木村拓也、妻・由美子との絆。息子は2人、長男・恒希は建築士志望&自宅は広島

2010年4月、37歳の若さでこの世を去った元プロ野球選手の故・木村拓也(きむらたくや)さん。

夫であり父である彼の突然の死によって残された家族は、その後も、それぞれの人生を歩んできました。

今回は、木村さんの家族がどうなったのか、妻と息子のエピソードを中心にお伝えします。

木村拓也のプロフィール

愛称:キムタク

本名:木村拓也

生年月日:1972年(昭和47年)4月15日

身長:173cm

出身地:宮崎県宮崎郡田野町

最終学歴:宮崎県立宮崎南高等学校卒業

木村拓也の妻・由美子は夫への愛を貫き再婚せず

木村拓也さんが亡くなったのは、2010年4月7日のこと。

当時、拓也さんはまだ37歳という若さで、前年まで選手としてプレーしていた東京読売ジャイアンツの内野守備走塁コーチとして活躍し始めた矢先の出来事でした。

4月2日、広島・マツダスタジアムにて行われた広島カープとの試合の前にノックをしていたところ突然倒れ、意識不明の状態に。


広島市南区にある広島大学病院に救急搬送され、くも膜下出血と診断されました。

あの日、夫・拓也さんが倒れたという知らせを自宅で聞いたという妻・由美子さん。

夫の携帯電話からかかってきた電話をとると、夫とは違う声で「木村コーチが倒れた」と聞かされたといいます。

子供たちを連れてすぐに病院に駆けつけた由美子さんが目にしたのは、ICUのベッドでただ眠るように横たわる夫の姿でした。

拓也さんはまったく動かなかったわけではなく、時折咳き込んだり涙を流すなどしていたそうですが、医師からは「反射」だと聞かされたそうです。

原辰徳監督をはじめチームメンバーや全国の野球ファンはもちろんのこと、なによりも、ご家族は拓也さんの復活を信じていたことと思われますが、結局、意識が戻ることはありませんでした。

拓也さんが亡くなってから2024年で14年が経ち、由美子さんは45歳になりますが、夫への愛を貫き続け、いまも再婚はしていないようです。

2023年1月のインタビュー記事によると、由美子さんは、亡くなってから13年が経ったいまも、愛する夫・拓也さんのことを思い出さない日はないといいます。

いまでも、新しいメニューを考えたら「主人なら何て言っただろう?」といつも考えてしまうそうです。

子育てのことを夫に相談したいと思う日も多かったことでしょう。

3人の子供のうち、長女と長男が成人し巣立っていくと、夫の声を聞くことができず、思いを伝えることもできない時間が増すようで、日に日に寂しさは増しているということです。

それでも、子供たちと一緒に拓也さんのことを思い出し、家族で歩んできたこれまでのことを分かち合っているという由美子さん。

彼女は「家族のなかに、夫の笑顔と言葉は存在している」と語っており、夫への愛情が薄れていないばかりか、より深い絆を感じていることがうかがえます。

また、シングルマザーとして子供たちを育てるうえで心配される収入面についてですが、由美子さんは会社員として働いているようなので、しっかりとした収入を得ていると思われます。

2010年7月には、3人の子供たちへ夫のことを伝えたいと書き上げた、著書『一生懸命 木村拓也 決してあなたを忘れない』を出版しており、一定の収益につながったと思われます。

子育てもこれからという時期に一家の大黒柱である最愛の夫を亡くした由美子さんですが、ただ悲しみに明け暮れる毎日を送っていた訳ではないことがわかりますね。

子供は息子2人に娘1人。長男・恒希は建築士を志す

拓也さんは3人の子供を残しました。

長男・恒希(こうき)さん、長女・生吹(いぶき)さん、次男・俊生(としき)さんです。

2024年で3人はそれぞれ、24歳、23歳、17歳になります。

立派に育っている子供たちですが、拓也さんが倒れた2010年当時は、10歳、8歳、3歳でまだ幼かったのです。

3人兄弟のうち、長男・恒希さんは野球をやっており、4月24日に東京ドームで行われた拓也さんの追悼試合では父の「背番号0」をつけて始球式に臨み、見事にストライクを投げました。

拓也さんの古巣・広島カープを相手に行われた追悼試合は、接戦の末、ジャイアンツが7ー4で勝利しています。


それからも野球を続けていた恒希さんでしたが、高校2年のときに、かつて母・由美子さんが興味を持っていたという建築関係の仕事に興味が湧き、建築士を志すようになったといいます。

恒希さんは、小学二年のときにソフトボールを始め、父・拓也さんが得意としていたキャッチャーとして活躍し、中学でも野球部に所属。

広島県立廿日市高等学校に進学してからも野球は続けており、二塁、三塁、ショートを守りました。

しかし、再びキャッチャーへの転向を考えていた矢先に膝を痛めてしまい手術を受けることに。

9か月間のリハビリを余儀なくされ、高校3年の夏は5番打者で一塁を守ったそうです。

ちょうどリハビリ期間中に母・由美子さんと進路について話し合ったのかもしれませんね。

2018年4月から広島工業大学に進学して建築を学んだと思われる恒希さんですが、残念ながら、その後どうなったのかといった情報は得られませんでした。

恒希さんは、建築士を志しながらも「野球は続けたい」と語っていたそうですが、プロ入りしたといった情報もありません。

通常の期間で大学を卒業したとすれば、すでに何かしらの職に就いているのではないかと思われます。

家族はいまも夫が残した広島の自宅で暮らす

拓也さんの自宅は広島にあり、かつてテレビで公開されたこともあります。

庭に大きなもみじの木があり四季折々の姿を見せていた拓也さんの家。

いまも木村さん一家の手を離れることはなく、家族はそこで暮らしているそうです。

自宅の一角には、拓也さんゆかりの品が展示されたガラス棚があります。

そこには、愛用のグローブやバットに加え、日本代表のヘルメットや帽子も飾られているようです。


展示されている品の数々には、どれも拓也さんの思い出が刻まれていることでしょう。

亡くなった夫と暮らした家には悲しくて住めないという人もいるでしょうが、由美子さんは、夫が残した家で彼の思い出とともに生きる道を選んだようです。

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