葛城ユキ(かつらぎゆき)さんと言えば、ハスキーボイスでパワフルに歌い上げる「ボヘミアン」が有名ですね。
そんな葛城さんは、実は歌手になる前はバレー選手として活躍しておられたそうです。
葛城さんの知られざる若い頃の経歴や、テレビ収録中に大怪我を負った「人間大砲」についてなど、お伝えします。
葛城ユキのプロフィール
本名:田中小夜子
生年月日:1949年(昭和24年)5月25日
没年月日:2022年(令和4年)6月27日
身長:167cm
出身地:岡山県川上郡川上町
最終学歴:片山女子高等学校卒業
葛城ユキ、若い頃はバレー部エースアタッカー
葛城ユキさんは岡山県出身で、片山女子高校(現・倉敷翠松高校)に通っておられました。
所属していたのは女子バレーボール部で、エースアタッカーとしてチームの要だったそうです。
バレーボール選手としての成績も華々しく、国体とインターハイにそれぞれ2度ずつ出場した経験もあります。
クラスでも中心的存在で、野性的な性格からついたあだ名は「ドーブツ」だったそうです。
「ドーブツ」と友達から呼ばれるなんて、なかなかワイルドな女子高生だったのでしょう。
ロック歌手としてのパワフルな歌声は、そんな野性的な性格から来ていたのかもしれませんね。
高校卒業後は、それまでのバレーボール選手としての活躍が買われ、地元の実業団から声がかかり倉敷紡績へ入社しました。
倉敷紡績は「クラボウ」と呼ばれ、1950年代~1960年代には国内最強チームの1つとして君臨しており、数多くのオリンピック代表選手を輩出したことでも知られています。
昨日亡くなった葛城ユキさんが歌手になる前が意外だった。倉敷紡績のバレーボール部に所属していた実業団バレーボール選手だった。
— たてやかん (@ht38hahaha) June 28, 2022
高校時代はエースアタッカーとして活躍していたものの、実業団では167cmという身長を理由にセッターへの転向を命じられました。
ですが、葛城さんはアタッカーである続けることにこだわり、「コートでは中心じゃないと嫌」と入団からわずか1ヶ月という早さで退団を決めました。
エースアタッカーとして高校時代にチームを国体やインターハイへと導いたプライドが、セッター転向を許さなかったのでしょう。
クラボウ退団後は、元々やりたいと思っていた音楽の道へ進むため、「探さないでください」という置き手紙を実家に残し、半ば家出状態で大阪へと向かいました。
歌手になり、「ボヘミアン」という大ヒット曲も出し、人気ミュージシャンへとなりましたが、オリンピックや国際大会がある時は、必ずテレビの前でバレーボール日本代表を応援していたそうです。
テレビ収録時の事故は無謀な「人間大砲」
葛城ユキさんの話題になると必ずと言っていいほど上がってくるのは、「人間大砲」というなにやら危なげなワードです。
2003年10月2日に、テレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」へ出演するために収録をしていた際に事故は起こりました。
事故が起きたのはその名も「人間大砲」というコーナーで、1980年代にヒットを飛ばした歌手を人間が入るほどの大きな大砲にセットし、ゴムの動力を利用し飛ばす、という非常に危険なものでした。
出演者は空中を飛びながら自身のヒット曲のサビを歌う、という企画で、葛城さんもセットを見学し、当然企画内容も把握した上での収録ではあったそうです。
人間大砲で飛ばされたのは葛城さんだけではなく、田中星児さん、布川敏和さん、松村和子さんらが先に飛ばされ、葛城さんは5人目でした。
着地する場所はウレタンを敷き詰めたプールで、4人目までの挑戦者は緩やかな角度で着地していたそうですが、葛城さんは鋭角に着地してしまい、着地から30秒が経過しても出てこないためスタッフが助けに行ったそうです。
背中などを強打し動けなくなってしまい、救急車で病院へと運ばれました。
結果、第七胸椎を骨折するという重傷を負っており、引退も覚悟するほどだったそうです。
搬送された病院では5時間を超える手術を受け、背中にチタンの支柱を埋め込みました。
幸い半身不随などは免れましたが、予定していたライブなどはすべて中止となり、復帰までには半年以上の時間を要しましたが、それでも驚異的な回復と言われていました。
製作していたテレビ局は数回リハーサルをしていて万全を期したとコメントを発表しましたが、リハーサルは若いスタッフによるもので、出演者らはぶっつけ本番の収録だったそうです。
50歳前後の人間を歌いながら10メートル近くも装置で飛ばしてしまうのは明らかに危険な行為で、「企画自体が無謀」とバッシングを受けました。
バラエティー番組って、相変わらずこうゆうのやってるんだよね。ずいぶん昔にウンナンで死者が出たくせに。葛城ユキだって人間大砲やって重傷を負ったし。反省の色ナシ(`ε´)
— 垂れ幕番長 (@countrybaba) September 1, 2012
当時のバラエティ番組は「おもしろければ何でもあり」という風潮が蔓延しており、過激なら過激なほどおもしろい、とされていた時代でした。
テレビマンの悪ノリによって大怪我をさせられてしまった葛城さんは、本当に気の毒でした。
最後のステージで披露した1曲
葛城ユキさんは、2021年4月に原発性腹膜がんのステージ4を患っていることを発表し、治療に専念していました。
そして2022年5月17日に千葉県成田国際文化会館にて行われた「夢スター春・秋」へ出演しました。
葛城さんがステージに立ったのは、2021年4月に行われた音楽フェス「NAONのYAON2021」以来約1年ぶりでした。
車椅子でのステージとなり、消え入るような声で「ローズ」を1曲のみ披露しました。
葛城さんにとってはこれが最後のステージになってしまいました。
それから10日後の2022年6月27日に、東京都内の病院で他界されました。
73歳でした。
葛城さんは亡くなってしまいましたが、パワフルな歌声はこれからも残っていくはずです。
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