個性的なハスキーボイスを駆使し、数々のヒット曲を生み出した葛城ユキ(かつらぎゆき)さん。
抜群の歌唱力とステージセンスは、日本の音楽界に多大な影響を与えました。
今回は、葛城ユキさんの結婚事情や生い立ちについてお伝えします。
葛城ユキのプロフィール
本名:田中小夜子
生年月日:1949年(昭和24年)5月25日
身長:167cm
出身地:片山女子高等学校
最終学歴:岡山県川上郡川上町
葛城ユキは一般人の旦那と結婚した
葛城ユキの旦那は一般人です。
結婚したのは1979年頃。
1983年に腹膜炎を患い緊急入院した際、病室の名前が田中ではなかったことで結婚が発覚しました。
特に隠していたわけではなく、芸能界とは関係ない世界の相手だから黙っていただけだったとのこと。
後に所属事務所が旦那は一般のサラリーマンと明かしましたが、名前や年齢は公表されていません。
この結婚騒動で名前が売れたのも手伝って、「ボヘミアン」は葛城ユキさんの代表曲となるほどにヒットします。
どのようにして出会ったのか、どんな結婚生活を送っていたのかも一切情報がありませんでした。
葛城ユキさんは、2022年6月に腹膜がんのため亡くなっています。
この際スポーツ新聞などでは、「本名田中小夜子」と紹介されていました。
結婚して数年で離婚し、以後ずっと独り身だったとも言われています。
ワイルドな髪型と独特のハスキーな声で破天荒なイメージのある葛城ユキさん。
私生活が破天荒なロック歌手も珍しくありません。
葛城ユキさんも多くのロックスターと同じく、派手な私生活を送っていたのかもしれませんね。
葛城ユキに子供はいない
葛城ユキさんのプライベートはほとんど明らかにされていません。
子供の有無についても、生涯語ることはありませんでした。
葛城ユキさんは、1980年代を代表する日本の女性ロックシンガーの1人。
後に「プリンセスプリンセス」や「JUDY AND MARY」がブレイクしたことを考えると、日本の音楽シーンに与えた影響は非常に大きかったと思われます。
そんな伝説的なロックシンガーの子供となれば、必然的に注目度は高まります。
にもかかわらず情報がないので、子供はいなかった可能性が高いです。
自身の結婚も聞かれるまで公表しなかった葛城ユキさん。
プライベートなことで注目されるのを良しとしなかった人なのでしょう。
有名人の身内と知られれば迷惑をかける可能性もあるので、配慮して公表しなかった可能性も考えられますね。
葛城ユキの実家は岡山県
葛城ユキさんの実家は岡山県です。
出身地は川上郡川上町、2024年現在は高梁市となっています。
川上町は高原と森林が土地の大半を占める自然豊かな場所で、西側の一部が広島県と隣接している県境の町でした。
漫画で町おこしを行っており、「吉備川上漫画グランプリ」などのイベントも開催されています。
プライベートなことはほとんど公にしなかった葛城ユキさん。
実家について語ることもほとんどありませんでした。
父親や母親はどんな人なのかは不明ですが、ファンによると実家は散髪屋だったそうです。
@mamepapa1228 @tsun_830
おはようございます!
ヤ〇ザみたいな人ばかりじゃないですか!!京都で育って良かった!!(笑)
ちなみに葛城ユキの実家は散髪屋さんです!— ASAKICHI@京都 (@asnep7103) December 30, 2015
葛城ユキさんは、存命であれば2024年に75歳になります。
両親の年齢は20歳近く上だと思われますので、おそらく亡くなっているでしょう。
ソウルフルな歌声の持ち主だった葛城ユキさん。
倉敷紡績を退社するまで岡山の実家で暮らしていたと思われます。
実家で暮らしていた頃はどんな様子だったのか、ファンとしてはぜひ知りたいところですね。
葛城ユキの兄弟は姉が1人
葛城ユキさんには姉が1人いました。
2022年に亡くなった際は、姉が喪主を務めています。
葛城ユキさんは、生前姉との関係についてもほとんど何も語っていません。
しかし喪主を務めていること、最期は関係者と共に姉も立ち会っていることから決して仲が悪かったわけではないようです。
葛城ユキさんの告別式に親族が参列したと報道されました。
親族という表記のため姉以外の兄弟がいる可能性も考えられますが、詳細は不明です。
自分が余命いくばくもないと知ると、お世話になった人達に感謝の言葉を伝えるために電話をかけていたそうです。
周りの人達を大切にする素敵な人柄は、最後まで変わりませんでした。
生前の葛城ユキさんを悪く言う人はほとんどいなかったと思われます。
葬儀などは営まないで欲しいと語っていたことからも、ステージ以外で話題になることを極力避けていたと思われます。
プライベートを知る人達は故人の意志を尊重するはずなので、これからも家族構成などが明らかになることはないでしょう。
バレー選手を目指していた生い立ち
葛城ユキさんは、高校時代はバレーボール部のアタッカーとして活躍していました。
国体に2回も出場するなど、非常に実力のある選手だったようです。
葛城ユキさん
元々はバレーボールで高校時代国体出場、クラボウバレー部だったそう🏐#musicj— 満 太 郎 (@mantarou3254) May 12, 2020
高校卒業後に実業団の勧めで倉敷紡績に入社するも、実業団選手の中では身長が低かったことを理由にアタッカーから外されてしまいます。
アタッカーでなければバレーボールを続ける意味がないと考えた葛城ユキさん。
わずか1ヶ月で倉敷紡績を退社し、シンガーを夢見て大阪に移住しました。
かねてから音楽の道に進みたいという考えはあったようです。
葛城ユキさんの音楽性や青春を過ごした時期などを考えると、1960年代のアメリカのカウンターカルチャーに影響を受けているのではないかと推測されます。
1960年代後半のカウンターカルチャーを代表するシンガーと言えば、ジャニス・ジョプリンです。
ハスキーボイスや派手な見た目など、葛城ユキさんとの共通点が多々見られます。
「和製ロッド・スチュワート」と呼ばれたこともあるように、イギリスのロックシーンからの影響も受けているでしょう。
2015年に発表されたカバーアルバムでは、エルヴィス・プレスリーやビートルズなどの楽曲も取り上げていました。
バレーボールに打ち込む傍ら、ロックミュージックに夢中になる少女だったのでしょうね。
近年のシティポップ再評価ブームに伴い、葛城ユキさんの再評価を願う声も増えています。
シティポップ界隈で山根麻衣が再評価されてるんだから、葛城ユキ再評価ももうすぐだ。
— 井田太郎 (@idataro) September 20, 2019
近い将来その歌声に影響された、ハードでソウルフルなシンガーが登場する日も来るかもしれません。
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