことを何度も聞いたり、料理の味付けが明らかに変になったりしたのです。

これはおかしいと山本さんは母を病院へ連れていき検査したところ病気が判明。

ハルエさんは、認知症になってしまったのです。

そのまま1人で暮らすことは、もちろんできませんでした。

ちょうどその頃運が悪く、山本さんの妻も大病を患っていたため老人ホームに入ってもらうことになったそうです。

関門海峡が見える景色の良いところで、ハルエさんも気に入ったため入居が決定。

10年少々認知症を抱えたまま、ハルエさんは亡くなりました。

厳格な父親はタクシーの運転手

山本譲二さんの父親は山本武(やまもとたけし)さんといい、下関でタクシー運転手をしていました。


昭和の父親像らしく、とても厳しい人だったそうです。

幼い頃の山本さんは、気が弱くて何かあるとすぐ泣いていたのだそう。

「このまま弱気な男に成長されては困る」という思いで息子と接していたのかもしれません。

2人の関係が変わったきっかけは「野球」でした。

小学生になる前あたりから、一緒にキャッチボールをするように。

山本さんが良い球を投げると、厳しい父が褒めてくれたので、とても嬉しかったそうです。

武さんは、1999年にこの世を去っています。

山本譲二には兄ではなく姉が1人いる

山本譲二さんと「兄」が紐付けされていますが、実際には姉が1人いるそうです。

3歳年上ということ以外は、一般人のためわかっていません。


実は山本さんはとても頼りがいのある人で、芸能界の後輩から「兄貴」と呼ばれているのだとか。

同じ演歌歌手の角川博(かどかわひろし)さんも、「兄貴のラジオ番組に出演させてもらった」と自身のオフィシャルブログに書いていました。

こうして見ると、父親の理想通りの「頼れるしっかりした男」になったということなのでしょう。

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